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芭蕉の俳句(10)


■旧暦7月22日、日曜日、

(写真)無題

今日は、ひたすら休む。運動を再開してよく眠れるようになったのが収穫の一つ。トレーナーによると、月に9回~12回、トレーニングした人が、筋力の向上という点では効果があったという。意外に、少ない感じがするが、こんなものなのかもしれない。

芭蕉の『野ざらし紀行』が読みたくなって、再読している。藤田省三が「野ざらし紀行覚書」(著作集5巻『精神史的考察』所収)という興味深いテキストを残しているので、併せて読んでみたいと思っている。

FBは面白いツールで、今日は、自分の書いたドイツ語の俳句に、ドイツの俳人たちがコメントしてくれたので、少し話す(と言っても、自分のドイツ語力では相当時間がかかる)。言語は社会的なものであるから、集団の中で、その言い回しがどう響くかが、俳句や詩を書く上で、重要な要素になると思う。しかし、そういう響きのニュアンスは、言語集団が異なると、なかなか、はっきりわからない。どうしても、いったん、日本語に直して考えたり、感じたりしているからだ。こういうズレに、自分はずっと興味を感じてきたが、FBではそれをじかに知ることができて、とても嬉しい。



猿を聞く人捨子に秋の風いかに   「野ざらし紀行」

■この句は、芭蕉の発句の中でも、特異なものだと思う。それは、風雅の人を社会的現実で批判しているからだ。こういう批判的な句は、記憶では、ほかにはない(ただし、俳諧は未検討なので除く)。その意味で、いつも、この句は目に留まる。風雅の裏に、こうした現実があることを、忘れるなかれ、と言われている気がしてくるのである。


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