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ゆうゆう職場

地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。

意気消沈モード

2022-01-07 20:13:16 | Weblog
NSIP肺に心臓劣化が加わったようだ。心臓からの種々のサインを、呼吸機能の低下が遠因か と素人判断していたが、昨夜の安静時にもかかわらず1hrほども続いた胸部の圧迫感、今朝も起き掛けに10min.ほど不快である。2週間ほど前から数回感じていたのだが、さすがにこれはおかしい。父は83歳で心筋症、母は66歳で心筋梗塞によって逝ってしまったことも脳裏から離れん。余計なこと?だがいとこ同士の父母の子である私にはマイナーな要因も沢山いただいたのか と(好い所も貰ったはず とも)。
 早速に県立医療センターへ。問診後の血液・X線透過・心エコー・心電図検査により、だいぶんに心臓がよろしくない とのこと。次週の造影心CTの結果を診ながら、入院下の心臓カテーテルでの精密チェックを決めましょう となった。説明の途中、おそらく呼吸器内科でチェックいただいておるCT像を示され、心血管に高度の石灰化があることを示された。できたら呼吸器の主治医さんから指摘いただきたかったけど、ま、世の中こんなものでしょう。当座の安全弁用に、ニトロや血液サラサラ錠をいただいてすごす。ヤレヤレ。

夕日2題

2022-01-06 19:11:15 | Weblog
酒二題に次いで簡単に夕陽二題で本日は終わろう。




いずれも鈴鹿川沿いの散策でパチリ。
1/3の夕陽が隠れるころ、我が家から1km以上南方の井尻地区内の堤防を歩いているころ。右寄りに錫杖さんがしっかりあり、夕陽から南に離れて経ヶ峰があるハズ。
昨1/5は閉館を知らずに市立図書館を軽トラで訪ねてしまった。本日閉館の看板に脱力。しかし予定どおり忍山神社付近の橋下から散策を開始。現職時代によく利用くださって、エルハルト法と呼ばれ鋼塊から絞り出してシームレスボンベを製作することで有名(で、あった=現在も と思いますが)な旧;日本ボンベ(高圧昭和ボンベ)を経由して、古武士像がたたずむ山下橋を鈴鹿川対岸へ折り返す、半時間余りのチョコッと散策。ただし、いずれの日も、呼吸を苦しく意識してしまう。呼吸能の低下を感じる度に何時になったら酸素ブーストが必要になるのかが気になって、ケセラセラとはなれん。田圃や畑を持っていることが不断の労働につながり、苦痛に感じることがある。田舎に生きる宿命ですな。

酒票2題

2022-01-06 15:29:58 | Weblog
もぉ明日は松飾もとれ正月気分もだいぶんに落ち着くころ(1/9は宮司さんと総代、宮世話とで大麻などの焚き上げ式 が待つ)。ところで正月にお酒はつきものだから少し書いておく。いかにも呑み助のようだが、私には普段の焼酎か缶ビールに毎年暮れになるとJAが配布してくれる小瓶で高価であろう日本酒が加わる程度。あえて正月用にと求めたことが無い。タダだからと文句の訳でないが、頂きものの日本酒も最近の吟醸酒の例にもれず(んなにも呑み比べするわけでありませぬが)ジュースのようで、アルコールがクンッとくる感が皆無である。父が好んでいた二級酒(しか呑めない経済)のような刺激?がない。そりゃ、少し飲める方の喉ならどれだけでも通ってゆくでしょうなぁ~張り合いがないけど、これも商売。

 表題のこと。暮れのある日の朝刊に、酒のラベル=酒票 の発祥の地が我が三重県であるとの珍しく嬉しい記事。明治の初期の頃までは酒の流通は酒樽式で、酒造蔵元の印は樽にペイントしたらしい。京や兵庫の後から乗り出した三重の蔵元は、先行流通に負けまいと樽に捲いた菰にラベルとなる酒票を貼って目立とうとしたらしい。酒票ラベルの数例が写真で掲載されていたので、即パチリ。なんとわが市に『鬼笑』酒票を使っていた酒蔵:糟谷さん があったのだ。酒蔵もないほどにゆとりが無かったのか、わが市には とのこれまでの諦観??を微修正しておきます。写真の票には”伊勢鈴鹿郡亀山驛”と明記されておりますな。驛表記がよろしい。

