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飴山實を読む(28)

■旧暦7月12日、金曜日、

非常に涼しい。朝、5時に起きてしまった。柳澤桂子さんの『生命の不思議』読了。時間が過去から未来へと直線的に流れることと、言葉を直線的に並べて思考することしかできない構造には、関連があるという指摘は非常に興味深いものだった。おそらく柳澤さんの念頭には、散文的な思考がモデルとしてあるのだろう。ぼくは、韻文的な思考があってもいいと思う。俳句や詩では、言葉は直線的に並んでいても、流れる時間は、循環していたり、断絶していたり、そもそも流れていないこともある。したがって、言語がすべて時間の直線性に関与するとは言えない。しかし、時間の流れ方と言語構造(正確には文章構造あるいは文法)には関連があるという指摘は参考になった。



新月や鵜舟は川を荘厳す   『次の花』

■鵜舟で夏。鵜舟は、鮎漁をするときに、舟の先端に篝火を焚く。鵜は篝火をたよりに魚を追い、同時に、この火で眠りにつこうとしている魚を驚かせる。こうした鵜舟が、長良川に何艘も出ている。時は漆黒の新月である。

荘厳(しょうごん)す、という動詞は、仏教関連の文脈で使われるらしい。はじめ読んだときには、形容詞や形容動詞の使い方が普通と思っていたので違和感があったが、調べてみると、動詞もある。

漢訳語「荘厳」のサンスクリット原語は、vyuuha、あるいは alaMkaara である。前者は「動かす」「押す」を意味する動詞uuh- に、分離を意味する接頭辞 vi がついた vy-uuh- からの派生名詞であり、「分配」「配列」を原意とする。後者は、副詞「十分に alamM」と動詞「なす-kR-」との合成語から派生した、「準備」「装飾」を原意とする名詞である。仏教において「荘厳」とは一般的に、仏国土や仏の説法処を美しく飾ること、また智慧や徳で菩薩が自身を飾ることも意味する(出典「親鸞仏教センター」)。

鵜は鮎をくちばしでショック死させてから飲み込む。それを人間が漁る。残酷な生命世界の掟が厳粛に実行されている。無常と慈悲は表裏一体なのかもしれない。そんなことを感じて、惹かれた句だった。
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