いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

誰かチャレンジ??

2009年04月19日 17時18分14秒 | 俺のそれ
これは、とてもユニークだ。

スパゲッティで5キロの荷重に耐える「構造物」を作れ!オランダ 写真5枚 国際ニュース AFPBB News


与えられた条件が正確には判らないけれども、製作途中では他の道具を使っていいのだろうか?
スパゲッティは、茹でる前のものですよね?
本数制限とか、そういうのはあるのでしょうか?

とりあえず、数量制限はないと考えましょう。勿論、茹でる前のスパゲッティ。他の道具はなしで、自分の手と接着剤だけだと考えましょう。


自分であったら、どんな構造物を作るか?
少なくとも、写真で見るようなまるで「東京タワー」みたいな構造物は作らないと思う。作るのが難しそうだもん。
もっと単純なものを作ると思う。


①脚
適当な名前を付けます。とりあえず「脚」と呼ぶことにします。

まず、直径1cmくらいの束となるように麺を束ねます。本当は紐とかで結びたいけど、無いものとするので、1本1本を軽く接着剤でとめていきます。断端がきちんと揃うように束ねていきます。これを続けると、麺の長さを持つ円柱状の棒のようにできます。これを5本作ります。出来上がったら、机のような平な面でスパゲッティの麺の断面を平になるように擦ります。やりすぎて、折れないように気をつけてね。


②板
同じく適当な名前として、「板」と呼ぶことにします。

これは水平方向にキレイに並べ、ただとめるだけ。巻き寿司の時に使うような、竹で出来たスノコと同じように作ります。出来上がりは板状になりますよね。正方形となるように作ります(麺の長さを短めにすれば、その分正方形は小さくできます)。麺の長さの2分の1よりは大きくなる程度でよいと思います。これを4枚作ります。


③組み立て

5キロの物体を乗せる面となるのは、②で作った板です。板の上に板を重ねますが、この時にスパゲッティの麺の走行が直角となるようにします。初めが縦なら次は横、みたいに。これを板1~4で同じように行います(本当は斜め方向にバッテンに組み合わせるといいのかな、とか思ったんですが、板のサイズを合わせるのが難しいと思うので、縦、横、縦、横、と交互に重なっていればいいのかな、と)。これで乗せる部分(=「台部分」と呼ぶことにします)ができました。

次に脚ですが、円柱状の麺を正方形の4つカドの位置に来るように配置し、残り1本は中心に配置します。正方形の大きさは、1辺が大体麺の長さの半分程度となるくらいの大きさです。机の脚の形と、中央部分に更に1本ということになります。上記「台部分」の下面に接着します。円柱状の断面には接着剤を隙間無く流して下さい。円柱状の脚は5本とも円柱断面で接地しますが、長さが不均一であると傾き易いので、できるだけキレイに接着することが必要です。もし脚に浮き上がり部分があれば、断面は机の平な面でよく研磨して、均等に接地するように調整して下さい。台部分の端っこの方は、カッターなどがあるなら、サイズが少し小さめになるようにキレイにカットしてもいいですが、難しければとりあえずそのままでも可です。

こうして台部分と、下に伸びる脚5本で机状の構造体となります。
後は脚のたわみや歪みを減らす為に、途中にハリ部分を追加します。まず、一番下の方に、上から見ると四角くなるように、4つカドの脚と脚を繋ぐ麺を接着します。最低でも脚の長さの中間部分、一番下の方には必ず必要です。途中に追加できる部分があれば、追加して下さい。多くできるなら、横ハリ同士の中間地点に追加。更に、斜め方向に最低でも1本はハリを入れる。できれば、バッテンとなる方がいいです(時間制約があるので、できれば、です)。

残りの中央部分の脚ですが、4つの脚のハリができた後でいいですが、4つの脚に向かう横方向のハリと、同じく斜めのハリがあるといいと思います。ハリの数は少ないより多い方がいいですが、時間の問題があるので、できるだけ横方向のハリを重視し、斜め部分は余裕があれば増やしてバッテンとなるようにするといいのではないかと思います。


以上、完成、です。

本当は麺の長さよりも、格段に短い円柱状の脚が望ましいのですが、断面を切りそろえる道具とか、平にできる方法とか、そういうのがあるかどうかによるかと思います。脚の高さは、頑丈さを望むなら、円柱の直径よりも低い方が断然いいと思います。高さが高いと、荷重がかけられた時の揺れが出やすくなり、10秒以上耐えるのが難しくなるかもしれませんので。もしも、脚の高さを短く揃えられるのであれば、台の中央部分に脚が必ずしも必要ではないかもしれません。

4枚重ね合わせた台部分は、恐らく5kg程度の重量なら折れないのではないかと思いますが、試してないので判りません。隙間なく接着が出来ていれば、接触面が分散して増えるので局所への集中は避けられ、スパゲッティが折れるのを防げるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

1本のスパゲッティを見れば、横長に置いた時に真ん中へんに荷重が加わると、最も簡単にポキッと折れてしまうでしょう。けれど、スパゲッティの一番硬い方向は、小さな断面に垂直な力をかけた時、ということになるでしょうから、それをいかせる構造物を考えればいいのではないかと、普通は考えると思います。なので、束ねた麺の断端の丸い部分に荷重を受ける構造であればいいのでは、と。


誰か、実際に作ってもらえないかな~(笑)




主張と権利

2009年04月19日 11時06分25秒 | 俺のそれ
こんなのが話題になっていたとは。
はてなブックマーク - 赤木氏や有村氏のエントリおよびそのブコメを読んで

うむむ、そんな話が出てたのね、と。
それは別にいいのだけれど、赤木の記事(こんなところで書いていたのね、驚)を読んでみたら、ふと思った。


livedoor ニュース - 【眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!

気になったことを書いてみる。

脚注部分には、こうある。
『「就職氷河期問題」というのは、「家族を養う父親」のクビを切らないために、単身者である若者の雇用を大幅に控えたことから発生した問題である。』


へえ~、そうなんだ、と思ったけど、本当にそうなんだろうか?
90年代後半から、所謂中年サラリーマンの自殺が社会問題化した。40代、50代の自殺者が続出したからだった。それは何故かといえば、リストラ地獄を苦にして、首を切られた人たちが大勢出たことで自殺が激増したように記憶している。赤木が言うように、一家の大黒柱である「父ちゃん」の首を切らなかった為に、独身者の雇用が抑制された、ということだけではないだろう。

そもそも、父親世代の首切りは大規模に行われた後だったと思うよ。所謂「就職氷河期」って、人によって捉え方が違うのかもしれないけれど、直近で言われているのは02年~03年頃だろうと思う。テレビなんかでは、今年春の卒業者たちに比較されたのが、大体02年頃だったので。ITバブル期以降の氷河期では、中年世代のリストラは、ほぼ一段落した後だった。けど、日本経済の長期低迷と頑固なデフレの影響で失業率がうなぎ上りとなり、これは中年男性が職場に留まったせいではなく、新たな仕事が生まれなくなってしまっていた為に、企業側が雇用を落とすしかなかったのである。今年春の新卒者の雇用を大幅に抑制したのも、父ちゃん世代が会社にうまくしがみついて留まったせいではなくて、需要が大幅に消滅した(→結果として、仕事が一気に消えた)為だ。

なので、赤木は、某I田みたいな「学者モドキ」に持ち上げられて鵜呑みにしているのかもしれないが、独身者の仕事を奪ったのが父ちゃんたちだった、ということだけではないのだ。赤木にとっては、団塊世代に怨み骨髄という感じなのかもしれないが、彼らだけに責任があるわけでもない。どちらかというと、人件費の相対的に高い世代(40代~50代くらい)が先に切られていき(早期退職制度とかも含め)、後には若年層の雇用抑制となってしまったのだろうと思う。それは主に新卒人数が多い世代に、最も多くのしわ寄せが行ったであろう。かつての同じ学年に200万人世代と150万人世代では、企業の新卒採用人数が同じであると、200万人世代であぶれる人が多く出る、というのは、判るはずだ。


昨年の派遣切り問題の時に、35歳未満の比較的若い世代の労働者たちだけが切られたのではなく、40~50歳くらいの労働者たちがかなりの数いたのは、ご存知の方々も多いだろう。私もショックを受けたのだが、同じ世代とか少し上の世代の製造業の労働者たちが、派遣、期間工や請負労働者等といった所謂正規雇用から漏れている人が数多くいることを知った。彼らの中には、かつて正規社員だったのをリストラされたり企業倒産などの失業で、非正規労働者となった人も多くいるのではないか。同じ境遇になっているのは、必ずしも若年層だけではないのだ。


《例1》
父ちゃん、リストラで首
  ↓
大学生の息子は学費稼げず、大学中退
  ↓
父ちゃんは期間工、息子はフリーター

《例2》
父ちゃん、リストラで首
  ↓
高校生の娘は進学断念
  ↓
父ちゃんは自殺、娘はキャバクラ嬢


みたいなことは、珍しくなかったのでは。
昔みたいに、娘が人買いに売られるとか、どこぞに沈められる、といったことはないかもしれないが、親が首とか破産とか夜逃げとかで、悲惨な末路を辿ることはあったのではないだろうか、と。父ちゃんが切られたって、苦しむ若者が多数生まれたのは結局同じなのだ。
こういう時、父ちゃんが切られたお陰で(赤木のような)単身者の就職口が見つかって良かったね、なんて話にならないことは確かであり、父ちゃんが切られて苦しむのがいいか、独身男性が氷河期でフリーターになって苦しむのがいいか、どっちだという底辺での競合・選択に話を持っていくのは最悪なのだ。赤木のいう「父親のクビを切らない為」という物言いには、そうした自覚は欠けているのではないかと思う。

そうではない。
むしろ、経済運営の大きな問題こそがまず第一に問われるべきなのだ。政府や日銀は一体何をしていたのか、と。
社会構造の変化についても、企業(経営者たちも含め)や行政や一般社会の人たちや、それぞれに問題があって責任を負うべきであるのだ。旧社会党や共産党などの野党もそうだし、組合団体もそうだ。正社員の組合員たちや、公務員の人たちだってそうだ。


赤木は『人権を主張することも大切だけれども、だからこそまずは他人の権利を認めることから始めてみてはどうだろうか?』といっているのだが、父親世代の働く権利は認められない、ということなのか。オヤジ連中さえ首になっていれば、自分の「就職できたであろう権利」を主張する前に、オヤジ連中の仕事を続けたい権利をまず認めることから始めるべきではないのか。


