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崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

セマウル運動関連資料、綿花

2016年11月22日 04時34分44秒 | 旅行
  一般的に韓国人は記録保存が下手、村には古文書が少ないといわれている。しかし非常に例外的な村がある。その村を紹介案内してくれたのは金熹台全羅南道文化財委員であった。私一行が和順郡道岩面道荘里会館に着いたのは朝の9時過ぎ、意外に木浦大学校教授の李京燁氏が来られて待っておられ、村の金凡淳会長と 金聖寅,沈洪燮,邢先根の諸氏の歓迎を受けた。私の同年の金凡淳会長と は「同年」であることですぐ話は熱くなった。金聖寅氏らは郷土文化遺産や全羅南道無形文化財の民謡、 綿花を多く栽培してきた村の歴史、セマウル運動の実態が分かるような写真、セマウル運動関連資料の70~80年代の行政公文書および生活道具が保管されていると状況を説明してくれた。織物道具、豆腐作り、餅つき、カマス作りなどと文書などが総合的に現地に保管されていることは驚きであった。
 村の歴史が生きている現場を総合的に研究することに私は李教授や金委員に協力を要請した。セマウル運動によって村の生活が変わったのか、質問には否定も肯定もしない。なぜであろう。氏は朴大統領の稲の品種改良は当時フィリピンから輸入したこと...を指摘し、日帝時代の農村振興運動のような政策であったという。私が研究、主張したものが知られたのか、彼自身の考察であるかは確かではない。山に囲まれている村の中には細い川が流れている。それが村の生命脈のように感じた。この生きている村の歴史に関心をもって日記を書く人を紹介してくれというと正面に座っている会長とお兄さんが日記を書いて有名であるという。話は本当に盛り上がった。3時間半高速、大邱へ、中村八重氏と歓談、研究の話はまだ続いていた。일반적으로 한국인은 기록 보존을 소홀이한다고 하는데, 특히 마을에는 전해지는 고문서가 적다고 한다. 그런데 대단히 예외적인 마을이 있다. 그 마을을 소개 안내해 준 것은 김 희태 전라남도 문화재위원이었다. 우리 일행이 화순군 도암면 도장리회관에 도착한 것은 아침 9시좀 지나서인데, 의외로 목포 대학교 교수인 이경엽씨가 오셔서 기다리고 있고, 마을의 김범순 회장과 김성인, 심홍섭, 형성근씨 등 여러분의 환영을 받았다. 김범순 회장과 나는 「동갑네」인 것으로 바로 이야기가 뜨거워졌다. 김성인씨 등은 향토 문화 유산이나 전라남도 무형문화재의 민요, 목화를 많이 재배해 온 마을의 역사, 새마을운동의 실태를 알 수 있는 사진, 새마을운동관련 자료로서 70∼80년대의 행정 공문서 및 생활 도구가 보관되어 있다. 상황을 설명해 주었다. 직물도구, 두부만들기, 떡치기 등과 문서 등이 종합적으로 현지에 보관되어 있다.
 마을의 역사가 살아 있는 현장을 종합적으로 연구하고 싶다고 이교수나 김위원에게 협력을 요청했다. 새마을운동에 의해 마을의 생활이 변한 것인가, 질문에는 부정도 긍정도 하지 않는다. 왜일까. 박정희 대통령의 벼 품종개량은 당시 필리핀에서 수입한 것을 지적하고, 일제시대의 농촌진흥 운동과 같은 정책이었다라고 한다. 내가 연구, 주장한 것이 알려진 것인가, 그 자신의 고찰일지는 확실하지 않다. 산에 둘러싸여 있는 마을 안에는 작은 개천이 흐르고 있다. 그것이 마을의 생명선처럼 느꼈다. 이 살아 있는 마을의 역사에 관심을 가지고 일기를 쓰는 사람을 소개해 달라고 말하니 정면에 앉아 있는 회장과 형님이 일기를 써서 유명하다고 한다.
 

