私はいかに短文であっても家内にチェックしてもらうことに慣れている。論文などにも編集者のコメントに感謝している。本欄にはコメントのレベルを越えて非難、誹謗、中傷もあったが、それでも対応して今はほぼ肯定的なコメントになっている。非難より寂しいのは無反応である。ご意見を下さるように願う。筆者によっては一点、一句も変えられないという態度をとるが、私は編集者等のコメントに肯定的に対応している。今大学はまだ夏休み中であり、論文と著書に集中している。論文「植民地研究の断絶と継承」の初校にコメントが届いて、そこから補充の作業をしている。植民地朝鮮での日本人の研究に関する内容である。帝国大学の日本人教授が韓国人の助手や協力者によって大きい成果を出したことへのコメント、心痛めながら考えた。実は私の恩師がその一人だった。それは韓国で言われがちである植民者への協力者ということになる。その系統は私に流れる。しかしそれは親日宣言ではなく、教育の普遍性を探ったことに過ぎない。