これまでにも幾度か書いたけれども、ボートの席を奪い合って誰かを海底につきおとしてみたところで、誰かが犠牲になるのは同じ。それでは解決にはならない。

ボートに丸太で補強して筏部分を増やし、海に落とさずに済む方法―「パイを大きくする」とはそういうこと―を選べば、一人ひとりの受けるダメージは小さく済むはずなのである。

この方法こそが、デフレを脱却し名目GDPの方が明らかに大きい世界の経済、ということになるのである。マイルドなインフレによってもたらされる自動調節能(お金などの分配、仕事の配分=失業率低下)が機能するゾーンでなければならない、ということである。
この範囲を逸脱すると、金利調節能をはじめ、さまざまなプライシングなどに変調を来たし、経済の自動調節能(所謂「神の見えざる手」だ)が殺されてしまうので、低迷することになるだろう。これまでの20年で機能不全若しくは機能停止に陥った調節能を回復し、死んでいた自動調節能を再び機能させられれば、成長路線に戻ることは十分可能である。この調節能を機能させられるゾーンこそが、マイルドなインフレ率のある世界、ということだ。最も必要なことは、そういう経済運営なのだ。


話が本題とは違うのだが、ご容赦を。


付け足しのようで申し訳ないが、他者に理解を示すこと、他者の主張を許容すること、そういう社会が望ましいというのは、その通りだと思っている。赤木のいうのは理解できる。

反対意見を言うことと、相手にも反論を許容することは、別だ。
相手の意見には賛成できないとか納得できないとしても、相手に反論機会を与えそれを認めるということは社会に必要だ。




C型肝炎問題のその後

2009年04月18日 14時13分48秒 | 社会全般
さて、一方にとって都合の良い報道というのは容易に実行できる。

フィブリノゲン投与、1割が肝炎感染=初期症状7割「早期治療を」-厚労省研究班(時事通信) - Yahooニュース

(一部引用)

研究班が記録の残る医療機関を2年間かけて調べたところ、530施設の8799人で投与が明らかになった。このうちC型肝炎感染者は11.4%に当たる1006人(うち10人はB型肝炎と重複感染)だった。
 投与経路では、静脈注射の32.4%に対し、ほかの薬品と混ぜて使った「フィブリン糊(のり)」が43.7%。製薬会社の推計では、投与の多くが静脈注射によるものとみられていたが、結果は糊による感染拡大の可能性を示した。
 また、C型肝炎の感染者で、肝硬変や肝がんに進行したケースは8.8%だった。治癒18.9%のほか、無症候性キャリア18.5%、慢性肝炎51.1%と初期段階が約7割を占めた。

=====


記事からは「厚生労働省研究班」という名称だけが出てくるが、果たして専門家が集まって資料を調査した結果、何か新たな事実が判ったのか?というと、そういうことでもないだろう。

記者の印象なのか、研究班の指摘なのか、全く曖昧にして書いているのだが、『結果は糊による感染拡大の可能性を示した。』って、誰がそう言ったんですか?そう記述されているんですか?


そもそも、研究班のメンバーって、誰ですかね?どんな人たちなんでしょうか?肝炎や肝炎治療の専門家たちなのでしょうか?
「研究班」という呼び名が付いているからといって、臨床の専門家とかそういうわけでもないのではありませんか?

例えば厚生労働省:フィブリノゲン製剤投与後の418例の肝炎等発症患者の症状等に関する調査検討会のメンバーは、

 熊田博光(虎ノ門)
 中村仁雄(九大名誉教授)
 宮村達男(国立感染症研究所)
 八橋 弘(国立病院機構)
 吉澤浩司(広大)
 小池和彦(東大、中途参加)

ということで、肝炎の専門家はきちんと入っている。
この報告では、「フィブリン糊による感染拡大」についての示唆などでもあったのですか?


時事通信の記事でいう「研究班」というのは、私の勝手な推測で申し訳ないが(記事中には「何の研究班」ということを一切明示していないので)、恐らく「薬害肝炎の検証および再発防止に関する研究班」なんじゃありませんかね?
以下のメンバーらしいですよ。

 ◎堀内龍也(日本病院薬剤師会会長)
 ○磯部 哲(獨協大法学部)
 ○高木均(群馬大医学 病態制御内科学)
 ○津谷喜一郎(東大薬学 医薬政策学)
 ◇片平洌彦(東洋大社会学部 社会福祉学科)
 ◇松下一章(東海大代々木教学課)

(◎:主任研究者、 ○:分担研究者、 ◇:研究協力者)

因みに、この中で医師免許を有する者は何名いるのでしょうか?
別に、医師は絶対だ、とか医師の意見や判断が正しいとか、過信するわけではありませんが、報告の質とか視点ということでいえば、医師の側からのものではない可能性が高まるであろう、ことは判るでしょう。むしろ、非医療者とか一般人に近い立場ではないか、ということです。肩書きで差別したいわけではないですが、教学課の方って研究者なのかどうかも知りませんが、一体肝炎の何に詳しくてメンバーになっているのか、とは思いますな。


この研究班で一体何を明らかにできるのであろうか、何を明らかにしたいのか、ということが私にはよく判らない、というだけです。


記事を書く記者なのであれば、まずこの報告をじっくりと全部お読みになった方がいいでしょうな。

厚生労働省:第12回薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会資料


この研究班は「C型肝炎に関する医学的知見」を言えるようなものではないのではありませんか?
通信社や新聞の記者氏には、そうしたことすら考えられない、ということなのかもしれませんがね。いや、医学的に正しい事実を言える、というのであれば、それはそれでいいですよ。きちんと学術的な検証に耐えられればいいんですから。

普通に考えると、フィブリノゲンの静脈投与だけではなく、フィブリン糊の使用で「感染可能性」だけ考えれば、「有り得なくはない」ということでは。けれども、それが他の「静脈投与」や「輸血」の感染リスクに比して、ダントツで高いとか、圧倒的に高いとか、割と高いとか、そういう事実の指摘でもあるんですか?もしもあるなら、それは誰が指摘したのか、記者氏は明らかにできるはずです。研究班ですか?(笑)

記者というのは、数字だけ並べて何かの事実を言えると思っているのかもしれませんが、全然そんなことはないわけで。
研究班の報告の殆どは、これまでの資料に基づいて数字を並べたものが殆どなのではありませんか?それとも、何か新事実とか、新たな医学的知見とか、そういったものが得られたんでしょうか?


参考までに、「輸血」の感染源問題について、カタが付いたんでしょうか?
誰か、「輸血よりもフィブリノゲンの方が、感染リスクは高い」というような、新発見でもできたわけですか?


原告団は一律救済を強く主張していた時、大阪高裁の和解を拒否しましたよね?
厚生労働省の「責任所在を明らかにする」とか、「担当者の刑事責任を問う」とか、なぜ感染したのかを明らかにするとか、そういうことを主張していたわけですよ。

で、実際に、これら検討を経て、一体何が判ったんでしょうか?
「どうして感染したのかが判らない」ということでしょうか?

誰が悪者だったか判ったんでしょうか?
どの役人の責任でしたか?

無駄に労力を投入し、一部の人間たちだけに大金が転がり込んだだけ。欺瞞なのだよ。



時事通信社の記者にとっては、まあ都合の良い情報操作みたいなものなのではありませんかね。
数字だけ出せば、記事を読む一般人になど細かいことは判らんもの。あたかも既成事実であるかのように出せるのだ。記事を出すことによって、そういう印象を与えることは簡単なのだよ。
とんでもない世論誘導行為だろ。

記者氏には理解できないのだろうけれども、図表2-33というのがありますので、見るといいですよ。
輸血後肝炎の水準をグラフにしているのですが、これはあくまで参考水準です。目安の一つという程度でしかありませんけれど、でも時代の傾向というのは、おおよそつかめるであろうとは思います。

さて、ここではフィブリノゲンの投与には関係なく、輸血後肝炎の発症率は高かったのだな、ということが判るかと思います。80年代中頃まででも、14.3%という数字が出ている。検査導入直前期でも8.7%という水準である。1割で肝炎感染というのは、輸血単独でも起こり得るということでしょうね。そういうリスクと比して、フィブリノゲン製剤やフィブリン糊はどうなんでしょうか、という話であり、回答の得られた資料から、感染リスクを推定することは甚だ困難でしょう。一般外科や心臓外科などの記録がきちんと保存されている医療機関というのは、医療水準もそれなりに高く先進的な部分を実施している可能性はありますからね。「回答の得られた資料の数字」は実際の使用頻度や使用量に比例しているわけではないし、フィブリン糊の使用割合を正確に反映するものでもないですよ。

つまり、記事中にある数字だけからは、医学的には「何も言えない」という可能性が高く、そうなのであれば、殊更感染リスクを強調するかのような記事の記述は極めて不適切としか言いようがない。
「ラーメンはカレーライスより人気がある」という事実を記事に書く時、ある定食屋で行ったアンケート結果だけから一般的事実を指摘することなどできないであろう。それと同じだ。記者氏にとっては、このアンケート結果は正しい、と強情に言うかもしれないが、そんな調査結果には特別な意味はない。


薬害C型肝炎問題のまとめ

薬害C型肝炎問題のまとめ・2


参考までに、B型肝炎はかつて2%水準程度の感染者(キャリア等)が存在していた。かなりの高率だ。手術歴のない男性で、当然輸血経験や出産経験だってなくとも、ウイルス感染者は存在していた。垂直感染があるから、ということもあるが、普通に生きてきただけで感染していることはある、ということだ。C型肝炎になると、B型よりは感染可能性は低くなるであろうが、輸血などウイルスが大量に体内に入るような場合には感染してしまう可能性が高まる。これとて、昔に売血していたのは出産経験などない男性が多かったであろうが、輸血歴もなくフィブリノゲン製剤の存在してない時代だって、恐らくC型肝炎に感染していた人たちは大勢いた、ということなのですよ。そうじゃなければ、B型肝炎ウイルスの検査ができるようになってからも輸血後肝炎が高率で発生することなどないからだ。B型肝炎ウイルスの混じった血液の多くは排除されているにも関わらず、それ以外の肝炎ウイルスが存在しているが故に輸血によってC型肝炎に感染するのだよ。