 次は現在の一升瓶ラベル。正月用にと(本当は新嘗祭の頃に使うべき らしいby宮司さん)11/Eに神社集会で配布されたもので、しっかりと2,100円也の請求書と共にでした。濁り酒です。現職場時代の前半の頃、当時は醸造課もあり、課職員の手配により正月前には日本酒の斡旋が行われたもので、原酒とか好んで購入しました。が、そういう麗しい行いは時流に添わないようで・・・。

『三重の新嘗』から元旦祭の神前酒器にほんの少しだけ注ぎ、残りは直会で全部いただきました。久しぶりの美味しい味でした。空瓶は持ち帰り、妻が梅酒を詰めるに使うでしょう~溜まりすぎておりますぞ梅酒。
ところでどーでもええこと。ラベルのフリガナが僅かに記憶のニイナメでなくニイナエとあるのですが、脱力のWEBによれば”新嘗”=にいなめ・にいなえ・しんじょう とありました。このニイナエ酒は2012年からは四日市市の宮崎本店が造っておるとのことです。四日市市の海に近い酒造さんですから、西部の鈴鹿山脈からの水(例えばマンボを流れる水)とは離れておるように感じてしまうの残念であります。いっそ、伊賀の酒蔵からが好いかなぁ と勝手思いです。

暮れの餅搗き など(不規則時間序列展開?)

2022-01-03 18:20:37 | Weblog
年末から元旦祭にむけ総代役目がのしかかり、おまけに少しの酒と酷い咳とでブログもままならない。もっとも粗雑な精神に加齢だから、こんなもんだろう。昨夜の記事なぞ読み直しても恥ずかしい。しかし、今夜も年末のことを記録しておく!

 12/30は餅を3臼搗いた。これまでは妻が朝も暗いうちから糯米を蒸し始めるのだが、実家に一人暮らす母親をディサービスに送り出す日であるから、戻ってからのスタートであった。11時前にようやく蒸しがあがり(=蒸篭の上蓋から盛んに蒸気が出るまで1時間ほど要します)餅搗きのスタートである。といっても、いきなり杵を手にするのでなく、自動餅搗き機に蒸しあがった糯米を投入して、粒同士が絡むよう米を混ぜ合わせた。普通は杵を小刻みに振り落として米同士を絡めるのだが、餅搗きでは一番シンドイ工程である。よって母が生前の頃からプロペラ式の機械を使っておる。右上の大きなボールの中に丸くまとまった餅(もぉ半分は餅状態ですな・・・回しすぎでした)が見える。これを石臼に移し妻の手返しで杵を振るう。セットは面倒だが韓国オムニバーナーの火力には満足している。


妻が鏡餅を何セットか作ってくれてあるので、田圃と野良仕事がうまくいきますように と翌12/31には石臼の上に鋤・鍬(備中タイプ)・スコップを束ねて祭ることができた。一昨年の餅搗き記事のほうがまとまりが好い。ヤレヤレ・・・・
 そして息切れから石臼をセットする・杵を振る これらのことが難儀になってきた。いつまで餅を搗けるかなと思うと寂しい。



松に雪

2022-01-01 20:12:32 | Weblog
由来はともかく(検索しても引っかからん)、祖母や父母は『(門)松に雪がかかると佳い年になる』と元旦前後には事ある毎に口にしていた。幸いなことに昨日からの雪混じりの天候は、元旦の朝、私の一夜飾りの門松にも雪を添えてくれた。


コロナも経済も周辺外交もうまくいきますように と勝手な願いを込め、午後は神社の元旦祭。その準備には人望の無い総代ゆえ、アタフタが多い。
 大晦日の昨日には宮世話一同で社殿、拝殿に幔幕を張り、神饌品を整えた。二段の鏡餅、酒そして魚は会計担当が手配してある。当番担当の組がお供え物を持参してくれ、これらを三方に盛るのは宮世話の仕事。役を仰せつかった頃は三方の向きにひとつにも注意せずに、宮司や先輩総代に笑われ叱られたものであるが、一年近く経った今では形だけは整えるられる。
 と、油断しておると大変。年越し篝火の準備も行った。刈田の藁や大豆の豆殻・枝、そして木材の切れ端を焚き付け材にして、大きな割り木を組み上げたので、生憎のみぞれ雪の夜であったが自衛消防隊の方々に十分な炎を立ててもらえた。しかし、年越しに来てくれた先輩総代が『生もの魚用のプラ製三方が使われていない』と叱責。よく見ると、確かに、棚の奥にプラ三方がある。慌てて入れ替える。神事に詳しい彼は、生の麻を持参してくれたので麻紐で整えた鯛を改めて縛り直した。須佐之男と白山の両祭神にお供えするのだから昨日は結構疲れてしまった。