マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

駒込神明町貝塚(本駒込2)

2018年03月09日 | 本駒込

 かつてイベント「文京区海岸物語」に参加した時に、ボランティアガイドさんに見せてもらった地図に「駒込神明町貝塚」と名付けられた地点があった。“貝塚”という言葉が気になったが、それ以上に“駒込神明町”とは捨ておけない言葉だった。

 「駒込神明町」は現在の本駒込3丁目~5丁目辺り。私の住んでいる本駒込2丁目とは隣り合い、すぐそばの街だ。その辺りに貝塚があるとの話は聞いたこともないし、それを示す標識を見たこともなかった。(写真:右がその図。(駒込)神明町貝塚とある)
 アカデミー文京で「本駒込」について話をする上でも是非知っておきたいと思い、3月2日に「文京ふるさと歴史館」を訪ねた。いきなり受付の方に聞いてみたが、「分かりません」とのこと。学芸員不在の日だったのかも知れない。


 館内には「文京区遺跡一覧表」が掲示されその一つに「駒込神明町貝塚」があった。許可書を提出して写真を撮らせてもらったが、その一覧には地図上の場所とその地域、「遺跡の概要」として「台地・集落跡・住居跡」と書かれているだけで、貝塚の実態はなにも分からなかった。(写真:微かに27と見える地域が駒込神明町貝塚)







 後日、「文京区図書館」に“神明町貝塚”を項目にして検索すると『駒込神明町貝塚 第3地点』がフィットした。借りてきて早速読んだところ面白い事が幾つか分かってきた。(写真:借りた資料。その上の道路は不忍通り)
 昭和3(1928)年に駒込神明町の水谷邸での発掘で、縄文時代の貝塚が発見され、昭和63(1988)年の調査では、縄文土器・磨製石斧・木製品が出土していた。それらの事を受けて、駒込神明町(現在は本駒込3丁目~5丁目)の一帯は、縄文時代・近世の遺跡として登録され「駒込神明町貝塚」(区No27)と名付けられた。
 そうなると「埋蔵文化財包蔵地」に該当し、簡単には建設の為に土を掘りかえせなくなり、建物を建設する場合、教育委員会に対して「埋蔵文化財存否」の照会を求めなければならなった。
 その具体的一例として、富士神社脇の「駒込備蓄倉庫」の建設がある。その話は意外な事実で、面白い内容を含んでいたが、あと2日後に迫ったアカデミー文京での「お話」の準備のために時間が取れない。それは後日に回すことにして、今日のブログはこれまでとします。
 兎も角「駒込神明町貝塚」の命名理由とその所在地が確定して一安心し、自分が住んでいる近辺にはかつて縄文人が生活していたことを知って何か嬉しい。(以下参考)
 (本駒込の遺跡) 14:動坂。15:富士神社古墳。16:上富士前町
 27:駒込神明町貝塚。68:駒込富士前。59:(名称は駕籠町)。
 85:柳沢家駒込屋敷
  


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