昨日はテレビに長時間夢中になっていた。歌い争う番組を楽しんだ。若い時にはクラシックを高級な芸術と思い、歌などを軽視した。歌が生活の日常になっている韓国では辛かった。その私がいまだに歌えず、それでも歌唱鑑賞に夢中になるのはなぜだろう。自問し、考えた。若い時とは逆に考えている。主に楽器で演奏するクラシックはほぼ肉声ではない。楽器など機械的なものを通しての芸術である。極端には設計された通りに車を運転すること、文字販を打つような脈絡に似ていると思い辿ったのである。このように考えると作曲家により尊敬の心が向けられる。クラシックを軽視するのではなく、より人体の直接的な能力、芸能に注目するようになったのである。
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