goo blog サービス終了のお知らせ 

崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

シリア戦争

2016年10月21日 05時14分40秒 | 旅行

 昨日の読書会では生命倫理について議論した。長い人類史の中で人は食料を探して特に肉食をしながら移動してきた話である。ある人類集団が他の人類集団と殺しあってきたことに関することである。人類史とは残酷史であろう。しかし結ばれ混血を続けてきた人類史でもある。それで出来上がった多民族が真摯に平和友好になるのは可能であろうか。シリア戦争の映像を見ながら2千年前イエスが人類愛を訴えたその地域では不和と戦争は絶えず続く。人類愛の「愛」とはなんだろう。感情的なものと思われがちであるがフロムは『愛の芸術』で愛は知的であり、倫理や社会的なものと主張した。
 今生命倫理や人権思想を強調する風潮が流行っている。私は釣りやハンテングの映像には抵抗がある。動物の生命を尊重し、菜食主義者もいる。モルモットさえ実験用でも殺してはいけないという。しかし肉は食べる。考古人類学専攻の鵜澤和宏氏は人骨にも人権意識があり、骨返還の民族運動もあるという。医学博士の倉光誠氏は死体を物体として考え、解剖するという。しかし解剖後には葬式を行うのはなぜだろうかと。
 

 


蜘蛛の巣

2016年10月18日 05時48分59秒 | 旅行

 「生きている口には蜘蛛が巣を作らない(산 입에 거미 줄 안 친다)」という韓国語の諺、生きている間は食べることができるという意味である。今私の机上に深夜に蜘蛛が巣を作ったのを見つけた。どういう意味か、予兆か。新しい研究に挑戦しようかと思った時、忙しいのでやめようかと思ったが、プラス思考にすることにした。毎週の公開講座の担当、12月の科研グループでの発表、来年3月に映画「冥界婚」について有名作家柳美里氏とのトークショーなどが続く。蜘蛛が巣を作らないように頑張らなければならない。
 釜山と下関の姉妹都市40周年記念行事に中尾友昭市長を団長として多くの人が今日フェリーで出発する。下関の朝日新聞の上山崎雅泰記者からその意味についてインタビュー、私の日韓関係に関する見解が求められた。いかに政治や政治家の関係が悪くても民間人は友好的、倫理的であり交流は深められていると語った。そのことが今朝の朝刊に「友好は高まっていく」など12行にわたって書かれている。


ビビンバ文化論

2016年10月16日 05時47分11秒 | 旅行

 昨日のワンアジア財団の支援講義は本学の考古人類学者の鵜澤和宏教授が担当して行われた。私は平素彼と研究内容を話し合っていてほぼ対話式で進行した。彼は人類が50万年前から南アフリカから日本列島まで移動したルーツを語り人類は混血、雑種であり、遺伝的に純粋な韓国人、純粋な日本人、純粋な中国人、というものは科学的には見つけることができないといい、「アジア人はビビンバみたいなものです」と言い切った。ビビンバはごはんとトッピングされているナムルと混ぜ合わせてもおかゆ状になることはなく、混じった状態でそれぞれの味をしっかり出しており、その調和がとてもおいしい。この比喩話で聴衆の表情は明るくなった。それには私の質問は多かった。ここから対話式のチームテーチンゲになった。


 C:なぜ人は移動するのか、それはフロンティア、ロマンスを求めた行為であろうか。
 U:食べ物を求めて移動から定住へ。
 C:日本人の起源は?以前一緒に議論したことのある宝来氏は血清による調査で世界で日本人に一番似ている民族は朝鮮人といわれたが、DNA研究成果による差はないのか。
 U:その差はほんの少ししかない。大陸の原アジア人から埴原和郎氏(1927-2004)は弥生時代渡来人によって日本人は二重構造説を出した。
 C:埴原氏の『日本人はどこから来たのか』の本がある。
 U:弥生人は稲作文化をもたらせた。
 C:稲作文化を中心に、文字を共有する漢字文化圏、思想を共有する儒教・儒学の文化圏であるアジア。しかし近代国民国家になって植民地や戦争によって関係が難しくなっている。
 U:Kポップなどのユースカルチャーの大衆文化が流れ、共通性をもつ。
 張竜傑:日本文化を開放する前はアニメは日本のものという意識がなく流入されたが金大中大統領の開放政策によって日本のアニメという意識ができた。
 C:フランスのパリでは日本のアニメーションが流行り、日本が好きになったという発表をそこで聞いたことがあるが韓国でもその傾向があるか。
 張:やはり若者たちが日本が好きになる傾向がある。
 C:私の調査では老人層より若者が反日的あったが…。
 張:今は変わっていると思う。
 U:喧嘩しても和解できれば…。

