かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

ニフティ売却で思い出す、80、90年代の我がネット環境。

2014-04-10 21:45:00 | Weblog
 今日は午前中は暖かく、昨日同様の暑さになるのか? と思ったのですが、午後遅くからは雲が広がってひんやりした空気になってきました。明日朝は冬並みに冷え込むそうなので、午後の冷え込みはその尖兵のようなものか、と思いましたが、明日朝にかけて冷えるなら、きっちり灯油を消費し尽くすには都合の良い気候です。寒さで眠れなくなるほどになるのは願い下げですが、そこそこには冷え込んでくれたらと思います。

 さて、富士通がニフティを売却するのだそうです。
 このニュースで驚いたのは、まだニフティが存続していたのか! という方だったのですが、懐かしのブランドがついに幕を閉じるのか、と思うとなかなか感慨深いものがあります。
 ニフティの設立は1986年、1年後にパソコン通信サービスのニフティサーブを立ち上げていますが、私がニフティサーブに入会したのは、その数年後、90年代半ば前という頃だったように記憶しています。その前にはアスキーネットという別のパソコン通信サービスを利用しておりましたが、急成長するニフティサーブに乗り換えたいと思いつつ、なかなか近所にアクセスポイントが出来なかったため、しばらくは様子見を続けておりました。なにせあの頃はアナログ電話回線にモデムを繋いでアクセスポイントに電話をかけてつなぎっぱなしにして使うので、市内3分間10円の従量制電話料金が必要になるのです。長らく待ち望んでいたニフティサーブのアクセスポイントの市内局番開設を待って早速乗り換え、巨大なるがゆえに各段に増加した情報に歓喜したものでしたが、近所のアクセスポイントが埋まっていて使えず、やむなく近隣のアクセスポイントに繋がざるを得なかったりした日には、ちょっとしたやりとりでも早く終わらないかと気が気ではありませんでした。何せ隣町に繋いだら1分10円とか、そのまた向こうに繋いだら30秒10円とか言うふうに加速度的に電話料金がかさんでくるのですから、3分10円でも大概電話代に頭を痛めていた私としては、ほとんど耐えられない苦痛だったのです。その一部も1995年に深夜時間は定額つなぎ放題のテレホーダイが始まり、夜は9時か遅くとも10時には寝て、朝4時とか5時に起きて、繋ぐ人が減ってスピードの増した回線を楽しんだものでした。
 そんなふうに入れ込んでいたニフティサーブでしたが、2000年台に入り、インターネットが台頭し、またADSLサービスが始まるとともにそちらに環境を移行、私のパソコン通信は終了しました。以来10年以上が経過していますが、逆に言うとあれからまだ10年ちょっとしか経っていないわけで、そんな短期間に生じたネット関係の環境の変化を改めて思い出してみると、全く持って驚かされるばかりです。
 ニフティ身売りのニュースは少し物悲しいものの、かつての激動の80、90年代を思い出すきっかけとしてありがたいニュースとはなりました。

コメント
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