マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『清冽 詩人茨木のり子の肖像』を読む(その2)

2010年12月14日 | 読書

 茨木のり子の詩に初めて接したのは、20歳代の頃。尾瀬の山小屋「長蔵小屋」の主人平野長靖さんが、三平峠で36歳の若さで急逝されたのを惜しんで組まれた遺稿集「尾瀬に死す」を読んだときです。彼の愛した劇や本と共に詩も登場し、その中に「六月」という詩がありました。
 
  どこかに美しい村はないか
  一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
  鍬を立てかけ 籠を置き
  男も女も大きなジョッキをかたむける

 で始まる、メルヘンの様な、リズミカルな詩です。以来茨木のり子の愛読者の一人となった私は、その詩集の多くを読み、それらの詩を<わがことのように>受け止め、励まされて来ました。

 茨木のり子73歳の時に発刊された第八冊目の詩集『倚りかからず』は、版を重ね、発行元筑摩書房が文庫化するまでに、発行部数十数万に達したという。これは詩壇においては異例なことで、大事件だったそうです。この詩集の編集子中川美智子の机の上に積み重ねられていく読者カード。その都度中川は茨木に電話で連絡すると「もうおよしになって。詩集なんてそんなに売れるものじゃないんですから・・・」との茨木の返事。
 そんな彼女を、著者後藤は「彼女が”強い人”であったとは私は思わない。ただ、自身を律することにおいては強靭であつた。その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。たとえ立ちすくむことはあっても、崩れることはなかった。そのことをもってもっとも彼女の<品格>を感じるのである」とまとめました。そうだろうと私も思います。彼女には<清冽> <凛として> <品格> などの言葉が良く似合います。

 最晩年、いくらでも世話をしてくれる身内や知人に恵まれながら、それらの方の大きな世話にならず、自宅で、多分脳の発作で突然に亡くなった彼女。結果として、誰にも「倚りかからず」に一人旅立っていきました。
 今は、山形県鶴岡市加茂にある三浦家の菩提寺の浄禅寺に夫とともに眠っています。見上げると広い空。眼下に青い海。まことに眺望よしの墓地だそうです。
 鶴岡には、今年の4月29日「藤沢周平記念館」がオープンしました。是非ここと、彼女の眠る寺を訪ねたいと強く思います。
 海が登場する「根府川」を最後に記します。
 
  根府川
  東海道の小駅
  赤いカンナの咲いている駅

  たっぷり栄養のある
  大きな花の向こうに 
  いつもまっさおな海がひろがっていた

  中尉との恋の話をきかされながら
  友と二人ここを通ったことがあった

  あふれるような青春を
  リュックにつめこみ
  動員令をポケットに
  ゆられていったこともある

  燃えさかる東京をあとに
  ネーブルの花の白かったふるさとへ
  たどりつくときも
  あなたは在った

  丈高いカンナの花よ
  おだやかな相模の海よ

  沖に光る波のひとひら
  ああそんなかがやきに似た
  十代の歳月
  風船のように消えた
  無知で純粋で徒労だった歳月
  うしなわれたたった一つの海賊箱

  ほっそりと
  蒼く
  国をだきしめて
  眉をあげていた
  菜ッパ服時代の小さいあたしを
  根府川の海よ
  忘れはしないだろう?

  女の年輪をましながら
  ふたたび私は通過する
  あれから八年
  ひたすらに不敵なこころを育て
 
  海よ

  あなたのように
  あらぬ方を眺めながら・・・・・。
   

 


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