verse, prose, and translation
Delfini Workshop
二重の忖度と安倍政権の初動の失敗
■きょう、共同通信が非常に重要な報道をしている。それは次のようなものである。「新型コロナウイルス感染の有無を調べるPCR検査が、さいたま市では2カ月で約170件だったことについて、市の保健所長は10日、記者団の取材に『病院があふれるのが嫌で厳しめにやっていた』と発言した。」(共同通信、2020年4月10日)このさいたま市の保健所長の懸念と判断は、全国の保健所の懸念と判断だったのだろう。これが、PCR検査が進まなかった理由である。だが、これは保健所の責任ではない。安倍政権が感染症法に規定された指定感染症に新型コロナウイルスを指定したために、陽性者は全員入院・隔離措置となり、この保健所長の危惧と判断が生まれたということだろう。責任は、第一義的に、安倍政権の初動の失敗にある。
そして、全国の保健所長のこの懸念と判断のもたらした感染者数の抑制という結果は、五輪を控えていた東京都と官邸、財界の意向と一致していた。安倍政権の初動の失敗が、市中感染率を上げ、感染経路の追えない感染者を生み、サイレントキャリアを大量に造り出したのであり、クラスター分析はごく初期の市中感染が増える前しか有効ではなかったということだろう。クラスターの追跡は、あくまで、現実とクラスターの数値が一致しているという前提でしか成立しない。暗数が大きくなれば、現実とのズレがそれだけ大きくなり、クラスターを追跡する意味がなくなる。
2週間前時点の感染者数とコロナ関連死者数が一見、整合性を維持しているのは、死者のカテゴリー操作によるものであり、実際には、インフル関連死や合併症による死、自宅での死が、コロナによる「肺炎死」から漏れているということだろう。しかも、このカテゴリー操作の巧妙な点は、原理的に、検証できないという点にある。まやかそうと思えばまやかせる。それはだれも責任を取らないというあの福島原発事故の構造と相似形を成している。
安倍政権による初動の判断ミスの背景は、もし、指定感染症を外せば、新型コロナを前提にしたトリアージ体制を早急に主要都市で構築する必要に迫られ、大規模な財政出動が求められることになるから、外さなかったということだろう。その行動のパターンは、緊急事態宣言が自粛と補償のセットでないことからも、また、安倍総理が胸を張るGDPの20%という108兆円の「大型経済対策」の中身が、貸付や納税猶予・過去の対策の未執行分で構成されており、個人へ給付する30万(4兆円予算)や中小企業対策(2.3兆円予算)は、6.3兆円でしかなく、それは補正予算を組んで執行する分で、実質、GDPの1.1%でしかないことからも、この政権が何をもっとも回避したがっているかが浮かび上がってくる。国家利権村と安倍友と米国軍事産業への無謀な財政支出とは実に好対照である。
民衆は、パニックを起こしていたわけでもなんでもなく、安倍政権を批判する人々や専門家会議に疑義を呈する人々が危機を煽っていたわけでもなんでもない。民衆の危機意識は、原発事故のときとまったく同じように健全であり、それは安倍政権による医療体制構築の妨害に対する批判だったと理解すべきだろう。
東京都・厚労省・専門家会議・(官邸)は、安倍政権に対する二重の忖度(オリンピック忖度と医療崩壊懸念による結果忖度)と政権の初動ミス(金の出し惜しみ)の隠蔽への協力を「結果的」に行い、新型コロナを考慮した早期の医療体制の再編構築を妨害してしまったということだろうと思われる。
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