マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『太平洋食堂』(著:柳 広司 出版:小学館)を読む

2020年03月14日 | 読書

 東京新聞夕刊に「大波小波」という、読書情報を紹介するコラム欄がある。確か2月20日だったかと思うが、そこで、小説『太平洋食堂』が紹介されていた。
 《全国には子ども食堂が約3700か所と聞く。明治37年(1904年)日露戦争の最中に、和歌山県新宮で一軒のレストランが開業した。》との前書きで、医師大石誠之助によって作られた“子ども食堂”と呼ぶのが相応しい食堂が紹介されていた。その大石誠之助はその7年後1911年、大逆事件に連座して死刑に処せられた、とも書かれていた。
 多くの方はご存知のことかも知れないが、私には初めて知る衝撃的な話で、早速図書館で借りてきて読み終えた。小説は事実に基づく大石誠之助の伝記小説だった。著者柳広司はミステリー作家としての評価が高い。『ジョーカー・ゲーム』などの、短編スパイ小説数冊を読み、見事なトリックに感心した作家だ。その柳による伝記小説。文章がいいのだろう、一気に読み終えた。

 大石は1867(慶応3)年紀伊新宮に生まれ、渡米して医学を学び、1895年に新宮で医院「ドクトル大石」を開業した。診療方針は「貧しい人からはお金を取らない。そのぶん、金持ちから多めに取る」という一風かわったもので、「毒取るさん」とも呼ばれた。
 医院の向いに出来たのが「太平洋食堂」。彼がアメリカ留学中に磨いた西洋料理をこの街で広めようとして開業したものだった。しかし、誠之助は料理作法に口うるさく、大人からは敬遠され、子どもたちの方がここに遊びに来るようになっていった。底抜けに明るく、気さくな誠之助の性格は子どもたちに人気があった。子供らを集め『吾輩は猫である』を読んで聞かせるなど、小説全編を通じて子どもたちのとの交流が描かれている。

 大石は医者であり、食堂経営者であり、文筆家でもあり、社会主義者でもあった。時折『平民新聞』や『家庭雑誌』に文章を寄せた。「社会主義とは何ぞ」との演題で演説会を開いたりもした。論旨は明快で、ユーモアがあり、聴くものを逸らさぬ語り口だった。この演説を感動して聴いた一人に「大阪朝報」の女性記者だった管野須賀子がいた。後年、大逆事件に連座して死刑に処せられた唯一の女性だ。
  1906年、誠之助は上京し社会主義運動の中心的役割を果たし始めた幸徳秋水や堺利彦との交流が始まった。交流は深まり、堺利彦や幸徳秋水が新宮を訪れたこともあった。1908年新宮を訪れた秋水は「経済状態と革命の相関性」について演説した。そんな中、でっち上げられたのが大逆事件だった。
 当時の刑法第73条「天皇、大皇太后、・・・・に対して危害を加え又は加えんとしたる者は死刑に処する」により起訴された。判決当日以外非公開の裁判により幸徳秋水以下13名は死刑に処せられた。国家によるフレームアップ事件で、
1911(明治44)年のことだった。
 弱者に寄り添った活動を続け、労働者への搾取がなくなれば国が進化すると提言していた大石誠之助に対し、2018年1月、新宮市議会は名誉市民とする決議をした。この間107年もの歳月が流れていた。

 


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