夜は「源平Night in 赤間神宮」を鑑賞
 

 


 

 


言葉と文字

2016年10月15日 05時23分51秒 | 旅行

 十数年まえ広島大学を定年する時、研究はもちろん人生も終わりという末期不安に落ちた。私書の多くを韓国の日本学科など数か所に寄贈し、英語の本は貰い手もなく、私がいつか読むつもりで残した。それが主に自宅の書棚にある。その中から取り出して読書することがある。英語の実力が高調したとは思えないが読書を楽しんでいる。それは加齢による経験の力だと思っている。読書だけではない。現地調査ノート、録音や撮影した資料を再度見ることもある。しかしその方法を考え直さなければならないと思い一冊の本を手にした。
 ジャックグウディの本(Jack Goody,The Interface Between the Written and the Oral)が面白くて、目が離せない。彼はアフリカのガーナーでインタービューしたことなど現地調査に基づいて文字の起源を論じている。文字の前の時代は言葉の時代であった。私も生まれ故郷での生活を振り返ってみた。全くオーラルの世界であった。門中の宗孫の一人が漢字の祝詞を読むのが最高知識人であっても漢字を使いこなせる人はなかった。私の父はハングルとソロバンができた。しかしオーラルの村にもコミュニケーションがあり笑い、喧嘩、和解などが行われた。私はこのように原始時代を生きてきた。私だけではなく人は原始人のように生まれたのである。
 


 
 

 


スポーツの美学

2016年10月13日 04時58分58秒 | 旅行

 運転免許のない私には運転は簡単と思う時がある。ただアクセルを踏んで、ハンドルを回すだけのように思える。ピアノ演奏も私はタイプライターを打つのと似ていると思うことがある。その話題にある人が本を読むのも同じではないかと反問され、戸惑った。パンソリでは音を知る「得音」が名唱になるという。ピアノの名演奏も「得音」を知らなければタイピングと同じであろう。学問も知り尽くしだけでは十分ではない。信仰も悟らなければならない。
 大学では少人数の講義が多い。人気がないともいわれる。これは今だけの現象だけではない。小人数の寺子屋教育に戻って考えるべきである。私は漢文訓読の講義を唯一の受講生として受けたことをプライドと思っている。昨日美学者の金田晉氏が中井正一氏の話をしてくれた。中井が尾道で講義したとき聞き手はただ一人、母親だけであったという。中井氏は1900年生、応援団体験やスポーツ体験から集団や委員会の問題に「きれい」をもちこみ、スポーツの美学を創り上げた。オリンピックの美というとリフェンスタル・レニーの映画を思い出す。


 

 


伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社、2001)

2016年10月04日 05時12分28秒 | 旅行

 「暮らしにくい韓国」「国境を越える韓国人」「海外同胞五百万」などの章が続く伊東順子著『病としての韓国ナショナリズム』の読書は読むというより私の辛い経験を思い出すものであった。ナショナリズムは外人だけではなく韓国人を追い出す力にもなっているようである。著者は1990年代の韓国のナショナリズムを韓国での日常生活、西洋人との付き合い、観察によって綴っている。西洋からのある留学生が「それでも中国人や日本人の中には学問上の友人ができたのに、韓国ではそれすらできなかった」という。私が韓国の大学で教鞭をとった時、日本から有名な歴史学者が訪問してきたので同僚の韓国史専攻の教授に紹介しようとしたら断られたことを思い出す。彼は後にソウル大学の教授となった有名なナショナリスト学者である。
 「韓国人は全員がナショナリスト?」「韓国人はいつもわが国。わが民族。全員が国家代表みたい」といわれる韓国の開天節、10月3日BC2333年前開国したという神話による国慶節である。私は昨日広島で開かれたその開天節記念行事に参加した。300人ほどの参加者で終始密立して式が行われた。ただ国旗への敬礼はなかった。日韓親善のための祝辞などを聞いていると総領事との別れ、酒を一緒に飲んだ彼の人脈のような雰囲気があった。私も知っている顔もあって、伯和グループの安本会長とは久しぶりにあって嬉しかった。宇部市長などとも久しぶりに会った。一緒に参加した楊小平氏と多くの時間を共にし、いろいろなことを話すことができてうれしかった。


