goo blog サービス終了のお知らせ 

崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

私の履歴書

2017年01月09日 06時32分01秒 | 旅行

 私が出席している教会の近くの小学校にはたった二人の新入生、結局併合合併するという話を聞いた。大学も定員減少など人口減少は深刻である。在日下関教会は現在牧師がいない。昨日は大きい会堂に10余人ほどしか集まらなかった。教会の閉鎖危機になっている。臨時責任者の朱文洪牧師がハングル版「福音新聞」に小人数教会での信者と対面する重要な意味を書いている。私も学生が少ない時こそ質を上げるチャンスだという主張をしているのと同様、彼に同感した。昨日の牧師のメッセージは12人のイエスの弟子たちによって世界宗教となったキリスト教に関するものだった。帰宅して再放送の瀬戸内寂聴氏の「私の履歴書」をみた。
 私の履歴書はどうであろう。進級がある。軍隊では候補生から中尉、大尉、予備軍大隊長へ、講師から副教授、そして教授まで、いろいろ役職があって任期終了などがある。しかし唯一「降等」されたものもある。それは教会でのことである。韓国の監理教会で試験まで受けて勧士になったがそれが広島教会では認められず執事につまり降下されたのである。多くの教会では教授は厄介な存在かも知れない。私の履歴書には山あり谷あり、登りがあり下りがある。そろそろすべての荷物を下ろす時が来ている。教会の卒業を考えている。
 

 


「蒲生正男来訪」

2017年01月05日 06時23分40秒 | 旅行

 年末年始休暇には執筆や校正で連続数時間作業をした。後頭部に痛みがあり、警報を感じて休みを取り,また仕事を始めた。1960年代の手帳を見て確認することもあり、中に私が会った日本人の文化人類学者の名前を確認した。1971年2月10日10時「明治大学の蒲生正男来訪」と書かれている。その時の韓国文化人類学会長の梁在淵博士と夕食をしたのを覚えている。その時代は記念写真を撮るようなことはなかった。私も後に写真、録音、撮影などをするようになった。英文タイプライター、ハングルタイプライター、ワードプロセッサー、コンピューター、スマートフォンなどへと変わってきた。過去を振り返ってみるといつも原始時代から現代まで長く生きてきたと感じている。
 手帳の住所録を見ると多くの人と付き合って交際の幅も広く変わってきた。長い付き合いもあれば一時的な人も多い。また多くの人はこの世を去った。去年で私の恩師は全部なくなられてしまった。どう生きるか。今更…。しかし若い時は人生観など考えなかった。ただ生きるプロセスであった。それが失敗か成功かも感じなかった。今悟るような気がする。悟れるかと思ったら後は短い。新年のお祝いには寂しさもある。
 

 


流配(島流し)の刑と弾劾

2017年01月02日 05時54分39秒 | 旅行

 新年礼拝には意外に多くの人が参加した。長老たちの家族・親族が多く、普段の3倍ほどであった。牧師は説教中信者たちにお互いに声を出して新年の挨拶をするよう数回勧めた。韓国人牧師の特徴である。初めて来られた人には不都合なこと、時間をオーバーしながら繰り返しの「説教」であった。その牧師とココスで昼食。一緒に参加した信者が彼女(牧師)のロマンスグレイ―を美しいとほめた。自然なヘアーだという。
 朴大統領は化粧に関心が高いのか。夜のKBS9時ニュースで彼女自身がその問題のセウォル号事件の日に美容手術を受けていたのではないかと疑われたことに彼女は正面から「とんでもない」と否定した。私は彼女の言葉を信じて嘘ではないと思う。私も韓国の大学で総長の秘書から嘘つきだと言われたことを覚えている。「とんでもない」。何も弁明や解明はしなかった。
 私は短期間ではあるが高校の国語の先生をしたことがある。古典に松江、茶山、尹善道の作品を教えられ、また教えたことがある。3人は罪を犯した人として流配(島流し)の刑を受けながら名作を多く残した。作品を教える授業で、作品中心は良いが、罪については政治、陰謀だと簡単に言い切られる。つまり「裁判は正しくない」ということを教える。憲法や法律は「鼻に掛けると鼻輪、耳に掛けると耳輪になる」という民衆の法意識が強い。その点沖縄も似ている。律法主義も困るが法の上の民心も問題である。彼女も弾劾を受けながら名言、語録を残すかも知れない。