韓国光州

2016年11月21日 05時06分10秒 | 旅行

 釜山行きの飛行機はほぼ韓国人によって満席、韓国は大変だと誰も思えない平安な旅人たちであった。飛行時間40分という短い時間、隣席の日本女性に声を掛けた。熊本から韓国旅行、旅行の話より熊本地震被害を受けた話、車3台が潰された写真など悲惨な状況を見せてくれた。韓国の朴クネ不安騒ぎと熊本地震の状況がアンサンブルになって聞こえて、不安状況の中の旅行と矛盾するような気分であった。
  迎えに来てくれたのは崔鐘星氏夫婦、奥さんの金氏の乗用車で光州まで3時間半、ホテルプラダに着いたのは6時ころ、意外に長興から李永松校長が先にいらして待っている。久ぶりの嬉しい再会、間もなく金喜台氏が来られた。私は1年ほど前に大手術を受けて死境を迷ったが今は完全回復して忙しい中の調査旅行であり、協力を求めた。我夫婦と家内の姉など6人が参加して東園食堂で焼肉とタコの鍋物を李先生にご馳走なった。私の古い研究フィールドワーク地であり、縁の深い長興には寄れず今日はセマウル現地に行って現況を見て、大邱へと移動。遠い旅になる。忙中閑、閑中忙が交差する。


『アーロン収容所』

2016年11月18日 06時07分05秒 | 旅行

 下関に移り住み学問的に一つの幸運といえば倉光誠氏との出会いである。彼は温厚な医者で韓国語ができる。それだけではない。彼は適切なアイディアと幅広い読書、ものを深く考えてコメントしてくれる。昨日は会田雄次氏の『アーロン収容所』で「英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきた」「ソ連に抑留された人びとのすさまじいばかりの苦痛は、新聞をはじめ、あらゆるマスコミの手を通じて多くの人々に知られている」と、紹介しながらイギリス人の残酷さを紹介してくれた。
 私は日本軍がマレーシアでイギリス人捕虜の時計や飾り、宝石などを奪取する映像を見せた。日本人は誰一人日本軍がソ連軍のように野蛮的なことをしたとは思っていない。会田氏はイギリス人は家畜を殺す文化の残酷さをもっているという。私は日本人が生きている魚を解体する場面を見るのを楽しむこととはどう違うか、日本人の虐め文化はどうであろうかと疑問を投げた。中国から来た留学生の宮さんの中国賛美(?)に私が加勢、蒋介石軍隊が性暴行した人を現場で裁判、処刑する映像を見せた。国民党軍隊の規律が厳しいのか、あるいは中国人、中国文化が人道的なのだろうか。


「絵葉書から見る近代朝鮮」

2016年11月17日 05時59分25秒 | 旅行

 昨日の気象予報では寒さが強く報じられたが、よき秋晴れの日であった。ソウルから来られた方は日本は温かいという言葉を連発した。私の研究室で『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)の最終編集会を行った。ソウルから民俗苑洪鐘和社長と朴昊遠顧問、執筆者の浦川氏、総監修者の私が参加して日本文、韓国文、英文の検討、なにより重要なのは本題では熱く討論した。韓国文では「엽서로 보는 근대조선」、Post Cards of Modern Koreaときめた。日韓のフォント調整、地名表記など細かい作業が夕方まで続いた。新年早々発行を予定している。朝鮮以外に日本、満洲、樺太、台湾、南洋群島、その他30万枚以上の帝国の絵葉書の研究の出発点となると思う。これからその研究にも力を尽くしたい。監修文で次のように記した。 

 絵や写真を見るのも良いが絵ハガキには単純な画報や写真以上の意味がある。絵はがきは他の媒体とは違った特性がある。今のように映像が優先されるメディア時代を先行した媒体が絵ハガキである。より重要なことはその余白に個人的な通信が入る点であり特に魅力的だといえる。情報が少ない時代に先んじる画像媒体としての役割をしてきた絵ハガキを私たちは今どのように見てるのだろうか。当時の生活文化をリアルに見せている。当時日本人たちは植民地であった朝鮮文化の何を見て何を感じたのだろうか。私はこれを基に日本人が世界的な視点に立ち、積極的で肯定的に朝鮮文化を知ることを望んでいる。本書が道路の発達と観光、郵便制度の変遷、意識されなかった地方文化の発掘と再認識、今生きている伝統文化の源泉として活用されることを望んでいる。*写真左から浦川、洪、朴
 
 

 

 

 


아시아공동체

2016年11月13日 05時20分27秒 | 旅行
 어제 동아대학에서는 원아시아재단 지원 공개강좌 7주째가 행해졌다. 11월 12일은 본교 개교기념일로 겸하는 강연을 겸하였다. 초두에는 대학 설립자 쿠시다 가오루씨가 등단하여 동아대학의 설립과정과 동아대학 명명에 대해 강연이 있었다. 이것은 동시에 훼이스북으로 동시 중계되었다. 전 KRY tv 카메라멘, 교내 영상부, 강좌 카메라 등 4개의 매체에 의해 수록되었다. 이것을 편집하여 후세에 남길 것이다. 북경에서 온 중앙민족학원 교수 황유복씨의 강연 요지를 아래에 적는다. 통역 번역 요약 최길성