「下関と釜山の物流」

2016年10月03日 05時11分50秒 | 旅行

 最近忙しい日が続いている。時間に追われている家内が外での用事を済ませ急いで学校に来て手伝い、必要なことを全部済ませ、夕方帰宅時に運転をしながらガスに火をつけたままだったと思い出した時はあまりにも遅すぎ。わが家は火事になったかも知れないとひやひやしながらマンションの駐車場に着いた。マンションに変わった様子はなく、下から見上げた窓のカーテンがそのままで少しり安心。急いで中を確認。ガスは自動で止まっていた。感謝そして反省。クリは美味しくできていた。昨日5年目である「楽しい韓国文化論」の講義が終わった。友松会長は登録者が多く、出席率も良く、内容も質高いものだと評価し、今度のテーマの「釜山」は良かったという感想を述べる人が多かった。講義終了後、特に高齢者にとって頭の体操のためにも講義を聞いて考える機会にしてほしいと曖昧な言葉を投げてしまった。記念写真も撮った。
 最終日であった昨日は魏鐘振氏が「下関と釜山の物流」を担当した。釜山港の改築発展の様子と未来像を語った。自由貿易区域設定などの話をききながら朴正熙大統領時代に馬山、龜尾の輸出団地を思い出した。それが韓国経済発展に貢献したといわれたがそれが生かされたか、全く新しい発想であろうか。11月4日(金)~11月7日(月) 釜山(金海・伽耶文化歴史めぐり)の現地研修旅会にも定員超過、金井山城のマッコリの試酒なども楽しみとなる、その日程が残っている。

 


反日文化圏

2016年09月30日 06時11分41秒 | 旅行

 読書会のメンバーの倉光誠博士が書かれた拙著『植民地歴史を正しく見る』に関する第2回目の3ページに及ぶ書評が届いた。ここに要約する。
 韓国人の反日感情が反日文化圏で最も強く、北朝鮮より強い。政府が反日感情を増幅させた文化政策、反日教育などを実施したことが主要な原因である。その反日感情が日本との外交上の阻害要因になっている。反日感情の程度が植民地の悪政と比例するとはいえない。歴史が悪かったから現在も悪いとは限らない。植民地時代より解放以後愛国志士(?)が多く現れた。それは韓国国内の「親日派」に向かって党争のようなものである。
 言葉や映画・ドラマのなかに「言葉の暴力」が許されながら日帝残滓清算が行われている。日本の植民地の意識構造から完全に抜け出ていない。イェ―ツのことば「英国の植民地ということを意識から完全になくさない限り、自由になることはできない。」という。もっと根本的に人間として自由にならなければならない。
 著者が再三指摘することに対して韓国ではどのような反応があるだろう。倉光氏は「著者の理性を失わない勇気に対して、日本国民としてどういう形でお応えしたらいいのだろう」という。韓国人から日本人に利用されているという批評があった。さらに彼は「安重根の暗殺は犯罪か、愛国行為かについて国家、民族の違いにより真反対の評価がでるので、正しい評価というものはむつかしい」という、安重根と伊藤博文の出会いは「小説より面白い」、「安重根はテロリストである」と本音を言う。テロリストはテロリストにすぎない。政治指導者が安重根に肩入れするのは間違いであると述べている。