*写真は2017年祝砲の門司港の花火 


謹賀新年

2017年01月01日 06時23分26秒 | 旅行

 昨年までは誰かを招き大晦日を過ごしたが昨日は例外的であった。家内が私の好みの大根スープ、豆もやしナムルなどご馳走を作った。お祝いの意味だろう。小さいコップにはビールも入っていた。一気に飲んだ。良かった。しかし完全に酔っぱらってしまって不調な一瞬であった。横になり、一新してNHK紅白を見始めた。歌、演芸、トーク、ユーモア、踊り、ダンス、先端の技術と光の舞台、そして司会などが最高であった。比較するのは変かも知れないが、日本人たちは韓流ポップに負けるような感がないとは言えなかったが、昨日のものはやはり日本の技術と芸術はアジアの最高であると思えた。外国人が混ざるようなオーバーな国際的色はなかった。ただ本当の日本文化のものであった。除夜の鐘がなると同時に門司港の花火が上がった。深夜12時の火花は朝鮮戦争以来のことであった。
 子供時のような祭りなどが繰り返されても思春期を繰り返すことはできない。命はただ時間によって戻ることなく変わっていく。輪廻転生という信仰があるが希望に過ぎない。命はただ生きている。それは死に至るまで変化する。それが自然である。しかし死刑が怖いようにわれわれは死を恐れている。天国、極楽という信仰に救われることもある。今日は日曜日とお正月が重なっている。牧師は何を語るのだろうか。日本人の多くの人は初詣、何を考えているのだろうか。あなたは死に向かっているのか、天国へ向かっているのでしょうか。

2017年、「新年、あけましておめでとうございます。幸多い一年でありますように」

 謹賀新年 昨年は健康に恵まれ、皆様に支えられて調査研究(カンボジア、中国、韓国)、著書『植民地歴史を正しく見る』出版、「楽しい韓国文化論」「アジア共同体」などを行うことができました。幸子は下関、森山病院10年勤続で表彰されました。ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。二〇一七年元旦崔吉城・菅原幸子


執筆中

2016年12月27日 05時39分21秒 | 旅行

 冬には珍しく本格的な雨の中、定期受診。朝刊拙稿コラムの感想を語ってくれた初読者は主治医の池田先生であった。掲示板には産経新聞下段全面広告に先生のインタビュー方式広告が載っている。いつもの受診の時に拙文にコメントをし、下関では文化意識が低く文化活動が難しいというご自分の体験を語ってくれた。それは地方の小都市だというだけではない。音楽会などの開催においても隣接の市に比べて関心の低さの話であった。私は地方に住んでいても地方性に制約されず常に世界に開放し挑戦中である。
 原書読書などで夜まで大学で過ごす。数人の教員たちに会って言葉を交わした。年末年始のまとまった時間には研究論文を書くつもりだと言う言葉が多かった。真面目な研究者たちに勇気づけられる。私はこの年末年始休暇に執筆中の『韓国の巫堂』を終わらせようと心を固めた。
 
 

 


