崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

記者たちは自由がない

2018年04月25日 05時17分12秒 | 日記

 このごろ転入、赴任した方々がおられ、下関を紹介する機会が多い。昨日はある新聞記者と長く話をした。前任者からの引継ぎで私に会って話を聞いておけと言われたという。そう聞いて私に関する予備知識はどの程度あるのか、気になった。私曰く、拙著を「読んでいない類」と、「読んだ類」がいると話し、彼の反応を見た。拙著『慰安婦の真実』については社内雰囲気があるという。記者の関心があっても編集過程を通過することは難しい。本の内容ではなく、読む読まないは別として世論的な社風が支配的であり、自由がないという。これはどの新聞社にも共通することであることは以前から聞いていた。
 私の韓国の友人たちは新聞記者を選んだことを思い出す。彼らは固定観念を打破し、新しく社会へ影響するために新聞記者の職を選んだと言っていた。しかし1975年東亜日報から多くの記者たちが集団解雇されたことがあった。昨日記者から日本でも自由な取材活動はできないという話を聞いて大いに失望した。日本の新聞には告発性がほぼなくなっている。朝テレの記者も週刊誌に告発をよせざるを得なかった。大型メディアには記者たちの自由がない。週刊誌が主役、暴君(?)となって、毎週首狩りをする。


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