*写真は今朝の朝日新聞掲載のワンアジア財団の講座の記事


ディベート

2016年09月28日 05時25分53秒 | 旅行

 私はアメリカの大統領選に強く関心を持っている。アメリカには数回訪問したことがあっても環境整備などの点は日本より良いとは感じなかったにもかかわらずアメリカンドリームのようなものを持っているのはなぜだろう。自問する。それは民主主義と英語への憧れだといえる。それはまた私の朝鮮戦争時代に遡る。一時的にわが村に米軍が駐屯して日本語単語交じりの英語を聞き、日本語以外の外国語の英語に関心をもった。高校時代の英語の先生の指導からは英語の関係代名詞、仮定法などで難しく嫌な感じを受けた。しかし一時期高校で英語とタイプライターの科目を担当をし、米軍将校とコミュニケーションをしなければならずブロックンイングリッシュへ、それがいまに至っている。 
 長く待っていたアメリカの大統領のディベートにブロックンイングリッシュの私は集中した。私は以前から黒人大統領、女性大統領のアメリカの歴史を期待してきている。しかし一党の長期政権は望ましくないと思い、トランプ氏にも期待している。したがって私の心は半分半分、このディベートに関心があった。その心はアメリカの国民も同様ではないかと思われる。司会者がいても多少の反則は許され、ルールはゆるい。トランプ氏からクリントン氏の話し中にわり込みが多かった。それは挑戦と防衛の90分余であった。私は今週からの公開講座の担当者として多くのチームティチング、司会を努めなければならない。不安と期待が交差している。


「冷水」文化

2016年09月27日 04時44分41秒 | 旅行

 私が日本に住み30余年日本化されたものはなんだろう。自分ではなかなか意識しにくい。食生活はまだ日本化されたとは思えない。ただお茶を飲むのは完全に日常的になって私の日本化といえる。お茶文化は日本文化だけではない。昨日台湾台中市在住のフェースブックの友達である頼瑞濱氏からお茶が届いた。彼は私の本の愛読者にもなっている。私は台湾のお茶文化を共有、広くアジアの文化に触れた気分である。
 韓国・朝鮮にはお茶文化が欠如している。現在は伝統茶として流行っているが、コーヒー文化より遅く流行ったものである。高麗王朝までは朝鮮半島ではお茶を宗教的な供え物として「茶礼」があったが李氏王朝の儒教政策によって消滅した歴史がある。中にはお茶を好んだ学者の茶山がいた。しかしお茶文化は消えてしまった。お茶文化から「冷水」文化に変わった。「冷水を飲んで心を一新する(냉수 먹고 속 차린다)」ということわざのように現代の韓国人は温かいお茶から冷たい水を飲み、気分を一新して躍動するようになったのかもしれない。
 

 


「アジア共同体」

2016年09月23日 05時38分13秒 | 旅行

 「アジア共同体」の公開講座の開始が近づいている。ただ個別の講義を並べるわけではない。提供者側と受講者側の総合理解が必要である。アジアと共同体は何を意味するのか考える、その全体の構想を貫いていくように考えなければならない。アジアは世界の中の一部であり、「アジア化」を意味するのではない。つまり国際化やグローバル化の「か」に対置する分裂的な地域中心の団結などを意味するのではない。半世紀ほど国際化とグローバル化を叫んできた。その結果民族主義やナショナリズムが強化されている。国際化という言葉が平和主義を指すようであればナショナリズムは競争、喧嘩、不和を指すような現象が多く起きている。
 共同体の概念も曖昧である。内向けの団結、和気あいあいを強調するように感ずる。しかし東アジア共同体論の多くは生産ネットワークなど連携協力を強調している。「アジア共同体」といえば戦前の「大東亜共栄圏」を思い出すかもしれない。そして日本からの発信ではなく、中国からの発信が望ましいという主張もある。それには民主主義欠如社会主義国家からの発信はどうだろうという批判もある。今日中韓の関係は良くない。古代文明発祥地、漢字・儒教文化圏へ戻るのではなく、それらも基礎要因として検討すべきであろう。政治的には鎖国であっても技術と文化は開放され越境している。国境が障碍か絆か講座を通して一緒に考えたい。
 


休日が邪魔

2016年09月22日 04時46分27秒 | 旅行

 新学期の講義が始まった。この度は文化人類学の受講生は少ない。初めてのことである。中に中国からの留学生の李さんが強く関心があるという。対話式の講義を行った。彼女は日本文化が中国と異なるという。日本と中国の文化が共通するものはなんだろう。それは漢字である。それは日本語を学習する時非常にメリットになる。しかし服装やファッションなどで中国的なものはない。なぜないのか、私の質問は続いた。見えないものではあるが中国人として味覚と臭覚を持っている。それによって日本での食材を持って中華料理を作るという。それは立派な文化論であった。
 公開講座のポスターをこの地域で最も有名な印刷所へ依頼しており、メールなどで相談したが、突然会社に訪ねたが快く迎えられ、仮印刷したもので相談することができた。家内のラストチェックでミス発見、修正したものが出来上がって、帰宅してメールで確認した。すぐ作業が終わると喜んだ時「明日(今日)は休日」と知り、休日が不便だと感じた。働く高齢者は休日に感謝するがまだ私にはそれが邪魔と思えるのは幸せなことかも知れない。
 