じゃあ、フィブリノゲン製剤の無かった時代には、どうやって感染したんですか?
判るわけがないのだ。
感染原因なんて、ほぼ突き止められないに決まっている。
それなのに、何故感染したのか、誰に責任があったのかを明らかにする、なんてのは無理に決まっているのである。突き止められないのに、原因は薬害にあるので「賠償金を取れる」という矛盾した法的責任論なのだ。結果的に残ったのは、一部の人間たちだけが大金を手に入れることができ、幸運にも名前が記録に残っていた人は遺族にさえ支払われた、ということ。一方では、普通の肝炎患者たちの多くが大した支援も受けられていない、ということなのにね。今、病気の人よりも、既に病気で無くなった人の遺族の方が大事で、そちらには大金が支払われるのだそうだよ。


つまりは、欺瞞なのだ。
しかし、マスコミの記者たちには、そうしたことを考える能力もなければ、判断もできないのだ。あるのは、いいかげんな情報の垂れ流しと煽動だけ。ま、中間報告書をよく読むといいよ。たぶん理解できないだろうけど。



ゴールドマン・サックスは何故最強なのか

2009年04月17日 17時07分29秒 | 俺のそれ
こんな記事を書くと、撃たれてしまうかもしれない。暗い夜道に気をつけよう(笑、冗談です)。

Bloombergcojp アジア


まず、公的資金返済は政府から口出しされない為、というのは当然であろう。
そして、資金調達も行うという合わせ技。

まさに歌詞にある通りに、「あの日、あの時、あの場所で」、だ。
ブルームバーグの記事中で、『インスティチューショナル・リスク・アナリティクスのマネジング・ディレクター、クリストファー・ウェーレン氏は「ゴールドマンにとって、資金調達のコストは年内で今が最も良いだろう」と述べ、「これから年末までは良い環境にはならないと思う」と語った。』と述べられている通りなのだ。
まさしく、ここしかない、というタイミングであったのだ。
巨額ボーナス決定権限を自身の手に奪い返す為の、渾身の一撃を放つには、この瞬間だけだった。


GSが最強なのは何故なのか、素人ながら考えてみた。
ご参考までに、これまでそういう世界を覗いたことは一度もなく、知り合いも勿論いない。判るのは、ニュースだけ。ブログを書き始める前までは、GSなんてあまりよく知らない名前であり、殆ど興味もなかった。何かで時々目にするくらい。しかし、ここ数年観察を続けてきた結果、彼らが何故ここまでの収益を上げられるのか、ということが、何となくではあるが、少し見えたように思えるのだ。

ビジネスモデルが素晴らしいとか、トレーディング技術が凄いとか、投資ノウハウの蓄積が凄いとか、そういう色んな面があるのだろうとは思うのだけれども、多分、それらは装飾であり本質ではないような気がする。そういった技術的なことは時間が経てば変化してゆくものであり、儲けの本質ではないように思える。

では、コア部分とは、一体何か?
基本的には、「人間の術」というか「人間の反応」を商売の種としているのではないか、というものである。それが、他の何処よりも巧みであり優れているのだろうと思う。

具体的には、どんなことか?
端的に言ってしまえば、「人間操作」の戦術だ。人間を操る、ということ。この仕掛けや作戦が飛び抜けているのである。ビジネスの前提として、「彼らはどう反応し、行動するか、どんな手を打ってくるか」ということをまず考えるのだ、ということだ。「彼ら」とは、GSから見た周囲の人々である。顧客なのか、同業他社なのか、ライバル会社なのか、その他大勢の投資家たちか、マスメディアか、政府役人か、他国の政治家か、それとも一般大衆か…等々決まってないし正確には判らないけれども、色々な場合があるであろう。そういうのをいかにして操作し、到達目標に辿り着くかというのをビジネスにしているのだろうと思う。

時には、自社のトレーダーたちとて、操作の一部でしかないかもしれない。巨額の成功報酬という、単純で判りやすい「釣り餌」というのは、まさしく「ぶら下げられたニンジン」なのだから。そうやって、人々を操作し支配する術を駆使することで、巨額の利益を稼ぎ出すのである。

こうした戦術は、社内に限らず、社外でも、またいかなる場所でも実践される。政治の場でも、日常的に行われる。そして、最も巧みな情報戦術は、他を出し抜くには十分過ぎる成果をもたらすのである。これらは、総合的に戦略として機能しているだろう。


ブランクフェルトCEOが他の金融機関のボーナスは「けしからん、米国民の怒りもごもっとも」という、まるで代弁者のように振る舞い、怒る人々の溜飲を下げるのに一役買ったであろうが、このセリフさえもが「次の一手」の布石でしかないのではないかと、私には見えたわけである。こうした「改悛の情」―日本の検察や裁判所では重要らしい―を示すのは、自らの有利な立場を確保したいが為であって、人間とは往々にしてそうなのだろうと思うのである。反省などしていないとしても、口で言うだけなら「タダ」なのだから。決して損をしない謝罪の表明や遺憾の意を示すことは、戦術の一部ではあっても心の底から反省しビジネスを改めるといったようなことではないはずだ。裏を返せば「他の金融機関は酷いですね、『税金投入を受けているのに』巨額ボーナスを取るなんて、まことにもってけしからん」ということで、だから『税金は返すべきだ』=先に返還する我々は正しい、ということを正当化しているわけである。

GSが賢いのは、常にこういうポジションを占めることなのである。それは人々の反応よりも先回りしているから、ということでもある。発信する言葉一つ一つ、或いは「発信すべき言葉」も、情報戦術の一環なのである。意味のない、無駄なアナウンスなど、「するはずがない」ということ。


戦略の思考のパターンは、個人的印象に過ぎないけれども、「詰め将棋」に近いものかもしれない。
そのコースに乗ると、必殺のチェックメイトが待ち受けているわけである。逃れる術はない。詰み手順がある限り、基本的には容赦などしてくれないからだ。時には大チョンボをしてしまい、うっかり詰み手順を逃してくれたり、見過ごしがあったりするかもしれないが、余程の長手数でもない限り、間違えることはかなり少ないだろう。こうした「詰みを見逃さない」という姿勢こそが、稼ぎの源泉なのだから。将棋の人工知能が詰み手順を間違ってはくれない、というのと似ている。



ゴールドマン・サックスの根幹となる戦略とは、「人々はどう動くか、どう反応するか」ということを深く正確に突き詰めてゆくことによって、いち早く先回りし「詰み手順」を完成させる、というようなものなのである。自分で決定したと思っている行動ですら、GSの読み筋の一部でしかないのだ。究極の人間探求・操作術と言ってもいいのではないだろうか。相手に行動を起こさせるには、自分が動くよりも難しいからね。
けれども、よく観察していれば、行動特性を知ることができるのだ。例えていえば、飛車か金のどちらかが助からない場合は、多くの人が「飛車を逃げる」みたいなものである。こういうのを積み重ね、相手が動かないなら「動きたくなるように仕向ける」ことさえやらねばならないのだ。そのための各ピースのはめ込みこそが、「詰め将棋」の手順みたいなものなのだ。意図的に捨て駒とか、まさしくそういった類のものだ。

儲けを企むライバルたちを出し抜くには、どのように行動すればいいのか、ということも勿論ある。荒稼ぎしようと目をぎらつかせているハイエナたちを相手にして、味方の1人に過ぎないというフリをしながら、素知らぬ顔で隣の知り合いのポケットから金を確実にむしり取る、くらいのことができなければ最強にはなれないであろう。同業者といえども容赦はしない。損をする連中が愚かなだけだからだ。詰みコースに乗ってることに自力で気付け、ということだろう。GSでは、気付けない人間は去れ、という世界なのかもしれない。



GSには無関係だが、ここで一つ、架空の適性試験を考えた。

君に兄がいるとしよう。
兄は経済的に破綻(破産)してしまうと、兄自身は破滅することがわかっているとする。さて、この時、弟である君が何に賭けるか、ということだ。

①兄が破産することに賭け、破産した場合に多額の報酬が貰える目に張る
②兄が破産するのは可哀想なので、兄に助言したり一部肩代わりを申し出る


迷わず①を選ぶことができなければならない。
たとえ兄が破滅しようとも、儲ける方を選ぶのだ、ということ。
最強の道は遠い。
どことなく雀士の世界のような、殺伐とした感じがするのである(笑)。



(ところで、この記事を書きかけにしていたが、gooのブックマークだけはブルームバーグの引用記事宛てに打ってあった。当方のブックマークはヨソの人にも判ってしまうのであろうか。多分、そういうことではないのだろうけれども、たまたまFTの記事に釘を刺すような記事が掲載されたらしいから、偶然とは面白い。)




無駄な情報提供

2009年04月17日 12時24分33秒 | 防衛問題
まんまとヒントを与えてしまったようなものでは。

露軍機がMD網偵察 北が発射時に情報収集機飛行(産経新聞) - Yahooニュース

(以下に引用)

北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射した際、ロシアの情報収集機が日米両国のミサイル防衛(MD)システムの運用を偵察していたことが15日、分かった。北朝鮮からの発射時間帯の事前通報をもとに日本海で待機。日米のレーダー網が実戦モードで照射した電波の周波数帯や、MD運用に伴う自衛隊各部隊の役割分担に関する情報を集めたとみられる。
(中略)
IL20はMDでの各レーダーの電波の周波数帯、照射方法や探索パターン、レーダー同士の任務分担などを確認したとみられる。周波数帯を把握されると、妨害電波でレーダーが無力化される恐れがある。MD任務の際、イージス艦はレーダーの機能をミサイル探知にシフトさせ、航空機などを警戒する防空能力が手薄になる。航空機やほかの護衛艦のレーダーで防空能力を補完するとされ、IL20は海・空自の部隊の連携などMDでの「戦い方」を把握。海自のEP3、空自のYS11Eといった電子偵察機の情報収集任務にも注目していた可能性が高い。

=====


何でも手の内をオープンにすればいいというわけでもあるまいに。
ミサイル狂想曲(笑)

自らの能力を敢えて教えるというのは、圧倒的に強い、段違いに実力がある、というような場合だけでは。例えば米国みたいな、圧倒的軍事力を持っていれば、「逆らえないだろ?」ということで、殴りかかる人は少なくなり思いとどまることになるだろうから。なので、私が自衛隊の指揮官だったら、絶対に教えたりはしないだろうと思うけど。ゲームとかでもそうなんだけど、自分の手札を敢えて晒す場合って、それが意味がある場合だけだもの。少し考えれば判りそうなものなのに、ゲームとかトランプとかやったことないのかな?

