マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

古山高麗雄にふれて

2011年05月19日 | 読書

 一ヶ月ほど前のこと、ラジオ体操直前に、86歳のSさんと話をしていると、何故か作家古山高麗雄に話が及び、「私ね、古山高麗雄の書いた本のなかで、実名で登場する場面があるのですよ」との事でした。
 古山高麗雄が「プレオー8の夜明け」で芥川賞を受賞したことは何となく記憶にありましたが、その作品を含めて彼の作品のどれも読んだことはありません。Sさんが登場するのがどんな場面か知りたくて、その作品をお借りすることにしました。数日してラジオ体操終了後Sさんのお宅に伺い「妻の部屋」(文藝春秋社)と言う名の随筆集をお借りして来ました。
 早速読んで見ると、所謂私小説的なもので、予備校時代の友人たち(例えば倉田博光・安岡章太郎など)との交流が描かれ、結婚前後の生活も紹介され、そのなかの一場面にSさん登場して来ていました。Sさんの人柄を知るには絶妙な場面なのでブログに紹介したいと思い、数日後、ラジオ体操の前に、ブログに本名でこのお話を紹介しても宜しいですかと訊ねると、大らかな性格のSさん「良いですよ」との事でしたから、本名でその部分を書きます。
 まずは『私が明子と結婚したのは、昭和24年であった。私に、明子との縁談を持ち込んで来たのは、駒込の沢米店の息子の行雄君であった。
』とあります。
 昭和20年8月15日、日本は敗戦を迎えますが、古山は仲間と一緒に帰国出来ず、彼が軍隊から”釈放”されるのはそれから2年3ヵ月後のことになります。BC級戦犯容疑でサイゴンの監獄に入れられた為です。実はそこでの体験は後年「プレオー8の夜明け」等の作品に結実するのですが・・・。
 結局古山の帰国は昭和22年となりますが、次の文章が続きます。『次の年、私は、財団法人日本映画教育協会という法人に就職し、機関誌編集の助手となった。あの法人を私たちはエイキョウと言っていたが、明子の縁談を持ち込んで来た沢米店の息子行雄君は、エイキョウの、私より年少だが、職場の先輩であった。沢行雄君は、みんなからサワちゃんと呼ばれていた。サワちゃんは、陽気でフランクな性格で、みんなから親しまれていた。サワちゃんは、新人の私にも、初対面から旧友のように話しかけて来て、帰途、私を喫茶店に誘った。』かくして見合いからゴールインまでの、馴れ初めの話が続きます。
 60数年前の沢さんの性格描写が、現在86歳になる今の沢さんの性格をそのまま物語っているようで、読んでいて大変楽しくなる部分でした。
 途中まで読んだ感想として「沢さんが登場する場面が一番面白いです」とお話すると、「実は26回仲人をやりましてね、古山くんの様に実質的な仲人を含めると28回やりました。彼の作品は戦争体験記が面白いですよ」と言われました。28回の仲人とは凄いこと。沢さんが如何に多くの人から好かれ、又信頼されていたかの証であり、今もそうであり続けていらっしる姿に脱帽します。古山高麗雄の作品は沢さんの話をヒントに読みたいと思います。


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