아시아공동체의형성과 이문화커뮤니케이션

                                황유복

 나민족학을 연구하는 학자로서 中国电视艺术자문위원으로 중일한 3텔레비전 제작자 포럼을 조직하는 일에 참여하. 일년에 한번씩 3국을 돌면서 개최되는데 금년 16中日TV制作者 포럼은 북경에서 진행되었다. 매번 포럼 때마다 3국의 문화 이해의 차이를 토의하였다역사인식 문제로 한일간에 대립이 있었다. 또 한중간에 다큐멘트 영화 를 가지고 한중이 대립했다. 전쟁고아 영화를 둘러싸고 중일이 대립되었다. 민간인 교유에 국가관으로 대립하는 점에 나는 아시아공동체 형성 필요성을 느끼게 되었.
 
아시아공동체는 가능한가? 西势东渐으로 일본을 제외한 아시아 전체가 수난을 당하던 시대에 중국근대의 사상가, 정치가, 교육가인 梁启超아시아는 있지 않고 미래에 있다(洲者,不在在,在未来也)」하였다. 아직아시아는 있다아시아공동체우리의꿈이요미래일뿐이다.
 
동아시아의 평화에도 낙관과 비관이 병존한다. 불안정상태이.조선반도핵문제와 남북대립, 미국의 지배견제하려는 중국, 아직도 강력한 일본, 유럽과 아시아의 다리를 걸치고 자동아시아로 진출하려는 러시아까지 등장하면서 동아시아는 예측불허의 불안한 상태이다
 
글로벌화에 역행해서 지역화 현상이 일고있다. 유럽연합, 북미자유무역협정,  동남아국가연합(ASEAN) 등 그 중에 ASEAN동남아시아 공동체, LAS서아시아아랍공동체이다민족국가 사회의 유지와 발전의 가장 기본적인 가치는 인간의 사고방식과 행동양식 그것들에 의해 만들어진 고유의 문화것이. 동아시아공동체의형성에는역사인식문제영토문제 난관이 존재한다. 그래도 동아시아문화공동체를 구축하려 하지 않으면
 
이미 문화블록을 형성역사가 . 3000전부터한자문화권,“유교문화권”,“문화”,“태음력문화권”,“불교문화권으로 불려지는 문화블록.그것은 중화제국중심의 소위화이질서夷秩序)”로서문화의 흐름중국대륙에서 조선반도, 다시 일본으로 전해졌다. 물론 한국이나 일본에서 중국으로 유입되기도으나 별로 연구되지 않고 . 明治維新 이후에는 일본의 자본주의 문화가 한국과 중국으로 흘러들어갔다.  그것은 동아질서라는 구조로 일본의 아시아침략을 동반한일방통행이었다.
 
오늘날 아시아는 서로 상대를 보기 시작했다. 경제적 상호의존의 심화에 따른 생활상 교류가 상당히 진전된 상황이다. 오늘의 동아시아문화 교류는고대의 화이질서속의 문화교류도, 근대의동아질서속의 문화교류도 아니다. 평등한 국제관계 구조 속에서 문화교류가 진행된다. 동아시아에 문화적 쌍방향성교류가 시작됬다는 의미이다      
 
지금 세계화의 바람이 지구적으로 확산되면서 민족이나 국가의 경계를 넘어 자본과 상품 그리고 사람들이 이동하고 있다. 사이버에 의해 시간과 공간을 넘나들거나 문화간의 경계를 넘나드는 cultural border-crossing 현상이 일어나고 있다.
 
인류는 하나이지만 민족과 문화는 다양하다. 사람들은 같은 것들을 공유하면서도 국가나 지역마다 다양하게 살아가고 있다. 우리의 일상생활도 생각과 행동이 다르지도 같지도 않은 다양한 다른 사람들과 더불어 살아가는 것이다. 이문화간의 다양성을 받아들이면서 서로의 차이점을 꼼꼼히 되짚어가야 한다. 다양한 문화가 하나의 공동체를이루기 위해 서로 다른 이문화간의 커뮤니케이션communication절실히 필요하다. 개개문화가 독립적인 문화주체라는 관점에서 서로 다른 문화간의 일방적 문화의 전파나 수용이 아닌 상호교류communication을통한 상호이해, 다양성에 대한 존중이필요하다.