それなのに、日本の防衛装備の肝心な部分を晒してしまって、情報をまんまと取られてしまうことになり、そうすると対抗策を考えようという人たちは必ず出てくるわけで、特にロシアは東欧へのMD配備を極端に懸念していたでしょ。微かな記憶では、ポーランドにMDシステム配備に断固反対といって、EUが米国&東欧とロシアの仲立ちをして、どうにか収まりをつけたんじゃなかったでしたか?ロシアとはそういう国なんですよ。

だから、今回の一件では大変有意義な情報収集活動ができたことでしょう(笑)。


日本は、わざわざそういうのを「お披露目」してしまったのだ、ということです。
極端な言い方をするなら、ゲームの対戦相手側に対抗策を考えるヒントとして、手の内を晒すという情報提供を自らが行ったようなものだ、ということです。

別に軍事に詳しいとか、そういう知識がないとしても、ちょっと考えれば判りそうなことなのにね。どうして誰もああいうのを反対とか進言しなかったんでしょうかね。



肥満運賃適用!

2009年04月16日 18時58分52秒 | 社会全般
これはちょっと面白いぞ。

ユナイテッド航空、肥満の乗客に2席分料金を請求も(ロイター) - Yahooニュース

(一部引用)

[ロサンゼルス 15日 ロイター] 米ユナイテッド航空<UAUA.O>は、満席便では肥満の乗客の予約を取り消し、後に出発する便で2席分を購入するよう求める方針を打ち出した。同社のスポークスマンが15日、明らかにした。
 今回の決定で、先に同様の対応を決めているコンチネンタル航空やデルタ航空などに追随する格好となった。
 ユナイテッド航空は、昨年1年間で、肥満の乗客と席が隣り合わせになった乗客から700件の苦情が寄せられたとしている。

=====


どうですか?
はい、そこのアナタ。
今、まずいと思ったでしょ?アナタですよ。

今後は満席便の場合、予約取消&2席購入だそうですわよ。


いや~、遂にこういう時代が来ましたか。
アテンダントは肥満の職員が辞めさせられたり、体重減を警告されたりとか、確かあったように記憶していますが、今度は乗客にも適用ですか(笑)。

これって、やっぱ床屋のハゲ料金適用とか、そういうのもOKってことになるんじゃありませんかねえ?

飛行機は重量が大きい人は、多くの料金を払う従量制でもいいくらいと思うけど。だって、現実に燃料をその分多く消費するわけでしょう?

ボクの場合、ちょっぴりオナカの出具合が気になりだしたけれど、体重は学生時代のほぼ「+2Kg」程度だと思う(*)ので、まだまだ大丈夫。体重別料金だと、かなり有利だな。できればそういう運賃体系になって欲しい、と思うけど、だからといって現実にはそうはならないよね。

*:最近体重計ってないけど、風呂上りとかに計る習慣を持ってないので。体重計はありますよ、体脂肪率も計測できるやつが。笑



つーか、海外の便だと日本でお目にかかるレベルをはるかに超えた肥満の方々が乗ってくるんでしょうね、きっと。因みに、高速バスとかだと隣に肥満の男性とかに座られた場合、悲惨。地獄。悪夢。

ああ、東京の満員電車とか、本気で死にそうになると思う。毎日だと気が狂いそうになるんじゃないかな。


ちょっとというか、本当に些細な疑問なんだけど、頭髪に粉みたいなのをふりかけるハゲ隠しみたいなのってありますよね?あの粉の人が満員電車に乗車している場合に、近隣の人たちの服とかに黒い粉が付いたりしませんか?
以前、乗り物の中ではなかったのだけれど、ふと気付いたら洋服に黒い粉が付いていて、「ああ、これって、頭髪につけるやつだよね」みたいに思ったことがあるんだよね。

エレベーターの中とか、密集隊形になっていたりすると、後ろに立ってる男性の髪の毛とかが自分の背中や首付近に接触することもあり、それが気付かないままで黒い粉をまぶされているのって、まずくないですか?東京の満員電車の人たちとか、そういう悩みとかはないのでしょうか?
目の前に立ってる男性の頭皮が臭い、とか、そういうので死にそうになったりしたことはないのでしょうか?

急にオナラをしたくなったり、鼻づまりでくしゃみが出たり、思い出し笑いで吹き出しそうになったり、満員電車の中であるとどうなるのでしょうか?
自分の場合、急に吹いたりするので、困ります。車の運転中にさえ、自分1人しかいないのに、吹いてガラスにコーヒーを吹きかけたりしてしまうくらいですので。

あと、オナラとか、本当にどうなるのでしょうか?
知らんぷり?
できますかね?激こみの満員電車の中で。
真後ろの人とかのオナラが、まるで息を吹きかけられたかのような、ズボンに「フワッ」としたいや~な感触とかがあるんでしょうか?

うーむむ、そういうことを考えはじめると、可笑しくて1人笑いをしてしまいます…




財政審の心変わり

2009年04月15日 10時59分43秒 | 経済関連
わずか2兆円の定額給付金で「国家財政が破綻する」と豪語していた西室だったのではなかったのか。


15兆円出動、異例の容認 財政審 再建の道筋明示求める(産経新聞) - Yahoo!ニュース


経済界の意向を受けての発言しかしないような、妖怪連中の巣窟みたいなものだろうから、電機業界や自動車業界から「泣き」が入って、態度をコロッと変えるという典型的な見本ではないか。

元東芝とかいう出身がどこなのか、ということも関係しているんですかね?

テレビや家電の買い替え促進なんて、税金を投入してまでやるべき政策なんですかね?要するに、いつでも口から出まかせ、みたいな意見を言うだけ。

御用聞きでしかない、諮問機関って存在する意味などない。
その時その時の都合で、いくらでもコロコロと言うことを変えるだけ。



健保組合は医療保険制度上で圧倒的に有利~2

2009年04月13日 15時13分39秒 | 社会保障問題
健保組合がいかに有利な立場を利用して蓄財してきたか、ということをもう少し書いてみる。


健保組合の加入者というのは、本人と扶養家族だ。会社に勤めて働いている時代を「現役時代」ととりあえず呼ぶことにする。高卒か大卒で入って働き始め、60歳で定年というパターンが多かったであろう。中には中途採用も勿論いるだろう。

①健保組合の場合:

現役時代――60歳定年

これ以降の人は、原則的には健保組合からは抜ける。定年延長なんて昔は多かったとは思えないから、リタイヤした人たちは別な保険に加入し直さねばならなかった、ということだ。今なら、延長制とか、任意継続とか、退職医療制度とか、若干の調節機能はあるけれども、昔なんてそんなものはほぼなかったか、あっても機能としては小さかった。何故なら、高齢に到達する前に多くの人が死んでいたからだ。

つまり、制度上、組合に加入している人たちは、ごくごく少数の扶養家族を除けば『65歳以上の高齢者たちは加入していなかった』。だからこそ、老人医療の給付に現役の人たちの保険料が大幅に取られることもなかったので、健保運営は楽であり給付水準も高かったのだ。そりゃそうだわ。現役時代の人たちの病気にかかる費用なんて、そもそも少ないのだから。


②政府管掌保険の場合:

現役時代――(60歳)――高齢労働者――

健保組合に加入していた人が退職した後で、仕事をしようかなと思って働くと、被用者保険として職場の社会保険に加入することになっていたわけである。年金があまりない人とか、あっても少ない人などは働くわけで、そうすると加入者のうち60歳以上の働き手は当然加入してくる可能性は健保組合よりは高くなるわけである。
健保組合に60歳定年まで加入していて退職後別な会社に勤めると、この人の医療は政府管掌で賄うことになってしまうわけだ。60歳以上の人と、健保組合の平均年齢の30歳代の人では、一人当たりの医療費の額がどちらが多いか、というのを考えれば、前者の方が高額となっている可能性が高くなるであろう、ということは当たり前なのである。


③市町村国保の場合:

現役時代――(60歳)――退職した人たち、年金生活者たち等、他に入れない人は全部

上二つと比べて、どう見ても不利になるに決まっているのが、この地域制になっている健康保険だ。なぜなら、健保組合であろうと、政府管掌であろうと、被用者保険に加入していた人たちはリタイアして稼げなくなっても、ほぼ全部がこの国保に加入しにやってくるわけだ。その人たちは、現役時代の人も、リタイアした人も、同じ制度上に入っていたのだ。つまり、どう見ても「加入者が高齢」ということになり、保険料を払える人の数や支払能力を考えると、リタイア組が高額な保険料を払えるとは思えない。しかし、給付は高齢者が他よりも圧倒的に多いので、給付額が高くなってしまうのである。

元公務員だろうが、元国鉄だろうが、元大企業だろうが、後期高齢者となってしまうと保険は「国民健康保険」だ。子どもか孫など誰かの扶養に入っているなら別だが、そんなケースは多くはないだろう。


だからこそ、健保組合の後期高齢者の割合がダントツで少なく、市町村国保は組合から退職してきた人たちも全部面倒を見なければならない、という制度にされてきたのである。これは、健保組合の運営が楽にできた、ということがわかるだけであり、その「昔に蓄積されてきた財産」の恩恵を受けて、今でも本人負担が大幅に少なく済んでいる、ということになっているのだ。60歳で区切ってきて、そこから上の年代の医療費負担を逃れてきたが故だろう。高齢者を他に(特に地方の市町村に)押し付けてきただけに過ぎない、ということだ。



制度を一本化するのに反対する理由として、これまで見かけたものをいくつか挙げてみようか。

ア)支払保険料が値上がりする

最もよくあるのがこれだ。「サラリーマンの人たちの払う保険料が大幅に上がることになります!!」という脅しと煽動が多いだろう。こういう負担増を許していいんですか!!とか。一番有効な戦術に決まっているよ。誰だって増税なんかされたくもないだろうから。そりゃまあそうだろうね。だって、トヨタの標準報酬月額50万円の人の払ってきた保険料は、細々暮らしている不安定な派遣労働者よりも少ないとなれば、それは負担が増大するのも止むを得ないのではないのか?
誰が負担すべきかという問題は国民的議論が必要だろうが、相対的高額所得者たちに負担増が起こるのも止むを得ないのではないか。


イ)健保組合の自助努力

これもよくありがち。努力しているから病気にならず、支払医療費が減らせるとか、適当に言ってる人たちはいるかもしれない。エビデンスをまず示してから言ってくれ、というのはあるけど、まあいいでしょう。

そこまで言うなら、よろしい。
健保組合の必死の努力が実った成果だ、ということを認めましょう。

ならば、その同じ方式とかやり方とか、全部一緒にすればいいんじゃありませんか?(笑)

なに、組合運営は企業秘密で教えられない、とか、あるんですか?
はっきり言って、最も優れた方式を採用し、それと同じく運営していった方が効率的なのではないか、と考えるのはごく普通なんですわ。企業努力や健保組合の努力によって、それを達成できたんだ、と頑強に言い張るのだから、それと同じ運営方式を国保だの協会けんぽだのに、移植してやればいいだけだろ。それの何が悪いことなんですか?(笑)

病気にならずに済む、かかる医療費も削減できる、管理運営費も少なくできる、ということで、いいこと尽くめではありませんか。そんだけ優れた組合のノウハウがあるなら、それと同じ制度を全国民にも享受してもらえるように計らうことが、一体何が問題なんですか?
誰も困る人なんていないでしょう?それとも、秘密のノウハウを開発してきたのは俺たち健保組合だから、そのメリットをお前ら一般国民になんて教えたくない、とか言いますか?

