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芭蕉の俳句(196)

■8月4日、水曜日、

(写真)初秋の背広

福田の辞任は、二重の保身にしか見えない。自身のときに総選挙を戦いたくない。自民党の権力を維持したい。辞任は遅すぎた。とうに寿命が尽きている政党を、無理やり延命させている公明党の罪も大きいと思う。麻生だ、小池だ、と目先だけ変えて目くらまして、総選挙を戦うつもりだろうが、演劇的な政治ショーマン(ウーマン)の資質のある総裁じゃないと難しいだろう。参謀役の広告会社の観点で見れば、「日本初の女性総理」というシナリオに小池で一本化できれば、政治ショーとしては面白くなり、話題性が出るので、売りやすいはずだ。そして、女性の支持はある程度期待できるかもしれない。麻生の場合は、「オタク」が売りだが、「オタク」の社会的印象は複雑だ。先日の秋葉原の事件も「オタク」現象と通低するものがある。もとより、エスタブリッシュメントに受けない。ぼくが電通の担当者なら、「オタク」は、両刃の刃なので、かなり計算して使うだろう。麻生の場合は「選挙に行こう!」キャンペーンなど、動員モチベーションを高める戦略に出るのではないか(このときに備えて、ネット投票システムを整備しておくべきだった?)。自民党は、麻生よりも小池の方が、ついこの間の、オバマ対ヒラリーの指名候補争いがあるから、有利に働くと踏むんじゃないか。小池なら、一定の支持率は維持でき、社会的リスクもなく、解散総選挙というシナリオへ持ち込みやすい。民主党がどういう戦略を描いているのか、わからないが、今や、選挙はショー的要素が大きいので、この現実を踏まえる必要があるだろう。演出家、広告会社、マーケッター、コンサルタント、マスコミ担当、サイバー担当などの特別チームを作る必要があるだろう。もうやっているかもしれないが。

つまらない話になった。



嵯峨
六月や峯に雲置く嵐山
   (杉風宛書簡)

■一読、雄大な景に惹かれた。「六月」は太陽暦では、梅雨最中だが、芭蕉の時代は、梅雨明けの炎暑の時期、7月。現代なら、「七月や」と詠むところだろうか。暦と季語の関係は一度整理しないと、季語の本意がうまくつかめないような気がする。季語によっては、暦ごと動かしたものもあるけれど、そうでないものもあるだろう。月のイメージは、その最たるものかもしれない。六月の「ミナツキ」は「水なしつき」から来ているという説もある。この句の場合、景の雄大さを生かして「ろくがつ」と読むという意見(支考)に説得力がある。
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