金剛山歌劇団の公演

2016年11月11日 07時01分01秒 | 旅行

 毎年見て楽しむ金剛山歌劇団の公演を昨夜見た。800席ほぼ満席の人が楽しむありがたい行事であってもメディアが報道したことは目にしたことない。口コミによって集まる。朝鮮総連系の歌劇団であり、主に朝鮮語で行われている。芸術活動であり、市民はメディアより健全で多く集まって楽しむ。私はほぼ20余年間楽しんでおり、昨夜は読書会のメンバーや隣人たちを誘って一緒にみた。
 いままでみたものの中で一番良かった。改良された伝統楽器と西洋楽器の伴奏、平面に位置して演奏し、音楽会のようにも鑑賞した。踊り、衣装などの調和がよく改善された。舞台監督の力が伝わってきた。高句麗壁画を元に細い袖の服装、細長の杖鼓で再演に挑戦したものは意味がある。線律と動きの調和が良かった。


 「お帰りなさい」

2016年11月08日 05時51分38秒 | 旅行

 「お帰りなさい」下関港で釜山から帰る19名を出迎えた。彼らは美味しいものを食べたと、大満足であった。「楽しい韓国文化論」の探訪旅行だった。私はワンアジア財団支援講座のために参加ができず残念であった。パンソリ、板門店、食文化、陶山書院などへの探訪。日韓において、リトル釜山、通信使などの行事もあるが、文化交流ではこの文化論も代表的なものになっている。来年も続けたい。私は人とのネットワークが繋がるように努力したい。テーマを公開募集したい。
 昨日の本欄で紹介した防府市の市議員選の立候補者である中林堅造氏に電話で激励した。以前娘さんと一緒に山口に関する戦前の絵葉書を寄贈して下さった時、娘さんに父親の畳製造業のホームページを作ることを薦めた憶えがある。昨日の電話で彼は娘さんが私のブログやフェースブックから自分のお父さんの写真を見つけて嬉んだと言っておられた。下関に住んで地理的には門司や小倉などが近く、生活圏になっている。防府市とはメディアによって知るだけであったが中林さんの電話によって縁が広く、深くなった気がした。*写真は礒永和貴氏撮影


壁と共同体

2016年11月06日 07時46分35秒 | 旅行

 モノや人は常に評価される。しかし、評価されるために、あるいは賞を受けることを目的として努力するべきではない。受賞は日々の努力の評価の結果である。いま大学では認証評価を気にする話がある。それは一定期間の話ではなく、常に普段の教育現場が評価されることであろう。昨日ワンアジア財団支援公開講座第6回目、鄭俊坤博士により「いま、なぜアジア共同体なのか」が行われた。研究者、市民、学生が参加したが、本大学の教員たちの参加は少なく、無関心のようで残念である。認証評価の趣意と実行の理解が間違っているように思う。シラバスなどをチェックすることだけと思ったら大きな間違いであろう。このような公開講座は評価の良い対象であり、評価の良いチャンスにもなりうる。
 鄭氏は国家という壁を乗り越え、人々の心の中にある内面的壁をを超えて、新たな共同体の形成に向かうために「アジア共同体」の講座を行うと。「一つしか知らないという人は一つも知らない」と多様性の意味を強調し、共同体の可能性を人口の少ないモンゴル人の例にして説明を長くした。開かれたアジア共同体、「地域的な概念に拘束されず、人間の持つ可能性を広げると同時に、豊かで多様な個性、伝統や文化が尊重されるための共同体であるべき」と新しいパラダイムの変換を願った。私は鄭氏と講義結果を以て文字と映像で残す方法について相談した。*鄭氏は写真の左から3つめ


おもてなし

2016年11月04日 06時52分04秒 | 旅行

 2020東京でオリンピックの確定宣言に「おもてなし」という標語を打ち出した場面は印象的であった。日本人から「もてなし」という言葉は異様な感があるのは韓国や中国であろう。昔私が韓国に住んだ時、日本から来られるお客さんに宿泊、食事などご馳走すると韓国の友人が日本に訪ねて行ってもコーヒー一杯もいただけないのになぜ世話をするかといわれた。それはもてなしの文化の差を意味するに過ぎない。人の付き合いでお土産、贈り物などは日本の市場が大きいのは事実である。韓国にはお歳暮やお中元などは日本に比べるほどはない。もてなしは接待文化にポイントがある。飲食接待文化がある。1次(ビール)、2次(焼酎)、3次(ウィスキー)に行われ、意識不明の脱魂状態になることが多い。最近接待に関する法律が制定されて話題になった。自由、健全なロビー活動や人間関係への制約となるという反感がある。去年の接待費は10兆ウォンであるという。もてなしのないドライな人間関係を作っていくのではないかと憂いがないわけではない。 :Y