健保組合の方々の言い分が正しいのであればなおのこと、医療費削減への答えが見つかっている、ということでしょう。それを全国民レベルで実践するようにしたら宜しい。これに反対する理由があるなら、教えて欲しいですね。


要するに、健保組合と連合や経営者団体なんかは、全部結託しているだけ。連合は断じて労働者の味方なんかではない。
医療保険の一元化によって、これまでの「格段に低い保険料率」という大企業正社員の特権を奪われてしまうことになるから、だ。その既得権益を死守することが目的なだけ。これは経営陣とも共犯なのだよ。他の労働問題なんかでも同じ。


ウ)保険者の機能が低下する

何を言ってるのか判らないのですが、トヨタのカンバン方式とか、別業種だろうろ同業他社だろうと、真似してやってるところはたくさんあるわけで。同じ方式にすると業務の自由度が失われ会社がダメになる、とか、そういうことでもあるんですか?(笑)
だったら、今すぐトヨタ以外の会社はさっさとトヨタ方式なんか捨てろや。

健保組合の保険者機能が最も優れているなら、そうした仕組みを引き継げばいいだけで、マクドナルドの店舗網みたいなもんでしょ。
これまでは、店1、店2、店3…と店ごとに独立採算で独立経営だったのを、経営統合するようなもんだ。店1は最も効率経営で優れているが、店3は非効率で無駄が多い、ということなら、店1のやり方を他の店2、店3、店4、…に同じくすればいいだけだろ。「店」がこれまでの健保組合とか国保とか、分かれていたというだけ。店長の機能が大事だ、というのなら、そうした機能を温存すべきは温存し、でも、前は店ごとに社長とか専務とか置いていたのを、統合してしまえば社長は1人、専務も1人でいいよね、というだけ。店長はいてもいいでしょ。社長じゃないだけですから(笑)。店ごとに経理もバラバラでやっていたものを、全部一括でやる方が効率がいいでしょ?

だから、店長機能の必要なものは残せるし、店が全部集まって一つの会社となっている、という状態になったとしても、問題などないとしか思えませんが。健保組合はこれに反対しているんだわ。連合も。
公務員はダメだ、役所仕事はダメなんだ、民間の経営感覚を取り入れろ、とか、これまでしつこく言ってきて、ならば、その優れた方式に統一しましょう、法も制度も一緒のやり方に揃えましょう、って言ってるのに、なんで反対すんの?
俺たちのやり方が正しいんだ、優れているんだ、って言ってきたでしょう?そんだけ自信があるんだったら、その方式でいいでいいですよ。



口では、きれい事や大義名分みたいなものを語るんだけれども、突き詰めると、自分の欲望や利害得失が最優先されているだけに過ぎない。



健保組合は医療保険制度上で圧倒的に有利

2009年04月13日 11時17分47秒 | 社会保障問題
大雑把に言うと、「金持ちの家に生まれた子はいい医療を受けられるが、貧乏人の家に生まれた子は医療を受けなくてもいい。貧乏な家に生まれたのは努力が足りないからだ。」というのが、健保組合などの主張みたいなものですよ。


①健保組合は「昔からの特別な財産」を相続してスタートしているところがある

健保組合には多くの「昔からの遺産」が与えられてきた。主に大企業が運営し、サラリーマンなんてそんなに数がいなかった時代だったので(圧倒的多数が農業、他は自営だったから)、組合には国からの補助金が1人当たりいくら、という形でつぎ込まれた。そういう資産を長年積み上げてきているのが、大企業の組合なのだ。しかも加入者の圧倒的大多数が働き盛りの若年層であり、扶養家族も入っている、なんて言っても、年寄り自体が昔は少なかったじゃないか。65歳以上なんて、人口の1割にも達してはいなかった。60歳まで生きていたら長寿ですね、なんて時代だったからだ。

なので、給付するべき医療費なんて断然少なくて、病気を沢山持ってる年寄りに医療費がたくさんかかるようになる、なんてことも殆どなかった。だから、余ったお金で自前の病院を作ったりして、それでも十分黒字だったわけです。老人医療費の無料化さえ実施されたくらい、給付対象が少なかったのだ、ということ。

その他に、医療保険料率についての特別の優遇措置があったのだ。自主的運営に任せていたので、そうした運営費を賄うという名目で保険料負担を国から軽減してもらえたのだ。だから、組合の運営をやって給付が保険料収入を下回ると、企業が利鞘を稼ぐことが出来ていたのだ(集めた保険料に比例するので、相当大きな額となっていたはずだ)。そういうウマミが大きかったから、大企業では組合運営をやりたがっていた面もあったであろう。

バブル崩壊後に、厚生年金の代行返上が相次いだ時期があったが、企業が「もうやめたいです」という時には、ウマミがなくなっているのである。だから「やめる」と言うに決まっているのである。しかし、何らかのウマミがそこにある限り、「やめる」とは決して言わない。それは、従業員の健康が心配だから、とか、社会貢献したいから、とか、そういう生温い考えに基づいてなどいないわけである。単純に、企業が儲かるか儲からないか、その選択のみである。

これを肝に銘じて欲しい。
「健保組合を存続させろ」と強硬に主張する裏には、必ず「儲けの論理」によるウマミが必ずあるからである。

なければ、やめると言い出すに決まっているからだ(笑)。実際、そうなってる組合はあるしね。
公務員共済とかの、かなり裕福な団体なんかも、よく観察していれば判るよね。病院経営とか、一杯やってきたでしょ?あれって、金が余るからやってきたわけで、そういう過去からの大きな資産蓄積のあった連中というのは、それを手放したくない、って頑張るに決まっているよ。

大金持ちの家の息子が親からガッポリ遺産相続し、1億円持ってスタートしてる人間と、貧乏人の親の元に生まれて借金100万円背負ってスタートしている人間が、同じ制度に統一しましょうってことで持ってる資産は一括で集めて均等に配分します、ってなったら、金持ち息子は絶対に大反対するに決まってるだろ(笑)。息子が偉くて1億円を稼いできたわけではなく、元々は国からの大きな資金投入を受けてきたり、年寄りに給付せずに済んできたから、という、親の代で特権的ウマミにありついてこれたから、というそれだけの理由なのだ。

因みに、公務員共済から抜けてしまって、単独運営になると大変困った企業もあるようで、例えばJRやNTTなんかの組合経営はどうなのかと言えば、そりゃ「昔は良かった」ってな話でして。国からの金が引っ張れないとなれば、「保険料を上げる」とか「給付を削減(抑制)する」ということしかないわけで、現実にそうなってしまいましたな。組合の制度ってのは、これが普通なんだよ。だが、公務員共済なんかであれば、給付抑制もせず保険料値上げもしないが、「別なお財布=国庫から持って来い」ということで、好き勝手につぎ込めてきたのだ、ということですな。

組合の加入者たちに、「病気にならないように努力させたから、健保組合は黒字経営ができるんだ、貧乏人の多い国保は自己管理のできてない連中が多いから沢山病気になり、医療費がいっぱいかかるんだ、そういう努力を怠っているからだ」とか言う人がいるかもしれないが、そういうのは殆どが裏付け根拠のない、自助努力の結果とかいう「錦の御旗」に過ぎず、加入者の構成比とか過去の絶大なる遺産の上にあぐらをかいているだけ、ということがかなりあるだろうと思う。


②制度が単純化されると困る人間は誰か?

まず、厚生労働省の役人どもの天下り先がなくなるから、困る、ということになる。更に、制度が複雑であるからこそ、仕事も複雑になり、外見的には管理する部門(お役所&役人たち)の存在意義が強調されることになるだろう。国民皆保険なんて言って、だったら「基礎年金」と同様に同じ共通制度にしたらいいじゃないか、という話だわな。けど、そうはならない。
だから、役人たちにとっては制度が簡単になってしまうと様々な面で不利なわけで、当然そんな仕組みを作ろう、なんてことには賛成しないだろう。つまり、そもそも健保組合との共犯関係にある、ということだな。彼らが結託すれば、どんな制度改革案だって潰せる。

組合理事とか、数々のポストが単純化され整理されて、コスト削減になっていいじゃないか、と思うわけだが、そういうことには「絶対反対」という理由があるらしい(笑)。

法律も一本、制度も一本、ということで、効率的運営に大きく寄与できると思うのだが、大反対なのだそうだよ、彼らは。
健保組合の9割以上が赤字で大変だ、という、大変だ大変だ不満を散々述べているくせに、だったら「自主運営をやめて公的な運営機関に全部一括で」という提案を受け入れればいいだけじゃないですか。なのに、どういうわけか、「赤字で苦しんでいる」とか文句を言い、あれこれと不平不満を並べ立てていながら、運営権を手放さないのだ。厚生年金の代行返上はできたのに、健保組合だけは死守せねばならないと思っているらしい。


③高給取りの大企業正社員だけが、大きなメリットを享受できる

日本の代表的企業の例として、トヨタを上げてみよう。
標準月額報酬が500000円の人が、健康保険料を年間いくら払うと思うか?介護保険料も込みで、いいですよ。

何と、117000円だ。月に1万円を切っているわけである。保険料率は本人負担分が2.38%でいいのだ。
別な一部上場企業で見ても、例えば3.09%、といった水準で済んでいる。

一方、都道府県単位に無理矢理させられて、役人のポストばかりがごまんと増えた協会けんぽですが、こちらは同じサラリーマンなのに本人負担分が4.665%も払うのですよ。トヨタだと50万の月給の人が払う保険料117000円と同じ負担をするのは、協会けんぽのサラリーマンだと標準月額報酬が209000円の人なのだ。トヨタの月50万の人が払う保険料も、この僅か4割程度でしかない月20万ちょっとの人が払う保険料も、同じ本人負担分なんですよ。

もっと酷いのは、フリーターで働く若者が国保で一体いくら払うと思っているのか?
京都市の国民健康保険料(ネットで検索したら計算ができる国保で上位に出てきていたので京都になっているだけです。特に他意はありません)を概算で計算してみたら、年収240万円の人が払う国民健康保険料は167187円だった。月20万円くらいの収入の人が、協会けんぽだと117000円くらい、京都市国保だと167187円、ということだ。こういう市町村国保に加入させられる人たちをどう思っているのか?大企業の連中がぬくぬくと高給を食んでいる傍らで、地方に残してきた自分の親や祖父母の面倒は、田舎の微々たる収入しか得られない非正規雇用の若者たちに見させているようなもんだろ。

こんなバカなことをやってきたんだから、そりゃ、車も売れなくなるってもんだぜ(笑)。少しは思い知れ、と言った意味が判ったろう?