 


「国際市場で逢いましょう」

2016年09月21日 05時35分26秒 | 旅行

  海外に住んでいながら時々私を批評・非難する文を投稿する人が日本に来るという情報があって、会いたいと投稿した。彼は韓国で生まれて世界を転々として移り住んでいる方である。そんな彼の話を聞きながら戦後の時代を共有したいからである。ただ一緒に座って話してみたい。しかし彼は意外な反応をした。なぜであろう。私は1959年にある大学新聞に「西部戦線異常なし」について評論を発表したことを思い出した。戦争中に二人の敵兵が同じ穴に落ちて同志となる場面である。私の人生観は変わった。
 今週土曜日は「楽しい韓国文化論」で市民と一緒に映画「国際市場で逢いましょう」を鑑賞する。主人公のドクスは朝鮮戦争の混乱の中、父と妹と離ればなれになり、避難民として国際市場を舞台に生活する。避難する場面では思わず目を逸らしながらも画面を注視した。私は生活が貧しかった韓国の現代史をドクスと共有している。その自分史のような映画を通して、辛い人生を振り返ってみたい。


『雀様が語る日本』

2016年09月20日 05時23分30秒 | 旅行

 まだ先のことと思っていた日程が近づいてくる。具体的には時と場であるが、それより何をもって考えるかという思考のことである。読書は良いがテレビなどメディア媒体が邪魔をする。人の話を聞くのも良い。丸山教会で宇佐神正海氏の創造に関する3回連続、研究会があるということで参加した。彼は84歳の耳鼻咽喉科の医師であり牧師である。宗教と自然科学の接点を持つ方である。聖書は聖霊の予言であり、説明書に過ぎないというのが趣旨、ヨハネの黙示録を歴史年代記的に自由放任>律法>福音へ人類史の信仰的な進化過程を例示した。そこには信仰はあっても科学は感じない。ある人は「盲信だ」と言った。参加したある牧師は難しいと囁いた。
 夜郵便が届いた。山口大学の名誉教授、参議選立候補者であった纐纈厚氏からのお手紙と2冊の本が同封されている。読書感想は後にすることにし、私信ではあるが拙著『雀様が語る日本』(新典社)と『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』に関するもの、本格的な書評といえる内容である。私にとって勇気づけられたコメントであり、本欄の読者にも公開したい。

