マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『病魔という悪の物語』(著:金森修 ちくまプリマー新書)を読む

2020年08月19日 | 読書

 本書は1869年に北アイルランドで生まれたメアリー・マローンという女性の生涯を辿った物語である。彼女は料理がとてもうまい人だった。子どもの面倒見もよかった。料理に存分に腕をふるい、雇い主にも信頼されて、そのまま生活していったとすれば、貧しいながらも、それなりに幸せな人生を送ったはずだった。
 13,4歳でアメリカに渡った後、37歳になったとき彼女の運命は突然暗転する。腸チフスの無症状感染者であることが判明したのだ。
 判明に至る経過はこうだ。

 1906年のこと、ニューヨークに隣接するロングアイルランド・ベイの貸別荘で、ある銀行家一家は6人の腸チフス患者を出した。別荘のオーナーは衛生工学の専門家ソーパーに調査を依頼。彼は数週間前に銀行一家の賄い雇婦だったメアリーの以前の経歴を調べた。すると、彼女を雇った8家族のうち7家族から腸チフス患者が出ていたことが分かった。
 ソーパーは彼女を訪ね、腸チフス感染の可能性があるからと、大便などのサンプル提出を依頼するが、彼女は猛反発。彼女に腸チフスの兆候は何らなく、身に覚えのないことなのでその反発は当然だった。健康状態が良好でありながら菌を持ち続ける健康保菌者という概念は当時の医学界では周知のものではなかった。今でいう無症状感染者(この本でもキャリアーと呼んでいる)だ。アメリカでその存在を確認された最初の健康保菌者だった。
 2度目の訪問時には怒号に似た言葉を浴びせられたソーパーはニューヨーク市の衛生局に相談する。衛生局にいたベーカーは最終的には5人の警官の力を借りて彼女を拘束し、伝染病を専門とする病院に連れていく。そこでの便検査の結果、彼女から高濃度の腸チフス菌が発見された。この検査結果を受けて、当局はメアリーをノース・プラザー島にあるリヴァーサイド病院に入院させた。
 この島は重く恐ろしい伝染病に罹った人たちを一定期間拘束する隔離島だった。彼女はそれから3年間、病院近くのバンガローで生活するはめとなってしまう。体内の菌を排除するためにいくつかの薬剤を投与するも菌は除去出来なかった。彼女は菌の住みつく可能性の高い胆嚢の摘出手術を勧められたが、これは拒んだ。自分がチフスの保菌者だとは信じ切れなかったからだ。

 1909年6月、メアリーは自らの解放を求めて訴訟を起こす。そのことが皮肉なことにメアリーの存在を世に広く知らせることとなった。ニューヨーク・アメリカンという新聞の挿絵とともに一面を飾ることとなる。以降彼女は「チフスのメアリー」と呼ばれるようになる。
 1909年7月、今まで通りの隔離との判決が下った。ところが判決の3ヶ月後、衛生局長はメアリーの解放を決めた。今後料理をしないとの誓約書を書かされて。キャリアーは彼女ひとりではないということが一般大衆にも知り渡り始めたころだった。
 1915年、ニューヨークで腸チフスの集団感染が発生。この発生原因を突き詰めていくと賄い婦として働いていたメアリーに辿りついた。メアリーは再逮捕され再びノース・ブラザー島に隔離されるに至る。1回目に同情的な世論も今度はわけが違った。誓約を破り監視の目を逃れ、偽名を使って仕事をしていた。彼女は意図的に、人に病気を罹らせることを厭わないと見なされたのだ。二度目の隔離は、彼女の死まで続くこととなる。

 著者はこの物語は単に彼女一人だけの話では終わらず、私たちに重大な問いかけをしていると書く。
 1913年、ニューヨークのキャリアーは106人だった。その中で一定期間隔離された人もいた。しかし無期限に隔離されたのは彼女だけだった。何故彼女だけが長期間隔離されねばならかったのか。
 この様になった背景として、著者はメアリーの社会的条件が反映していたと考える。アイルランド系移民、カトリック、貧しい賄い婦、女性、独身・・・。これらすべてが複雑に重なり合いメアリー個人の人生を不利にするように働いていたと。 
 ただ、島でメアリーは完全な孤独ではなかった。気の合った看護師オフプリングとは親友となった。2度目の隔離のときは病院の有償の雇われ人になった。1918年からはその日のうちに島に戻ることを条件に島をでて自由にショッピングなどをすることが許可された。外出先で知り合ったレンぺ一家と親しく付き合うことにもなった。この島での暮らしのなかで、それなりの幸せと、生きがいを見つけていたかも知れないと著者は書いている。著者はメアリーを一人の気丈夫な善良な女性とも見ている。

 読み終えて、私はニューヨーク・アメリカンという新聞報道が大問題だったと思う。メアリーを「チフスのメアリー」と呼び、人を死に至らす毒のような料理を平然とする女、そのイラストがメアリーのその後の社会的イメージを人々の与えてしまったのだった。コロナ禍の今、これに類似することは現代でも起こりうることだろ。


 


 

 
 
 


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