もう1回書いておくぞ。

         標準月額報酬    健康保険料
トヨタ       500000円     117000円
某大手企業   315000円     116802円
某伝統企業   440000円     167000円
協会けんぽ    209000円      117000円
京都市国保   200000円     167187円*
(*:国保のみ介護保険料は含まず)

これが現実だ。
一番収入が不安定で立場の弱い人たちが、一番高い保険料を払わされているのだ。一方では、大企業の健保組合に入ってる正社員達だけが守られる、という仕組みになっているのである。こんないい話を、健保組合側が手放すハズがないでしょ?だって、一緒にさせられる、ということだけで、即保険料アップが待ち構えているからだ。自分たちだけは低い保険料で済むという大きなメリットを失うからだ。こうやって、日本というのは持てる人間だけがますます優遇されるという制度を組み上げてきたのだ、ということさ。


④健保組合には高齢者が極端に少ない

一般に、高齢者と若年者を比べると、高齢者の方が1人当たり医療費がかかる、ということは十分予測されるわけだ。なので、高齢者をはじき出せば、財政的にはゆとりが出るに決まっているのである。これも何度も書いたのだけれどもね。
後期高齢者医療制度への攻撃の手が緩んだのは何故?

1500万人の組合員が支える後期高齢者はたったの60万人。こりゃ、楽でいいよね。そもそも給与水準が高い、加入者の平均年齢が若い、生活水準が高いので健康なことが多いということもあるかもしれないし。労働者数が6千万人いるとして、その4分の1で支える高齢者は60万人ってことだな。60/1500 だから、4/100だわ。で、残りの労働者たちが、4500万人で約1400万人の後期高齢者の面倒を見ろ、と。そうすると、1400/4500だから、31.1/100くらいだね。健保組合の支える数とどんだけ差があるのか、って話なんですわ。8倍ですか。しかも、この4500万人には、フリーターもパートも派遣も、そういう非正規労働者たちを全部含めての数字ですから。

市町村国保だが、捨てられた地方(高齢化の著しい過疎地など)みたいな部分が多いので、市町村国保は火の車だ。公費投入の底なし沼みたいなものでもあるのだ。これが市町村財政を更に圧迫する要因になっているのである。しかもこれからは協会けんぽとか言う都道府県単独運営ということになっていけば、税収の多い東京や名古屋(笑)だけが大幅に得をする、という仕組みになっているのである。こうして格差拡大を率先してきたのは一体誰なのか、それをよく考えてみることだ。

制度間の調整を図る為に健保組合も負担をさせられているのだ、という意見もあるが、何と言おうが、現実は③の保険料負担額が全てを物語っている。つまり、不公平は確実に存在している、ということに他ならない。

別に、健保組合の連中が他よりもひときわ賢く死ぬほど努力してきたから保険料が低いのではない。


(続く)

参考記事:

すかさず反論ですか?(笑)

医療制度を議論する前に



記事が投稿できない

2009年04月12日 13時55分45秒 | いいことないかな
どうしてかな?

投稿記事が反映されない。


今やってみたらできた。
goo辞書の記事がマズかったから、投稿拒否?


ナンなの?これは。
書いた記事が消えたじゃないか。
お陰で2度も書いて投稿したんだぞ。

whistleの意味 英和辞典 - goo辞書


「henta」の語句がブログの禁止用語なの?


ああっと、判りましたわ。
変態、の綴りが多分、アウトの判定なのだろうね。


最初に書いた記事のタイトルには、辞書の例文通りに

Do you like へんたい(←これも英語で書いた)?と入っていたから、投稿しても自動的に消されてしまい表示にも反映されない、ということになっていたのであろう、たぶん。


元々の記事の内容が、「tsunami」のような言葉なら、英語化して紹介されてもいいけど、「henta _i」(←普通に綴ると表示されないので)だけじゃなく、「hakomono」とか「karoushi」とかはちょっとまずいよね、という話だった。

いずれ「eroge」なんかもエロ・変態ゲームのこととして広まってしまうのだろうか、などと下らん憶測も書いたりした。興味ないけど、そんなのが世界に広まるのはイヤですね、と。



ハリアー(ハイブリッド)ユーザーとしての雑考

2009年04月11日 14時21分41秒 | 俺のそれ
以前に書いたことがあったと思うが、我が家では原油価格高騰前にハイブリッド車を導入していたので、やや得した気分はあった。しかし、この度の経済対策で取得税と重量税の全額免除、その上更なる補助金が来るという話まで出ているので、はっきり言って泣いています。
もの凄く損した気分。
どうして我が家で買った時には、何の補助もないの?

これはしょうがないので、まあいいか(笑)。


ハイブリッド車の使用経験に基づいて、重大な指摘をしたいと思いますので、担当の方々はどうか心してお読み下さい>トヨタ殿
(冗談です、真剣に受取らないでね)


①モーターのアシストの設定が大きなお世話

多分、コンピュータによる制御だろうと思うのですが、私の「意に反している動作が多すぎ」です。機械なので、頭が悪いというか、場面には適合していないことが多いのです。これならいっそ、もっと単純化してもらった方がマシです。そのワケについては、以下に書いていきたいと思います。


②気温の問題

大体15~16℃程度が第一の境界かな。これ以上の気温であるとモーター駆動が多くなる傾向で、これより低温になるとエンジンが動くことが増える。アクセルペダルの踏み具合は同じにしているが、モーター駆動の程度が変化する。温度が低いとモータートルクが小さくなってしまいエンジンが駆動するのか、トルク計測のセンサーが温度の影響を受けてトルク不足=エンジンを駆動してしまう、ということになっているのか、よく判らない。が、夏場はモーター駆動時間が増えるので燃費は良くなる。しかし、春秋などの気温低下局面ではやや燃費が落ちることになる。

第二の境界は3~4℃程度。この気温を下回ると、モーター駆動が更に落ちることになる。室内暖房を切っているにも関わらず、勝手にエンジンが動く。余計なことすんな、って感じ。特に腹立たしいのは、バックギアに入れるだけで、エンジン駆動。この機械は頭が悪すぎだな、と思う。モーター走行なのでエンジンは切れている状態で停車し、駐車スペースに入る為にバックギアに入れると勝手にエンジン始動となる。アホか?アクセルペダルを踏むわけでもなく、ブレーキ踏んだままなのにトルク不足を勝手に計測するのか、と不思議に思う。タイヤ条件は同一。

停車中にしても、気温が低い時に車内暖房を切っていてもエンジンが停止しないことが圧倒的に多い。信号待ちの時には、必ずエンジン停止になってくれればいいのに、何を判定してるのかアイドリング状態のまんまだ。夏場だとそういうことはない。

こんな無駄に余計なプログラムを組むのはやめて欲しい。


③路面状況の問題

回生ブレーキは、作動する時としない時がある。これも余計な判定が多い。はっきり言って機械の頭が悪い。
例えば、濡れたマンホールや橋の継ぎ目なんかに載った状態でブレーキがかかると、タイヤの摩擦を感知しているのだろうと思うが、回生ブレーキが作動しない時が発生する。殺す気か?(笑、冗談ですけど)

特に冬の凍結路面では、摩擦係数が極端に落ちる為、回生ブレーキが効かない状況が圧倒的に多くなる。エンジンブレーキを効かせたいのに、逆に効かなくする設定って意味がない。わざわざ、ギアをBに入れないとならない。あと、回生ブレーキが作動しない場面があるのだが、速度の問題なのか、アクセルを踏まない空走時間の問題なのか判らないが、回生ブレーキが作動しろよ、と確実に思っている場面なのに、まるでニュートラにギア抜けした時のようになることが度々ある。特に冬。夏場なら乾燥路面なのでブレーキの効きが良いので大丈夫なのだけれど、冬の積雪場面だと回生ブレーキが突如抜けたようになって効かないことがどれ程危険性を増すか判るのか、という話。そもそも車重がやたらと重く、エンジンブレーキが効かず、回生ブレーキすら効かないとなったら、モロにタイヤが頑張るしかない、ということになって、時速30~40kmなのに止まるのが極めて困難ってことが普通に起こる。

回生ブレーキが効いてる時だと発電メーターみたいなゾーンに針が行ってるけど、効いてないか、そこから逆に抜けて(先に書いたような昔式のクラッチのある車の時に、急にギアをニュートラに入れたような感じ)プラス側に針が示していることが度々ある。ブレーキペダルの踏み込み具合とか、そういうのも計測していて関係があるのかもしれないけど、積雪路面でブレーキを深く踏み込める場面なんてないんだから、夏場の乾燥路面しか走ってない車と同じ設定にするのはやめて欲しい。

いっそ、モーター駆動のルールをもっと単純化してもらった方がマシ。今だと、いつ回生ブレーキが効き、抜けるのか予測ができない。
アクセルペダルを離したら、1秒後にはエンジンカット、ブレーキ踏めば回生ブレーキも作動、ということにして欲しい。回生ブレーキがいちいち効くと、高速道路なんかで車間を調節する為にほんの軽めにブレーキを踏んでしまうことがあったりした時に、ブレーキが効きすぎてよくない、とかあるのかもしれないが、それなら、ブレーキペダルの踏み込み時間で初めのコンマ数秒は回生ブレーキが小さめで、踏み込み時間が長い場合には次第に回生ブレーキの効きを大きくしてゆくことは可能では。グラフでいうと、放物線の底の方と、グンっと伸びてゆく急角度部分と、みたいな違いはできるのでは。

タイヤの抵抗を感知する(本当にしてるかどうかは知らない)のはいいけど、ブレーキ途中でブレーキの効き目が勝手に変更されたら、たまったものではないんです。


④転がり抵抗の問題?

