マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

元競馬場

2009年09月23日 | 東京散歩

 五百羅漢寺を後にし、目黒不動尊境内を通り抜けて真っ直ぐ進むと母校目黒3中があります。今日はここは素通りし、母校を背中にして元「競馬場」跡地を目指しました。バスの駅名に「元競馬場前」とあるくらいですから、そのバス停からそれほど遠くないところに競馬場があったのでしょうが、最近までその競馬場が何処にあったのかは知りませんでした。
 
 日経新聞紙上の「夢のなおありて」と題するコラムに「現代遺跡発見の旅」(伊東克代著 交通新聞社)が紹介されていました。
 早速購入し一気に読み終えました。「まえがき」で著者は語ります。
 『・・・この現代遺跡発掘の旅は、ある種の郷愁と一時代を築いたシンボルの本当の姿を知りたいという思いから始まりました。現実には跡形もなくなっているものがほとんどでしたが、丹念に歩いてみると、思いがけない”夢のかけら”が落ちていたのです』
 「目黒競馬場」、「池袋モンパルナス」、「恋文横丁」、「東京スタジアム」、「千住のお化け煙突」、「上野大仏」、「仁丹塔」等々が登場してきます。

 ”発掘の旅”は「目黒競馬場」から始まっていました。元競馬場のコーナーの円弧の部分が道路として現存している、とも書かれていました。中学生時代この近辺は何度も歩いた事があるのに、迂闊にも全く気が付きませんでした。
 この「目黒競馬場」1907年に開設され、1932年に第1回日本ダービーが行われたのもここ。ただ手狭になり、1933年の春季開催を最後に競馬場は廃止され、その役割は現在の府中競馬場に移転されたとも書かれています。


 
 (第1回 ダービーの様子 :Wikipediaより)


             (目黒通りにある記念碑)

 
その跡地なかなか見つかりませんでした。地元の方と思しき方に聞いても分かりません。30分ほど行きつ戻りつして漸く発見。本当に半円を描いた様な道路が現存していました。勿論端から端まで、ゆったりと歩いてきました。


     (カーブが現存していました)



      (外周の形跡が続きます)


        図1
 図1で「山口マンション」右上から「すずかけハイツ」に掛けての円弧が、その跡地で、道路とし現存しているもの。図左上に交差点名を示す『元競馬場』の文字が見えます。
 帰りは目黒通りに出て、「元競馬場前」でバスに乗り「大鳥神社前」へ。ここでバスに乗り換え渋谷へ。
渋谷にある名曲喫茶「ライオン」へ。まだ存在しているとのKさん情報を聞いての遠回り、ここは30年振りの再訪でした。


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