崔吉城との対話

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東洋経済日報へ寄稿文2018.2.16「平昌オリンピックと江原道」

2018年02月21日 06時12分44秒 | エッセイ

平昌オリンピック

崔吉城
 
平昌オリンピックの映像をみながら私は貧困時代の1960年代の韓国で、もっとも辺鄙な、貧困極まりない江原道の山村へ旅をしたことを思い出す。米は不作でジャガイモしか採れない。一般人はあまり住んでいない軍事施設があった山村の田舎というイメージを持っている。この地域は太白(黄池)と寧越の炭鉱村、旌善アリラン、李孝石の「ソバの花が咲くころ」(小説)に出てくる山村。
友人のソウル大学名誉教授の故李光奎氏と話している途中で、私の友人が軍警として派遣されているという情報だけ持って二人で夜行列車に乗った。彼はオーストリアウィン大学での留学から帰国したばかり、目的地は今は太白市となっている黄池であった。列車の座席は3人の若い美女たちの向側に座り、旅の幸運を感じていた。
話が好きな私たち二人と3人の美女は夜中一瞬も寝ず談笑が続いた。彼女らは某名門女子大の学生、夏休みに二人の友人を実家へ遊びに連れて行くという。列車は峠を越えることができず都渓駅で逆方面からの車両に移動する。乗り換える客の荷物を運んでくれる仕事もあるという。私たちは彼女の話を聞いて一駅前の桶里駅で早朝に一緒に降りた。待機しているバスは一日一回だけ、私たち二人は切符の精算などで時間が掛って、バスは出発してしまった。黄池まで歩かなければならない。彼女たちのカバンを持ったまま4キロ以上の山道を歩くことになり、困ってしまった。彼女らは私たちが満員バスに乗ったと思って出発したようである。歩るく途中でカバンを届けるために身分を確認しようとカバンを開けてみたら韓国の民俗衣装ばかりだった。とても女子学生の服装とは思えない。
昼頃に目的地に到着した。小さい山村であり、町の両側を一軒つつ訪ねて歩いて結局料亭で彼女たちにカバンを渡すことができた。カバンの持ち主は隠れてしまった。前夜嘘をついたことが恥ずかしかったようである。なぜこんな貧しい町に料亭があり、ソウルから美女の芸者が来るのだろうか。
私たちははこの地域が炭鉱地であること、そこには黄金があり料亭が存在することを初めて知った。予備知識のなかった私たちには炭鉱地と芸者の関係は異様なものであった。この体験が私がずっと後にサハリンと日本の炭鉱を研究する基礎になった。炭鉱の寒村と料亭・芸者の相反するイメージの通りに、今そんな思い出のある寒い山村、そこで華麗なパーフォーマンス、国際的なオリンピックが行われているのである。山村と豪華な祭り、夜空の光、私は60年ほどの韓国の発展を見ている。
私たちは火田をする山村の存在を聞いて数か所の山に登ってみて、ついに都渓谷邑新里を見つけた。黄池から美人瀑布、山を越えて火田民村の新里を訪ねた。苦労して調査したものは韓国では初めであり、調査記などは李光奎・崔吉城「新里火田民調査記」「『韓國文化人類學』(1968)に掲載され、日本語でも『東北学』(2003)に訳されている。