「早く早く빨리빨리現象」

2016年12月12日 05時45分25秒 | 旅行

 韓国現象をどう見るか、大概日韓の相反する意見がある。昨夜韓国在住の産経新聞の黒田勝弘氏はテレビで数十万から百万単位の群衆の集まりはデモではない「民主化デモではない祭りだ」「群集心理だ」と言った。人口の少ない国においてなぜ多くの群衆が集まるのか、否、だからそうなりやすい。弾劾が決まってもまだ祭りは終わっていない。沖縄現象とも似ている。昨日教会で金明均牧師は説教の冒頭でこの韓国現象を「早く早く빨리빨리現象」と指摘した。彼の説教は深い内容で、明快、短く、ベストであった。礼拝後に具長老が韓国現象を心配し、私の意見(新聞へのコメント)に賛同した。私は日本より韓国が民主化は先進したと思っていたが今度の韓国現象には大いに失望している。
 礼拝後立ち寄った百貨店のフロアーではクリスマスツリーと子ともたちのダンスの発表会で賑わっていた。福祉フェスタにも顔を出した。受け付けで曽田県議員、田辺市議員、学生たちや知人にも会った。家内と一緒に抽選に投函した私が2等にあたった幸運。ギャンブル、カジノが国会で議論していることに私は一生ギャンブルをしない、宝くじも買ったことがないと、ある新聞コラムに送稿したばかり。なぜかこの当たりの幸運に戸惑っている。
 

 


「命」「断髪」

2016年12月08日 05時41分48秒 | 旅行

 講義、研究会、講座などが続いているが、来年の予定も埋めていく。新年1月までワンアジア財団支援講座、3月には地元の楽座で講演と松本で行われる日本映像民俗学の年大会で作家柳美里氏との対談、5月には町裏塾で「雀様が語る日本」などが予定されている。負担とは全く感じず人との出会いを楽しんている。昨日文化人類学講義では出生率と男女差別が儒教に影響されていることを議論した。中国の女子学生は全員4人が生まれ変わるとしても女で生まれたいというが韓国の女子学生2人は男として生まれたいという。男性中心社会で出生率さえ調節されていること、私が岩波書店『絆』に寄稿した妊娠中絶の問題に触れた。それと関連して、柳美里氏の問題作の原作である映画「命」とBBC作「China's Child」を紹介した。
 「命」は韓国風の泣かせる映画だと思ったが、本当に泣きそうであった。不倫相手の子を身ごもったとわかった主人公は、同時に元恋人が癌であると知り、辛い現実が描かれている。柳氏は「魂」の問題にも触れた。今東北地方でシャーマニズムなど民間信仰を調べていると北村氏は言っておられた。彼女は面識はない。楽しく対談をしたい。
 今週は県立広島大学名誉教授原田環氏が「断髪」を持って東アジアの近代化を語る。古くは侍など禿げ頭が流行した国の日本で、今は前髪をたらしているのが一般化されている変化に質問したいとおもっている。文化評論家でもある本学の清永氏も登壇してコメントをする。面白そう。多くの市民にも参加してほしい。

 原田環(県立広島大学名誉教授)

「亜細亜3国(日本、朝鮮、清)の近代化の相互比較ー断髪ー
 2016.12.10 14:30~16:00 東亜大学13号館202
 


映画作家北村皆雄氏のお見舞い

2016年12月06日 06時04分09秒 | 旅行

 運動のために歩くのが良いと思い都内を歩いた。東大の前を横断、第一書房へ立ち寄り、地下鉄で上下5キロ超えるカバンを持って歩いた。高い階段、長い連結道を歩いた。映画作家北村皆雄氏のお見舞い、元気であったので挨拶と打ち合わせもした。昨日の東京はぽかぽか。夏日のようであり、歩くのはは軽い運動とは思えない、私には重労働であった。新幹線に乗るために立っていると車両が着き、薄いピンクのユニフォームの掃除の女性たちが並んで去る客へお辞儀、車内に入り掃き、拭き、椅子を回し、カーバー掛け、点検など10分内で終えてから確認してお辞儀をして次の仕事へ行く場面をみて、感謝の気持ちで乗った。日本文化はまだ健全である。アジアはまだ日本から学ぶべきものが多いと思い、乗車ノートパソコンを開いて日記を書いた。富士山が窓から見えた。美しい。誰かが美術的には美しくないと言っていた。結局夜帰宅してノックダウンの東京の日程であった。
 旧聞になった山口新聞の月曜日コラムに書いた「韓流」を目にした。

