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Cioranを読む(92): Hegel et nous(1) 1932


■旧暦1月17日、水曜日、、針供養

(写真)無題

本の整理と同時に、俳句原稿の整理を始めた。2003年から2009年にかけて書いた俳句をすべて、ファイル化して、ウェブメールにアップしておこうと思っている。災害が起きれば、俳句どころではなくなる。

どうも、もろもろ、元気が出ない。こういうときには、身体トレーニングが意外と効果がある。心の負荷が身体の負荷でバランスされるのかもしれない。

災害・原発関連の政府会合に議事録が作られていない件が、問題化したが、これは官僚・政府の意図的な行動だろう。「情報公開」は、だれが発言したのか、明確化でき、責任の所在をごまかせなくするだけでなく、その情報を使って、市民がどう行動できるのか、が問われてくる。情報公開の厳格化は、権力の責任の所在の明確化と、市民の自律性を確立するために、重要な問題だと思う。

こうした問題意識で書かれた本が出た。『検証 福島原発事故・記者会見』(日隈一雄著)と『主権者は誰か 原発事故から考える』(同、近刊)日隈さんは、インターネット市民メディアのNPJの編集長でもある。



La philosophie de Hegel est l'un des sysèmes de pensées dont la fécinté se révèle moins à une critique purement immante qu'à une critique de nature transcendante, à même d'en saisir la structure logique et systématique, mais aussi les racines irrationelles. Cioran Solitude et destin(1991) p.164

ヘーゲル哲学は、思想体系の一つであるが、その豊穣さは、たんに内在的な批判にあるのではなく、超越的な自然の批判にある。それによって、その論理的・体系的な構造を把握できるばかりか、その非合理的なルーツさえも把握できるのである。

■ルーマニア語からのフランス語訳のためか、シオランがフランス語で書き下した文章よりも、一文が長い。ヘーゲル哲学を評価しているのは、意外だった。「超越的な自然の非合理的なルーツ(les racines irrationelles)を把握できる」とするシオランのヘーゲル解釈は、なかなか面白いと思う。しかも、シオランはルーツを複数イメージしている。今後、どう展開するのか、楽しみ。
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