(前略)『雀様が語る日本』は、先生の御人柄が随所に惨み出ていて、とても清々しい思いを抱かせて頂きました。韓国と日本とを跨ぐ先生の歩みをリアルに追体験させて頂くことができました。特に、「I雀様「日本人」を語る」では、先生の本当に濃密な人生の歩み踏まえつつ、鋭い洞察力と温かい眼差しから綴られた文章は、日本への愛情溢れる内容でした。日本人である私にも、いま一度日本人としての自覚と責任感のようなものを痛感させられた次第です。
 韓国と日本の文化比較考として、多くの気付きを頂戴し、目から鱗が落ちる思いに駆られました。なかでも、「八 日本はもう先進国ではない」と「九日本はまだ先進国である」の節は、とても印象に残りました。何を基準にして「先進国」とするかの問題に、人間の成熟さを指摘され、併せて相互扶助・相互信頼・相互批判が担保された社会こそ、私たちが目指す社会である、と説得力ある文章で諭されているように思いました。
 「Ⅱ 雀様「文化」を語る」は、先生の広範な行動範囲と多様性を大切にされる視点からする本当に豊かな文化考であり、先生の博識ぶりに感動すると同時に、あらゆる事象に先生の個性溢れるアプローチから、ユーモアをも交えながら淡々と語られた章に思いました。なかでも、先生が本当に多くの方々と交流され、豊かな歩みを築かれていることに、研究者・教育者として後輩の我が身を思い返しつつ、なお一層精進しなければならない、との思いを抱かせて頂きました。
 御著書に登場する山口大学教育学部の卒業生である古川薫先生とは、私も著書を頂戴したり、謹呈させて頂いたりの御付き合いを頂戴しております。昨年には山口大学創基200周年(山口大学は1815年創設の藩校である山口講堂を源流としています。東大と東北大に次いで日本の国立大学では三番目の古い大学となっています)の折り、古川先生には基調講演をお願した縁もあり、その後には大学教育機構長(副学長)として共通教育の責任者であった私か古川先生に大学での講義をもお願いしたこともございます。また、山大の図書館長であった私は古川先生にお願して、先生の著作150冊ほどを寄贈頂き、大学には「古川薫コーナー」を設置しています。200冊以上の著作を出版されている古川先生の御仕事を知る上でも、山犬図書館は希有の存在になっていると自負しております。
 また、李恢成先生には、私か理事を務める植民地文化学会(会長は元法政大学教授の西田勝先生)の学会に二度ほど御登壇をお願し、取り分け李先生の『北であれ南であれ我が祖国』をも俎上に上げさせて頂きながら、深い議論させて頂いたことがございます。私も国内外を通して人との交流を大切にしていきたいと思っております。先生の交流の多様さや深さには、到底及びませんが、交流を通して学問や人間を豊かにしていくこが出来るのだ、と先生御白身の体験を踏まえて仰っているように拝読致しました。
 Ⅱの章を拝読していて、政治学者でもある私にとりまして、特に学ばせて頂いた個所がございます。それは、「一七 司法と政治」(pp.203-210)と、「一八 戦争と平和」(pp。211-231)の二節です。「専門家然とする政治家たちが践雇する国会中継を見ながら、私はいつも諦めることなく民主主義を望んでいる。」(p.208)との下りに、痛く感動致しました。私も劣化する日本の民主主義を何とか成熟させたい、との一念で参議院への出馬に踏み切った経緯もございます。また、権力の横暴ぶりに、「鬼が金棒を乱暴に振っているような感がある。」(p.210)と鋭い指摘をされているのにも全く同感です。 
 「一八 戦争と平和」において、先生の歴史認識の深さが随所に垣間見えて、とても充実感を覚えました。「敗戦を教訓に、日本は完全に「敗北」したと認識すべきであろう。」(p.226)とか、「当時の日本人は敗戦しても「敗北」はしていないと考えたのだ。」(同上)との御指摘は、私の近現代日本政治史研究のひとつの到達点でもあるだけに、“我が意を得たり”、の感を持ちました。
 この他にも先生の講義方法など参考になりました。私も山大時代に副学長として文科省と交渉を重ねながら、当面は共通教育授業を対象にして、アクティブラーニング方式の授業形態を積極的に導入し、文科省から一億円余の予算を出して頂き、固定机から可動式机をメインとする教室へと改築作業を進め、学生のプレゼンや学生間のコミュニケーションに便宜を図る機材を設置することに成功しました。(後略)


事故

2016年09月19日 05時24分22秒 | 旅行

 教会の教壇に生け花をすることになって、あらかじめ基礎的な準備をしておいた。そして昨朝礼拝前に教会の庭に満開したムグゲの花を切って完成させようと思っていたが私が着いた時には激しい雨で花は倒れしぼんで使い物にならなかった。華麗さを見せようとしたができなかった。教会では生け花は仏教の供え物とは違って飾りにすぎない。しかし私にはそれは信仰的なことに近い。
 朴米雄牧師の説教のテーマは「事故」であった。つまりキリスト教に出会ったことはその人にとって大きなアクシデントにあたり、人生観が大きく変わることだという。私は内村鑑三がキリスト教に入信してから世界が変わって見えたという告白を思い出した。韓国伝道へ成功したアンダーウッドの日記の話なども語られた。高齢化社会、老人向けの伝道の可能性を訴えた。
 夕方私のマンションの下で交通事故が起こった。すさましいサイレンの音にびっくりして下を見ると、乗用車がガードレールを超えて逆方向を向いて止まっていた。事故車の中をのぞく姿は見えても救助活動は難しいようである。10人ほどの救助隊たちが車体を力で動かし、救急車が着き、動きは速くなり傘をさして見守った人も同乗し行った。2体のクレインが車を移動させた。交通整理、現場掃除まできれいにして行った。私は終わるまで記者の取材のように撮影しながら観察した。聞くところによるとこの事故で命に別状なし。しかしこの事故で関係者は現実に何かが変わるはずである。