                  「韓流」
「冬のソナタ」によって悪かった日韓関係が最高潮になり、大衆文化の流行として「韓流」は良いイメージをもっていた。韓国のテレビドラマに限らず映画、音楽のKポップ、キムチ料理、ハングルや文学などがブームになった。韓国は国威発揚の契機とし、さまざまな「韓流」ビジネスを海外へ拡撒した。それは日本だけではなく、中国や東南アジアまで広く流れていた。しかし「韓ドラ」という言葉はいつの間にか激変し、今では「韓ドラ」は否定的なイメージが強い。中国では韓流を締め出す「限韓令」を全面適用すると聞いた。韓流ドラマの放送や韓流スターの出演を禁止するという。日本では2年前に放送されていた「密会」が朴槿恵疑惑に関連する韓流ドラマだといわれる。
日韓関係が悪くても良い友好関係を保つためには民間レベルでの親善活動が常に行われるべきである。山口は総理大臣の多産県だと言われており、東京志向に感じられる。大陸向けには積極的ではない。下関は釜山とは姉妹都市であり、大会や祭りなどイベント的行事はあっても地道な活動は少ない。私は日韓親善協会と協力して「楽しい韓国文化論」を行っている。来年6年目を迎える。今東京のワンアジア財団から支援をうけ、公開講座「アジア共同体」15週進行中、市内全大学の学生と市民に公開している。参加者が少ないのはとても残念である。
 

 


上京

2016年12月03日 05時17分05秒 | 旅行

 今、朝の5時過ぎ、これから新幹線で東京へ一人旅になる。手術以来家内が同行しないで一人での出張は初めてのこと不安もある。家内は午後2時半から4時まで行われるワンアジア財団支援講座10回目松原孝俊先生の「東アジアの国際交易ネットワーク」に助力しなければならない。講義の司会は同僚の西沢先生にお願いしている。東京の東洋大学では科研4年間の総合結果の研究会である。「帝国日本における人とモノの移動に関する文化人類学的研究」という大きいプロジェックトである。その4年間の総合討論のパネルディスカントでたった10分ほどの時間を話すために上京する。コメントなどで話すことが多い私に初めて正式に発表時間をいただき、ありがたくちょっと長目のレジュメを用意した。評価と反省をすべきある。
 私が代表とする3年間の科研は研究費は使い切ってしまったが先週韓国調査に行ってきた。自分の研究と科研などのプロジェックトの研究とはどう照合すべきか、考えている。表題の問題意識を持って研究メンバーたちは問題に集中すべきであろう。日本に来てこのような研究費に恵まれて研究を続けていることは感謝である。私の研究は日本の植民地から世界へ広がっていった。フランス植民地圏とイギリス植民地圏の対照点、先進国となった旧イギリス植民地の南アフリカ共和国では多くのことを考えた。日本の植民地でも南北の対照点がある。どう評価すべきであろうか。

*写真は2年前台湾国立博物館の後藤新平像


 
 

 


韓国の政治祭

2016年11月30日 05時31分37秒 | 旅行

 「下野」という言葉は日本では耳慣れない漢字語である。今韓国では朴クネ大統領に向かって使っている。私は1960年の李承晩大統領の下野を覚えている。当時は政治不信はあっても李大統領にはカリスマがあった。「下野」によって世論は変わったが、その後自由化、民主化の過程は混乱状況であった。結局独裁者を招くようになり、朴正熙のクーデターにより軍事独裁時代になり、そして、大統領暗殺の悲劇、その娘朴クネ氏が大統領になって国民は失望している。このような戦後史は北朝鮮や中国は経験していない。独裁体制でまま安定している。おそらく彼らは民主主義を不信するだろう。選挙が民主主義の最後の防波堤であるがポピュリズム、人気主義により過ちを繰り返す。今の韓国は混乱と悲劇を繰り返している。
 昨日午後下関ある新聞の方から朴クネ大統領の辞任について意見を求められて驚いた。朴クネ大統領の談話は李承晩大統領の下野とはやや違う辞任表明である。政治的な空白を懸念したと思われるが野党は一斉に弾劾を避けようとする陰謀 "꼼수"だといい、弾劾の動きを続けるという。そして空白に入ろうとする。4.19革命は学生運動であって、政治家の存在は薄かった。今は政治家たちによっておこなわれる祭り式デモである。今の時点で安定してほしい。