学生と教員の合作映像

2016年11月03日 05時17分01秒 | 旅行

 今週の土曜日はワンアジア財団支援公開講座第6回目、鄭俊坤博士の「いま、なぜアジア共同体か」が行われる。彼は本財団の首席研究員であり、財団運営のキーパーソンとして支援大学の講義などを担当しながら世界を飛び回っている。「いま、なぜアジア共同体か」をとおして「ワンアジアとはなにか」を知る時間にもなるかと思っている。私は「ワンone」が何かに注目したい。どこまでがアジアか、境、線、空間、政治、国家、土、海、反西欧、共同体、歴史、戦争、植民地、公害など広がる世界の話になりうる。可能であれば現場で一緒に聞いてほしい。
 昨日は遅くまで研究室で第3回目、鵜澤和宏教授の講義「日本人はどこから来たか」の編集を終えた。鵜澤氏は東京大学大学院で考古人類学で博士号取得、科研(文部省研究補助金)などによりアフリカや中近東、そして現在はペルーで発掘調査を続けている。最近は韓国や中国への出張が多く、世界的な視野から語ったことを映像で収められた。講義の現場を本学の礒永和貴准教授が撮影、国際交流学科2年生の白成烈君が30余分の動画に編集した。学生と教員の合作である。
 

 


親族びいきから親友びいき

2016年11月02日 05時08分35秒 | 旅行

 日本に住み,韓国の政治への関心が薄れているせいか、朴クネ大統領のスキャンダルは理解し難い。先週会った韓国の女性にそれがなぜ悪いのかと質問した。「崔氏の生活が汚い」という返答であった。私は草稿文を他人に読んでもらい意見を求め直していくことが多いので当件の演説草稿を友人に見てもらうことがなぜ悪いのかわからない。発端となったのは大統領の演説の原稿に崔順実氏が手を加えていたこと。大統領は「大統領選で、私の演説の表現や広報活動で助言してくれたほか、就任後もしばらく引き続き助けてくれていた」と報道陣の前で「深くお詫びします」と頭を下げたという。それでも国民の反発は収まらず抗議デモ、退陣を求める。
 全斗煥大統領の親姻戚の不正が大きい問題になったことがあるが、これはそれとは異質のものである。BBCは「親友スキャンダル」 (Korea scandal: President Park's friend)というが、何が悪いかは明言しない。おそらくフレンドシップによる「不正」が問題になっているのだろうと、想像する。大統領の不正も親姻族びいきのネポティズムから親友関係に代わっている。


「東流西流」月曜日担当

2016年11月01日 06時02分59秒 | 旅行

 今朝の山口新聞第3面にコラム「東流西流」 のエッセイ担当者が載っている(写真)。しゃべりから文へ、下関から世界へ強く発信する機会としたい。読者のご意見を願っている。私は月曜日担当である。以前毎日新聞に5年近く定期的にエッセイを書いたがいつも新鮮な気持ちで書いた。今も東洋経済日報に10年ほど連載している。しかし読者からはどうであろう。同じ名前でほぼ変わりのない内容で紙面を割愛しては申し訳ない。
  中国の学者を講師として招聘して講演をお願いしているが手続きが煩雑である。ちょっと嫌な気分である。しかし考えてみると1980年代初めころまで韓国でも同様であった。当時私は九州大学で開かれる宗教学会で発表が決まっていたが韓国での手続きに時間がかかり間に合わず、参加できず家内が代わりに参加したことがある。国家は国民が逃亡しないようにパスポート管理、相手国は不法滞在を懸念してビザ管理をしている。それは人によっては自由が管理されるという否定的な見方もあるが、一方自国民の海外旅行への安全、外国人を安全に迎える心として肯定的にも考えられる。