冬タイヤは純正ホイールに指定されたサイズのタイヤを履かせているが、ゴム質の問題なのか重さの問題なのか判らないが、エンジンが動くことが多い。転がり抵抗とかが関係するのかもしれないが、よく判らない。
モーター駆動のゾーンに針を留めているのに、そこでエンジンがスタートしてしまう。何で?
夏場だと、ゾーンの領域はほぼ正しい。そこの範囲にある時には、エンジンが動かずモーターだけで走行できることが殆どだ。アクセルペダルはじわっと踏むので、モーターでスタートが標準的なのだ。

しかし、冬になると②の問題もあるのだろうが、ゾーン内なのにエンジンが動くのが腹立たしいのである。燃費が悪くなる。
夏場は調子が良ければ12~13km/Lなのだが(高速はもっと落ちて悪くなる)、冬場だと10km/L程度まで悪化する。窓が凍結すると更に悪くなって、一時的に10kmを切ることがある。

もっと悪いのは、発進時には凍結路面だとタイヤが滑るので、トルクが大きすぎることがアダとなることだ。エンジンが動くとトルクが大きい為にタイヤが空転しやすくなる。だが、モーター発進だとそこまでトルクの大きさがないので、タイヤの空転は減り、発進しやすい。なので、100%モーター発進でいいよ、とこちらは思っているのに、勝手にエンジンがスタートするので、腹立たしいのだ。一体、何の為にアクセルペダルをじっくりと踏んでいると思っているんだ!、と言いたくなる。4輪駆動なのに、ごくごく僅かな上り傾斜があるだけで、滑って発進がやたらと遅く、車重が命取りとなっているわけです。路面の摩擦係数が低い条件では、コンピュータの設定はほぼ間違いと言ってもいいくらい。


以上のように、無駄なプログラムとなっていることがかなり多いので、やめて欲しい。
ワザとオレの言うことを聞かない仕様にされているのではないか(笑)、と錯覚するほどだ。

上にも書いたように、もっと単純なルールになっている方がはるかに実用的。
最も優先するのは、ブレーキペダルを踏めば必ず回生ブレーキにしろよ、とか。状況によって変える、という設定が、一番の余計なお世話。センサーの判定が間違ってることがかなりある、ということだ。アクセルペダルを離して○秒後にはエンジン停止、とか必ず入れときゃいいのに、場合分けで止まったり止まらなかったり。車重がやたら重いハリアーだと、どんだけ惰性走行が大事なのかということだわ。軽い下り路面なんかだと、かなり燃費に差が出るんだよ。極めつけが、バックギアに入れただけで、エンジンスタート。アホか。

無駄な仕組みを作り上げる為に、コストが大幅にアップしているようなもの。オレのアクセルの踏み具合のクセとか、下手に憶えようとしなくていいの。そんな無駄な部分に脳みそ(コンピュータのAI?)を使うくらいなら、考えてくれない方がマシ。そのAIは除去しちゃって下さいよ、と。
運転者が私じゃなくて、整備工場の人であっても、それを勝手に覚えちゃうんだよ?
因みに、工場の人が無駄運転をして来ると、燃費の数字が落ちているから確実に判る。残り燃料と走行してきた大体の距離で、平均の数字がこれだけ低下しているということは、停車中の燃料消費がそれなりに多いか、乗ってくる間にエアコンガンガンMaxで消費とか、発進時のアクセル踏み込みが多すぎるとか、そういった燃費悪化の要因があるわけだから。まあ、相手には可哀想だから、そんなことを言ったり指摘したりしたことはないが。

そういう悪いクセを覚え込まされてしまうと、記憶を消せるわけではないから。バッテリーが上がったときに、リセットされちゃって、折角私がこれまで教え込んできた記憶が全部消えてしまったんじゃなかろうか、と疑っているよ(笑)。



補足的な問題点を書いておきますね。

・エンジン点火やドアロックやセキュリティのバッテリーとモーターのバッテリーは違う

これも知らなかったんだけれど、バッテリーが上がるとエンジン始動が不可能となる。あんなにでかくて重いバッテリーを搭載し、コンセントに差し込んで使えるのに、エンジンだけはかからないのだ。本格的にコントみたいな現象。

夏場にエンジンが停止して走行している時間が長いと、点火用バッテリーの発電が不十分となりバッテリーが上がる原因となるのではないだろうか、というのが、私の推測だ。実際、昨年にバッテリーが上がってしまった。何台か乗り継いできたが、これまでバッテリーが上がるなんてことは一度だってなかったのに(勿論充電しなおしたこともない)、電気の力で一部駆動している車が「バッテリーが上がって走れなくなる」という事態を迎えたわけだ。なんといいますか、本当にマヌケだわ。

しかも、セキュリティのお陰で他車からバッテリーにジャンプさせることも簡単にできないのだ。ドアロックの電源とかも、エンジンと共用になっており、まずドアが開かないことでアレってことになって、カギで開けて入れたが、今度はエンジンがかからず、レスキュー会社に来てもらってはみたものの、バッテリーに電気を送れずに結局レッカー。地元の販売会社の方で助けてくれたので良かったけれど、自分1人だとどうにもできなかったね。けれど、ライトや室内灯の消し忘れとかありませんか、なんて言われたけれど、そういうのは自動で電源カットされるのだから、そもそも有り得ないでしょうに。

なので、やたらと重たいバッテリーを積まされている割には、エンジンなどのバッテリーに電力供給ができない、ということになっているわけです。直流と交流といった違いがあるのでしょうから、それはまあそうなのかもしれませんが、乾電池に充電できる装置があるように、エンジン側に一部供給できる仕組みになっている方がいいのに、とは思いますよね。モーターでよく走る人は、要注意ということではないかと思います。走行中にエンジンの停止している時間が長いと、エンジン用バッテリーに充電される機会が減り、バッテリー電圧が回復しない、ということになるでしょう。その上、すでに述べたような「バックギアに入れるだけでエンジン始動」とかだと、エンジンのスタート回数が普通の何倍かに増えているでしょうから、消耗しているのかもしれませんし。


・寒冷地では電気自動車は不利な部分が多い

まず、雪が最大の問題。回生ブレーキの話は書いた通りで、路面の摩擦係数が極端に低くなると不利になります。
もっと重大なのが、暖房という問題です。
北海道なんかだと凄く寒いので、エンジンの熱で暖房や氷などを溶かしているわけです。ところが、電気自動車が主流になってしまうと、こうした仕組みが全て失われるのです。

まず、ガラス。
凍ったガラスが見えるようになるには、温まるまでの時間が必要になります。(寒冷地仕様だけか判りませんが)リアガラスに電熱線入りガラスが使われていて、溶かすことが可能ですが前方ガラスに線が入っているとウザい、ということはあるかと思います。でも、凍結を溶かす効率で考えると、電熱線と熱伝導が望ましいのでは、と思います。なので、線のあまり目立たないガラスの開発とか線の入れ方の工夫(例えば額縁みたいに周辺に多くするとか)などが必要ではないかと思っています。

次に、暖房ですが、車内温度が低くなり過ぎると辛いので、暖房装置が必要です。電気コンロ程度の装置だと、温まるまでの時間がかなりかかってしまいます。特に客待ち時間の長いタクシーなんかであると、寒くて大変ではないかな、と。そこで暖房装置としては、例えば電熱コイル+温風式とかを考える、ということになるかな、と。電気での暖房というのは、内燃機関などに比べると不利ではあります。これまでは、放っておいても熱くなるので、それを風で送り込めば良かっただけですが、今度はモーター温度の熱程度では温まらないのではないのかな、ということです(何度くらいになってるか知りませんが、大して過熱したりはしないんじゃないかな、と)。しかも走行モーターが温まるのは走行中だけですので、停車中は寒いです。

他には、コタツ方式っぽい装置とか。足元用の赤外線暖房装置があったりしますので、そういうのを車載用にするとか考えてみては。それとも、電磁調理器のような仕組みの装置を開発するとか。最近の電化住宅なんかにあるけれど、ガスコンロではなく電磁調理器ですよね。これだと、電磁調理器部分は電力で作動させられ、熱を伝える「ホットプレート」のような鉄板を暖めることで鉄板温度が上がり、これを車内に送風すると暖房できるかもな、と。かなり時間がかかりそうだけど。

電気自動車の場合には、発電で得られた電力自体が既に熱によるエネルギーロスがあるのに、これを再び熱に変換するので無駄が多くなりそうです。内燃機関であれば、発熱は避けがたいので、この熱を利用すればいいだけという利点はあります。
暖房に電力の多くを割いてしまう必要があるとなると、航続距離の問題も気になります。

ブレーキ問題に関しては、発電モードを強力にできれば(モーターの逆回転とかできるの?)、解決は困難ではないと思えます。旧来のブレーキシステム(オートマ+通常のブレーキ)よりは停車距離は短くできそうな気がします。モーターそのものをコントロールすればいいのですから。エンジンブレーキの効き目がそれなりにあったとしても凍結路面では止まり難いので、モーターとタイヤの回転を直にコントロールできるのであれば、路面とタイヤ摩擦で主に減速していたよりは、マシになるのではないかと思えます。


このように、寒冷地では電気自動車のデメリットというのは、それなりに存在していると思います。




個人金融資産の08年度状況を振り返ってみる

2009年04月10日 20時26分02秒 | 俺のそれ
08年度の投資損失を大体整理してみた。
結果は惨憺たるもの。
酷い状況だった。

が、いずれどうにかなるのではないか(当たり前か、笑)と思う。


my金融資産を大別すると、安全性の高い資産(主に積立系統の共済や保険商品、預貯金など)が約85.19%、株や投信などのリスク資産が残りで株式10.98%、投信+外貨建商品(外貨MMFや外債)が3.83%でした。


もう少し前だと、リスク資産は約20%程度の残高があったのだが、大幅に目減りして評価損を出した。特に株式は約40%近くの損失。17%近くの割合を占めていたものが、今の水準にまで低下。投信はまあそんなもんかな、ってことで、大した傷みでもないので、まあいい。

救いは、外貨の大半を退避していたことかな。しかし、投入先が外貨→株だった為、結局損失は免れず。08年10月以前に株式に投入した資金は、ほぼ全てが損失を出す結果となってしまった。あそこでちょっと熱くなったことが敗因だろうと思う。当初の損失はそんなに大きいものではなかったのに、外貨を退避した後で株式に資金投入を行い損失を拡大してしまう結果となった。まさか8千円割れまで下落するなんて思っていなかったので。大幅に下落したので、やはり買いだろう、と思って資金投入を行ったら、そこから更なるどん底が待っていた、ということですな。残念。一応、純粋に売買価格だけで計算すると若干のプラスだったけど。つまりは、手数料がかなり痛いのだ、ということ。証券会社に吸い取られてばかりだな(笑)。