「運動」

2016年11月29日 05時35分51秒 | 旅行

 最近の受診により健康回復に自信を持つようになった。しかし私は障碍者である。昨朝歯科受診のために長く待っている間に歯を抜くことを懸念していた。家内は服薬中であり出血は危険といい、細かく記した。医師もその旨理解し智慧を絞って無事に治療ができた。午後は内科受診、インフルエンザ予防注射、受診結果もOKで、運動をせよと言われた。「運動」ってなに?。私に縁の薄い単語である。「動き」として理解している。加齢によりこれからは下がり道を静かに歩くだろう。今週末東京での研究会には一人で行く。大分歩き、考える。
 昨日の山口新聞コラム(2016.11.28)には「朴クネ騒ぎ」と題として次のように書いた。

 
朴クネ大統領のスキャンダル騒ぎの最中、韓国に研究調査に行ってきた。メディアの連日の報道により国難状況だと思ったが釜山行きの飛行機ではほぼ韓国人で満席、表情は平安であった。3泊の滞在中、どこにも不安な状況は全く感じなかった。食堂などでのテレビの大統領弾劾のニュース、蝋燭集会100万人などの報道に注視する人はあまりいない。ある人にそのわけを聞くとテレビだけが騒がしいとメディアへの評価は低い。
 
数日前ソウルある軍事評論家からの電話に私が「韓国は大変だね」と言ったら彼は朴クネ大統領が父親の朴正熙大統領のお陰で大統領になったのに反日的態度をとり、メディアと世論を気にしすぎ、父親の業績を顕彰せず親不孝であったので、支持基盤も失うこととなったと説明していた。彼女の4割ほど支持率は父親への支持であったといえる。それに似た話を数人から聞いた。
 
朴正熙大統領の業績の代表的な政策はセマウル運動である。一般的に韓国人は記録保存が下手、古文書が少ないと言われているが、例外的に全羅南道和順郡道荘里にはセマウル運動の実態が分かるようなセマウル運動関連資料が保管されている。そこで村の指導者たち、地域の大学教授、文化財専門委員のお話を聞くことができた。セマウル運動は日帝時代の農村振興運動のような政策だったと私の研究成果の内容の話が出た。


 

 

 


人間は機械の付属品?

2016年11月26日 04時54分20秒 | 旅行

 昨日は釜山外語大学の日本語担当の教授二人が訪問(写真)。韓国政府から重点大学として支援を受けているという話を聞くだけであった。衰えていく日本の大学、旺盛な韓国の大学が対照されるような話だった。若い青年韓国と老年日本の比較のような話だった。韓国もいずれ老いを知るはずであると寸評した。私はワンアジア財団支援講座の講師の姜信杓氏から旅券期限切れの連絡があり、来れないかも知れないと、話が続く中でも不安であった。しかし夕方ようやきく通話ができた。異常なし、意外にも今朝下関港に着くという。彼は「心配はいらない」といい、乗船することができたといい、安心した。しかし発表原稿はハングルのものが1枚、準備を急がなければならない。 周りの人たちは旅券の期限切れをたった1日で更新することは不可能だと言っていた。しかし私は可能性を信じた。以前私もを韓国で同様なケースで、2時間で更新してもらい出国、国際的に体面を守ることができた体験があるからである。規律、規制、律法の遵法精神の厳しい日本社会ではありえないというのは分かる。ここで考えなければならない点がある。機械化や電算化している時代になっていく、そのような社会に発展していく。つまり機械化と電算化されていくほど人間の存在は薄くなっていく。しかし機械化の中にも人間は存在すべきである。状況によって評価と判断、決心する人が必要である。それは機械化の中の人間、厳しい規制の中の例外であろう。社会は機械化していく、人間は機械の付属品とされていくのか、ほんとうに人間が機械を管理しているのだろうか。これを知る日本人はすぐ遵法精神がない、後進国と思いがちである。あくまでも人間性、人類愛は失ってはならない。


