崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『ヨーコの話』再考

2007年06月25日 05時42分49秒 | エッセイ
先日本欄で数回扱った『ヨーコの話』を再考する。朴仙容氏が私の読後感をある社会運動の牧師たちに披露したという。彼の話し中にかなりの反発があったようである。日韓関係の微妙な問題、そして社会運動方針に反するような態度からであったようである。ある日同席し、その話を聞いた反戦、平和運動をしている下関在住の鍬野保雄氏も私も唖然とした。鍬野氏は平和運動の一環で歩きながら平和を願うストーン・ウォークstone walkでヨーコ氏と知り合ったという。彼は、『ヨーコの話』の著者のヨーコ氏は韓国を懐かしみ、愛しているのに、韓国への入国も拒まれたという。韓国での反日感情はまだはげしく残っている。ここに鍬野氏が送ってくれた2007年1月31日KBSの文章を紹介する。
 
(前略)この本が最初にアメリカで出版されたのは随分前である1986年の事です。しかし、なぜ急に最近、この本が韓国で話題になったのかと申しますと… この本は米国で中学校の英語教材として採択されたのですが[ヨーコの話]の内容をめぐって一部韓国系生徒と保護者らが強く異議を唱えたからです。これらの話が報道を通じて韓国に知られるやこの問題は韓国内に飛び火「加害者であるはずの日本軍の蛮行については一切、言及がなく韓国人だけが悪く描写されている」という意見から始まり、段々加勢者が多くなるにつれ「韓国人のイメージを意図的に歪曲している」という単純で感情的な意見の方に傾いていきました。  そこで先週私はこの本を入手し読んでみました。読んだ感想としては、韓国内で憂慮されているよりずっと良い内容でした。一方的に韓国人が悪く描写されているのではなく、悪い日本人も良い韓国人も登場します。一貫したテーマは混乱期の「人間の狂気」と「反戦」です。ではこうなった事態の責任は誰にあるのでしょうか?
 しいて言うならこの本を教材に採択したアメリカの教育関係者です。アメリカの平均的な中学生の歴史認識ではこの本は荷が重過ぎます。アメリカの教育関係者はもっとアジアの国々の微妙な歴史感情を勉強する必要があるのでは?