「絵図からみるアジア」

2016年10月30日 05時50分16秒 | 旅行

 川村博忠教授の「絵図からみるアジア」は公開講座の第5回目であった。学生、教員、市民が参加した。私は最高先端の研究成果をもっている研究者の話を聞きたいこと以外に教員たちの参加を願っている。日本では古くから注入式教授法が一般的であり、講師によってはビデオで教員不在の講義が行われていることもある。対話式やアクティブ教授法が積極的に取り入れられていない。校内には授業参観が義務づけられることがあっても授業改善には至らない。
 今回の公開講座ではただの講演ではなく、ハーバード大学のサンデル教授の公開講座のように対話・質疑の用式を取り入れて行っている。講座の全体と前時間のリマインド、講師紹介、メイン講義、担当(司会)の私がまとめ問題点を出して対話式で議論、映像やフロアのコメント、そして学生のコメント最後に次回の予告をもって閉会する。この講義は毎時間Skypeとフェースブックにライブで中継し250人が繋がっている。ユーチューブでも発信される。ご利用を願っている。このような講義を全学のレベルにおいて授業参観として利用されることをつよく希望する。
 川村教授はギリシヤ、ローマ、アレクサンドリア以来、オルテリウスの世界地図の発達を画像を見せながらその意味を説明された。朝鮮製「混一疆理歴代国都之図」やマテオ・リッチの「坤輿万国全図」などの画像が紹介された。中華世界観によった日本人の世界観は西洋の世界観を受け入れるようになったという話の流れ中で、私は多くの疑問がでた。どうして地図を描くのか、「絵図」の絵paintingと図mapは記号論的には異なるが絵図とは何だろう。フロアーから地理学者の八田氏が立って地球儀globeが出た背景などの質疑が行なわれた。「面白い、貴重だ」というコメントに、私はなぜを連発した。韓国からの留学生の金仁弘君もコメント、最後に私が総括し、次回は鄭俊坤博士の「今、なぜアジア共同体のか」を予告。次回も一緒に聞きましょうで第5回目の川村先生の楽しく充実した名講義は終わった。






「老人」

2016年10月29日 06時44分38秒 | 旅行

 何十年も使った卓上時計が止まった。長い間錐が回り一緒に生きてきた感のある時計を分解してみた。忙しい中で変な行動であった。小学校低学年の時、私は家の壁掛け時計を分解して機能を戻せずダメにした。それでも母は怒らなかった。その後「石ラジオ」を作るなど科学者か運転手になりたかった。田舎からソウルに転学してから孤独な時間があった。読書に夢中になった。受験勉強はそれほどではなかった。中高校時代は文学作品を多く読んだ。フロイドのようなメガネ、古い革製品のカバンを持っていた。骨董品趣味があり、学友から「老人」というニックネームが与えられた。私の老人時代は長い。
 10歳過ぎの愛犬ミミちゃんは老人時代。子供の時していた靴などを齧ったり跳ねたりすることは今は全くしない、できない。ベッドにも上がれないのでそこと食卓の椅子、ソーファなど3か所に足台を作ってあげた。定年、定職ですることのない人も多い。ポストについて気勢堂々とした人、偉そうに君臨した人も気が弱まっている。他人事ではなく、自分自身のことである。今日はやりがいのある研究を続けている地理学者の川村博忠先生の講義を聞く。ワンアジア財団支援公開講座の第5回目である。*写真は私の青春時代

 


下関市指定文化財の乾船渠(旧四建ドック)

2016年10月28日 05時28分14秒 | 旅行

 父上が林兼造船所で務めたという地元の田辺正樹氏が新しく読書会のメンバーとして参加した。彼は自分の父親が使ったことのある下関市指定文化財の乾船渠(旧四建ドック)の保存の必要性を語った。それは私が散歩途中で見て汚れた水が溜まっていて危険な印象を持ったところである。1911年に内務省が海底の土砂をさらったり暗礁を取り除いたりした作業船を整備するドックとして作られたものだという。下関市は文化財委員会の諮問を受けてそのまま埋めて地上に駐車場を作ると発表した。それに彼は反対運動を展開しているという。
 そこに倉光誠氏が韓国語の拙著への書評を言いながら何を文化財として保存すべきか基本的な問題点を出した。日本が作った旧朝鮮総督府庁舎は韓国が必要ではないから壊した。利用し、それ以上利用性がないものを捨てる。しかし捨てるべきではないという意見もある。ゴミという認識もさまざまである。ゴミといわれる物の中に生活し、市民に迷惑をかけているというニュースもあった。建築物として利用性のない原爆ドームを保存するのは何でだろう。世界遺産、文化財が氾濫している今日。本当に保存する理由は何だろうか。