私の地縁、学縁、血縁

2016年11月24日 05時37分42秒 | 旅行

 数人の方の斡旋で釜山の東亜大学の総長と会った。私は総長に関して何の予備知識もなく、ただ下関の東亜大学と同名であることで親善訪問したのである。博物館では70年史、発掘資料の展示などを見て圧倒された。行く車内で同大学の金粉淑教授から彼がソウル大学国文学科出身であることを聞いただけであったが、韓錫政総長との面談の時間は楽しかった。それは韓国式の出会いであった。
 彼は私に関する情報を多く持っていおられた。まず彼は私の著書から私の名前を知り、満州映画に関する文を覚えている。ソウル大学の彼の先生たちと私の友人、知人の話で人脈の探索が始まり、私の教え子の蔚山大学の魯成煥教授から聞いた話から広がる人脈、また昔私の慶南大学の同僚であった韓錫泰氏が彼のお兄さんであることなど話は無限に広がった。彼の私への誉め言葉は「崔先生のところで勉強した人は全員教授になる」ということである。多くの弟子を生み出したことが称賛された。地縁、学縁、血縁などが総動員したような人脈の話であった。私は彼に親善のための講演を頼んだ。彼は総長という行政とアカデミズムのバランスが難しいことばを漏らした。私は老後のためにも楽しい学者の道をやめないようにアドバイスを残して空港へ向かった。空港で私の所持品の中の真鍮の靴ベラがX線検査に引っかかってボーディングカードをチェックされ、それを戻してもらったような、ないような、その過程で紛失しておお騒ぎになり、結局のところ再発行してもらった。

 


慰安婦文玉珠記念館

2016年11月23日 06時48分29秒 | 旅行

 朝食は友人の郭病院理事長の郭東灌氏夫婦と豆もやしスープを食べながら、時局談をした。韓国の朴大統領のスキャンダルで政局が混乱することで弾劾などの過激な動きには私も否定的であった。1年任期を待つしかないのではないかという意見であったが、このような人は少数右翼に過ぎないと非難されるという。ソウルの知人の軍事評論家もほぼ同様な意見であった。朴クネは父親の影響で大統領になっが親日だと非難されるかと懸念して反日的態度をとってきたので朴正熙氏の偉業を顕彰もしなかったので支持基盤を失ってしまったという。私も同感である。今の時局は政権争奪戦に過ぎないという意見もある。メディアは煽動道具に過ぎない。
 10時からは慰安婦文玉珠記念館を観覧した。窓口の女性は私を知っているというのでびっくり。彼女は啓明大学時代私が指導した仮面劇サークルの学生であったという。嬉しい再会であった。その時代を浮かべながら話をしている内に学生観覧者たちが入場し、中断したりして断続的に談話を交差しながら資料と情報収集に協力を願った。写真、映像、説明文など、特に森川万智子氏のインタビュー調査の映像を見た。ロッテ百貨店ではビビンバをご馳走り崔鐘星氏の運転で釜山へ。プサンでは張竜傑と彼の娘さんに会った。彼女はイギリスで奉仕活動、アメリカで語学研修をし英語の先生、日本語もかなりのレベル。弟子たちの崔仁宅、張相彦、張竜傑と娘らさんと一緒の夕食は数十年若返った気分であった。