マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

石神井川と谷田川に触れて・・・(その2)

2011年02月27日 | 江戸の川・東京の川

 飛鳥山公園に隣接する3つの博物館、紙の博物館・飛鳥山博物館・渋沢資料館の中央に北区飛鳥山博物館はあります。そこに石神井川の下流での流路変更の原因の説の一つ「縄文時代の河川争奪説」が展示されているとの情報をネットで知って、一昨日の2月23日(水)、飛鳥山博物館を訪れました。

 ここの博物館の常設展示では、例えば「縄文人の暮らし」や「弥生人のムラ」など、この地方に暮らした古代人の生活様式や、「地図に見る北区の近現代」「名所王子・滝野川・飛鳥山」などの、比較的最近の、この地方の様子が紹介されている他、地理的・地学的内容の「荒川の生態系」のコーナーがあり、その一角に、石神井川に関する展示がありました。(博物館入口)



 実は、1994年に北区教育委員会は石神井川の流路変遷時期を特定するため、現・石神井川から卑近距離にあるの谷田川の、谷底低地にてボーリング調査を行い、その結果を、『駿台史学』に「武蔵野台地東部 (本郷台) における石神井川の流路変遷」として、発表していました。その結果の要約がここ飛鳥山博物館に展示されていて、その説を理解するうえでの基礎知識として、3分間9秒のビデオも流れる仕組みになっていました。


 お願いすれば展示の写真撮影も可能で、右写真のように数枚は撮影してきましたが、読みにくい文字部分は、直接ここに書きます。










 
 そこには凡そ次の様に書かれていました。
 「最終氷期極相期(約2万年前)以降東京湾では、二度ほど進退を繰り返しながら海面が急上昇していきます。今から6千年前をピークに現在よりも海面が3mほど上昇しますが、この急激な海面変化を有楽町海進と呼んでいます。現在武蔵野台地を東西に流れ王子から低地へ出る石神井川がかって王子付近で南東に曲がり不忍池方向へと流下していたことは以前から指摘されていました。最近、石神井川下流の流路が現在のコースをとった時期は有楽町海進最盛期頃であることが分ってきました。海進によって台地の崖ぎわが急速に後退した結果、石神井川は王子付近で崖端侵食をひきおこし河川争奪を起こした」とあります。(上図の左部分)

 『河川争奪』とは聞きなれない用語で、当初、私はその内容を人的”争奪戦”のように捉えていましたが、知人からのご指摘でウィキペディアを読むと、「河川の流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のこと」とあり、日本の各地で見られる現象ともありました。
 約6千年前の東京湾の海岸線は今より遥かに奥に食い込んでいて、例えば王子駅近辺にまで海岸線が上昇してきていました。それは王子貝塚等の存在でも明らかで、王子貝塚の様子もここの博物館に展示されています。

 博物館員の方はとても親切に接して呉れました。3階にある喫茶店で淹れたての美味しいコーヒーに喉を潤し、帰りの自転車のペタルを軽く感じながらの帰路となりました。


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