マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

文京区の区境を一回りしてみて(その2)

2019年02月13日 | 東京散歩

 区境を一周するに際しては、1:7000の『東京23区地図』のコピーを用意し、これを持ち歩いた。これは非常に便利で有効だったが、それでも区境を歩くのは予想した以上に難しかった。区境の上に白線が描かれているわけではない。そこが区境であることを知るには右写真の住居表示板しかない。時計回りの事を右回りというが、それは対象物が必ず右側に来るから。私は自分の右手側に文京の住居表示板が、左側に他区の住居表示板があることを手掛かりにし、それを確かめながら進んだ。(左右とも住所表示板が文京区ならそこは区境ではない)
 それに、前回のブログにも書いたが、区境が建物内部に来ていてそこを歩けないこともある一方、住居表示板が貼られていない処も多々あった。区境を歩くことはそんな難しさがあるが、推理力を働かせて考えねばならない面白さもあった。




 区境の道は概ね狭かったが、その路上傍には有名な庭園や神社仏閣などが存在していた。出発からゴールまでを、目にしたものを含めて改めて右地図(文の京観光地図)に書き入れてみた。(右地図参照。概ねの位置です)
 ①中居皮膚科→②田端銀座→③よみせ通り→④蛇道→⑤東大→(左手に⑥不忍池)→⑦旧岩崎庭園→⑧湯島天神→⑨神田明神→(左手に⑩茶ノ水駅)→⑪神田川→(右手に⑫東京ドームホテル)→(右手に⑬印刷博物館)→⑭肥後細川庭園→⑮日無坂→⑯清土鬼子母神→⑰護国寺→⑱巣鴨大鳥神社→⑲山手線→⑳六義園→①中居皮膚科

 区境は江戸時代には川だったところが多い。多くの人が知っている様に、藍染川は暗渠となり文京区と台東区の区境となっている。神田川は千代田区との区境で、更に上流では新宿区との区境となっている。
 今回初めて知ったことを付け加えておこう。神田川の南側の一部も文京区だった(上の地図でTの左上)。新宿区との区境線は神田川の南側にも及んでいた。その区境は道幅が1mに満たないほど極端に狭い道があった。ここは暗渠で、かつては小川が流れていたと確信し、帰宅して古地図で調べるとるとやはり江戸時代には神田川に注ぐ小川が流れていた。目白台側からだけではなく、豊島台側からの流れも神田川に注いでいた。(写真:「重ね地図」より安政年間の様子)
 かって歩いた暗渠にも”再会”した(地図上Wの辺り)。その時は気が付かなかったが鶴巻川の暗渠で、その一部は今は豊島区との区境だ。
 江戸時代の川が現在の区境の源になっていることを改めて知った区境散歩だった。(下の写真:蛇道とその下神田川)