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西行全歌集ノート(40)



■旧暦6月1日木曜日、台風11号による大雨、桶川祇園祭二日目。

祭のときは晴れた。きょうのデモのときもそうだったと思う。戦争法案強行採決を受けての国会抗議行動二日目。きのうのデモ参加者は、六万人とも十万人とも言われている。朝まで、プラカードをもって抗議した人もいた。警官は、上から強い命令が出ていて、けっして、デモの人々が車道に溢れないように厳重に警備していた。安全性という理由で。嘘である。強行採決直後に決壊したのでは、政権へのダメージになるからである。鉄柵を揺らす人々に、「危ないですよ」と警官は何度も言う。あまりに、見え透いているので、「危ないのは、安倍晋三の方だろうね」と言うと黙ってしまった。



どうも気分が落ち着かないので、西行を読んだ。二つの歌が眼にとまった。

おのづから月宿るべき隙もなく池に蓮の花咲きにけり

夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺りすうる蓮の浮葉に

この月は、夏の月だが、月は見上げるだけではないことが、この歌を読むとよくわかる。それは「宿る」ものなのである。池に宿り、浮葉の露の玉に宿る。「宿る」というのは、人間であれば、取り憑かれるということである。こころに月が宿る、という言い方はありえるだろう。怖いことである。これを模倣(ミメーシス)という観点で考えれば、芭蕉の三冊子の「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」という考え方とつながってくる。これは、松を知りたければ、松に触れよ、竹のことを知りたければ竹をよく観察せよ、と言っているのではないと私は思う。松のことを知りたければ、松になれ、竹のことを知りたければ竹になれ、と言っているのである。松を心に宿していれば、松を詠める。竹を心に宿していれば、竹を詠める。なにかを表現するとは、そのなにかに取り憑かれることなんだろう。そこには、主客の区分はもはやないのである。

人間に「宿る」もっとも重要な存在は、いのちである。当たり前なのだが、「宿す」のは、相手そのものになることである。一瞬のまぼろしにしても。そして、われわれは、だれも、父の笑い方や母の瞳を宿している。だれかの涙さえ。子宮に宿すだけではない。指先にも宿すのである。





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一日一句(1176)







而してわれらは夏の海へ行く






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一日一句(1175)







議事堂はしんとしづかや夏の月






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一日一句(1174)







楸邨は夏木にならば大銀杏






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一日一句(1173)







端居してあの世の聲がよく聞え






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一日一句(1172)







夏木立神世の影とひかりかな






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一日一句(1171)







燃えるごみ両手に提げし夏菫






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一日一句(番外)




書 金子兜太






木下闇美しかりし怒りの眼

【旧作
               




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一日一句(1170)







椋鳥は大夕焼を遊びをり






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一日一句(1169)







労働のうしろ姿は夏めいて






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