verse, prose, and translation
Delfini Workshop
往還日誌(37)
■きょうは、忙しくしないことに決めていた。やっと、週末であるから。
掃除して、ムネ肉とブロッコリー、人参、ミニトマト、新玉ねぎの蒸し焼きの食事を作ってから、今年度の計画を立てた。「TB-LB Theory」など、思索が中断しているものを文章化しておきたいと思っている。
午後、御所の東側を丸太町まで下る。途中、京都市の歴史資料館に立ち寄る。
ここに置いてあったチラシで、北区紫竹に「高麗美術館」があるのを知った。1988年開館。ぜひ、行ってみたい。
歴史資料館の展示で、京都が江戸時代から観光都市だったことを知った。さいたまと往還していると、北部・南部を除いて、田畑のない京都がなにで「たつき」を立ててきたのか不思議だった。大きな産業もないので、漠然と、職人の工芸だったのだろうか、と想像していた。
江戸時代、街道が整備され、また、京都の寺社の伽藍が再建され、行事なども頻繁に行われるようになると、全国から、お伊勢参り、京参りのブームが起きた。京都は、王朝物語や戦記の舞台であり、史跡などに事欠かず、観光資源として江戸時代から、認識されていたという。
それだけでなく、京都には仏教の総本山が置かれていることが多く、全国の門徒が、京都をめざした。とくに、「集客力」が強かったのが、東西の本願寺だったという。この背景には、幕府の宗門改帳によって、全国民が強制的に仏教徒にさせられた政策がある。
三条大橋付近や有名な寺社の付近には旅館が当時から数多くあった。
京都の伝統産業は、こうした「観光客」のお土産産業として発達していく。
今の京都の産業構造は、江戸時代には完全に確立されていたことになる。
これで、京都の謎がひとつ解けた。
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