これまでの投資期間中の大半は下落局面ばかりで(笑)、バブル崩壊後の「失われた20年」(約20年、ということですが)では投資で利益を出すというのはかなり難しいと思う。何たって、名だたる有名大学なんかでさえ、ご立派な経済学教授陣なんかが大勢揃っておいでなのに、それでも大穴を開けてしまうわけですから、こちとらのようなド素人がマイナスを食らったとて不思議でも何でもないわけでして。


これまでのところ、大幅な含み損を抱え、リスク資産はかなりのダメージを受けたよ。これは、ホラ、例のなんとかみたいなタレントが「にわか投資家」に転向しようとして、半値に落ちたのと似たようなもんです。
だが、安全運用資産は大事だ、ということも再確認できて良かったですわ。

しかし、多額の借金は残っており、これをこの先も返し続けねばならんのか、と思うと、ちょっと寂しい。
住宅ローンとか、ふざけてんの?、と思った。世界的利下げ局面なのに、何故か下がらない。金利の動向とかではなくて、銀行の能力とか調達具合とか、そういうクソみたいな部分で勝手にふっかけてくるからね。まさしく一方的。変動リスクを負ってるこっちの身にもなってくだせえよ。といっても、旧住宅金融公庫の固定金利時代よりは低く抑えられてはいますがね。


あ~あ、借金はイヤだねえ…、とか言いつつも、借金があることによって、持たざる人間が資産形成を可能にする、ということもある。使い方次第、ということなんでしょう、きっと。


ご結婚50年に思うこと~天皇・皇后両陛下のお言葉

2009年04月10日 11時55分06秒 | いいことないかな
金婚式を健やかにお迎えになられ、誠におめでとうございます。
国民の1人として、大変喜ばしく思います。

今朝の読売朝刊に掲載された会見のご様子を拝見し、天皇陛下の暖かい眼差しや皇后陛下のおいたわりの心など、私の心に染み入るお言葉が多数ございました。大変畏れ多いことですが、妻と二人で「このような夫婦になりたいものですね」と話しておりました。我が家はまだまだ3分の1に過ぎず、17年でございます。妻への感謝の気持ちを忘れず、夫婦ともに歩んで参りたいと思いました。


会見のお言葉の中から、特に心に響いたお言葉をご紹介したいと思います。
はじめに、天皇陛下のお言葉から。

『象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っております。なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。』

『新嘗祭のように古い伝統あるものは、そのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。したがって現在、私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種もみをまくことから始めています。』

『先ほど天皇のあり方としてその望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。』

『皇后はまじめなのですが、面白く、楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思い出します。また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木が好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。
 語らひを 重ねゆきつつ 気がつきぬ われのこころに 開きたる窓
婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から、私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に、感謝の気持ちで迎えます。』

天皇陛下が、戦後日本の天皇制や皇室のあり方というものについて、常に深くお考えになられ、また歴史的観点からも考察されておられるということを、改めて知ることができました。宿命とはいえ、1人の人間が歴史と伝統の重責を担わされ、それに抗うことすら許されないという人生は、大変な責任を負うものだろうと思います。そして、「(天皇として)どうすべきか」ということは、次世代が同じように悩み、考え、自分で自分の答えを探し出しなさい、ということかと思います。
大変なご決心で皇后さまを迎え、「開かれた窓」を皇室にも陛下の人生にも得ることができたことは、替え難い喜びであったろうと存じます。国民にとっても、そうであったと思います。


続いて、皇后さまのお言葉。

『伝統と共に生きるということは時に大変なことでもありますが、伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることを好ましくは思いません。
また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。』

『伝統の問題は、引き継ぐと共に次世代に委ねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たいがそれぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるように願っています。』


皇后陛下ならでは、と思える、重いお言葉が記されておりました。
私自身、安易に「伝統」と用いていることが多いのですが、伝統を重んじることも大切であり、また新たな挑戦や変えてゆこうとする意志も同じく大事なことなのだと感じました。これは、過去の皇室の伝統との狭間でご苦労をなされたご経験があってのことかと思います。

伝統を伝統として育み、継承してゆくのは、時代であり次代の役割なのだ、ということではないかと思いました。伝統とは、旧世代からの押し付けであってはならないのだ、ということなのかもしれません。押し付けの伝統は、「伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめることがある」ということにつながりかねないのだ、ということなのだろうと思いました。

選んでゆくのは未来の人々なのであり、伝統はそうして作られてゆくのだろう、と思いました。
私の人生程度の短い時間では、答えが見つけられないものだと思いますが、残りの人生の中でもう少しよく考えてみたいと思います。



大変よき日をお迎えになられ、お慶び申し上げます。



『ハンコック』と『ウォンテッド』

2009年04月08日 12時55分40秒 | 俺のそれ
『ハンコック』の方はイマイチな感じだった。
どちらかといえば、「ええっー!?」って展開。

『ダークナイト』のDVDを買って、メイキングについて知ってしまった私にとっては、あまりにお粗末映像が多すぎるのが気になった。

娯楽映画と思えばいいのかもしれないが、あの女との関係とか、ヒーローの苦悩や広告コンサルの流れが良かった前の方に比べて、唐突感もあるし後味の不完全燃焼っぽい感じが、しっくりこなかった(笑)。

ま、でも、好みもあるかも。



一方、『ウォンテッド』の方は、「自分スタイル」に合ってる作品だった。

何といっても、冴えない、うだつの上がらない平凡な若者が、父親というルーツや「自分探し」をする映画だからだね。

スナイパー、バレット、ドブネズミ、安物のデジタルウォッチ、あやとり、など、個人的に共感できる部分が多いから、ということもあるか(笑)。
「サイコガン」と見紛うばかりの曲射?、斬鉄剣の如きナイフさばき、なんかも素晴らしい。

北のミサイル発射問題で、政府高官発言の「弾丸で弾丸を撃ち落とすようなもの」というのを、まさしく地でゆく特殊能力が遺憾なく発揮されていた。何てタイムリーなのだろう、と思ったよ。


究極的な力を持つ暗殺組織が、その自らの力ゆえに運命づけられることというのが、中々深い。必ずや「狼が支配すればいい」と考える人間が出てくる、ということでもあるのだ。影の人間は永遠に影でなければならず、自らが意志を持ち選択してはならない、ということでもある。そういう恣意性を持つようになれば、暴走からは逃れらないから、ということもある。


自分を取り戻す、自分とはいかなる人間なのか、というような大きなテーマがよいので、くすぶり続ける若者には観てもらいたいものだ。

グーグルで「自分検索」をするシーンも最高。
いわゆる「エゴサーチ」とかってやつかな(笑)。

いくら「自分探し」をグーグルさんに尋ねても、さしものグーグルさえ答えてはくれないのだ、という、バーチャル世界に答えなどない、ということも、大変素晴らしい描写となっていた。
オススメの1本。



「中国の存在感」を持ち上げる人々

2009年04月07日 16時46分59秒 | 外交問題
幾度か書いては消し、記事を公開しないでおこうと思ったり、色々と迷った挙句に、やはり出すことにした。



G20が終わって、世界経済には一服感が出始めたようだ。これは、素直に良い兆候といってよいだろう。傷ついた世界経済には、春の陽気と同じくらい明るい話題が必要なのだから。
さて、今回の会合では、日本国内報道のみならず海外でも、「中国の存在感が増している」といった論調の報道があったように思うが、いかがであろうか。世界経済が疲弊しているとて、中国を主役に据えようとする欧米諸国の気持ちが、私にはよく理解できない。実利にこだわるのは判らないではないが、あまりに節操がないのではないかと驚きを隠せないのである。


①中国は共産主義国

節操のない人々というのは、これまで社会主義や共産主義を敵対陣営として認定してきたにも関わらず、そうした主義主張は一夜にして崩れ去るものらしい。自由資本主義やかつての西側諸国というのを政治的拠り所として世界の枠組みを構築してきたのに、共産主義者は米国やEUの偉大なる友人に早代わりしたらしい。
笑止。

軍拡を続ける共産主義国であり、核武装国かつ戦略核ミサイルさえ持つ中国が、世界の潜在的脅威でないと言えるのは何故なのだろうか。度重なる地域紛争の主役であったし、今でもチベットや台湾の問題を抱えたままであることに変わりはない。二枚舌というのは、こういう時に用いるものなのであろう。よりによって、共産主義者に資本主義経済の綻びを肩代わりしてもらいたいと願うなら、自身が早速共産主義国に生まれ変わればいいではないか。資本主義国の敗北を受け入れて、中国のような共産主義国に宗旨替えでもするべきだろう。


②保護主義者を擁護する人々

彼らにルールなどない。あるのは、自分の都合だけである。だから、ルールは自分の都合に合わせて作ればいいだけだ。公平かどうかは、そもそも無関係なのだ。
保護主義は世界経済に悪影響を及ぼすというスローガンを掲げていたのは、誰なのか教えて欲しい。欧米では、自ら主張することと、行動とは全くの別だというのが一般的なのかもしれない。

中国が国内の公共投資を60兆円くらいするよ、というアナウンスを行うだけで、多くの国々が大感謝するらしい。彼らは、中国での使い道を知っているのだろうか。世界経済をたったの60兆円でえ救えるとでも思っているのだろうか。
その中国は、関税障壁を他のどの先進国よりも高く設定しており、国営企業や国内の特定企業の保護には余念がないではないか。60兆円の資金は、そうした企業に多くの金が流れるだけだというのに、何故か諸手を挙げて大歓迎、というのが欧米の反応らしい。その前に、どうして保護主義的な政策を野放しにしておこうとするのか甚だ疑問だ。

これは中国ばかりではなく、EUとてそうした側面はあるだろう。
日本が自動車や電機製品の輸出で稼いでいた時、欧米では何と言ったか?
日本の輸出はおかしい、と言っていたではないか。関税を撤廃させられたではないか。日本は自動車関税をゼロにさせられた。しかし中国は、完成車の関税はなんと25%だ。EUも日本車を輸入すると10%もの関税を取っている。こうした国々は日本に輸出する時には関税ゼロで自由に販売し、日本から輸出する時には関税をガッポリ取る、という、圧倒的に不公平な制度になっているのだ。米国やカナダだって、関税をゼロになんかしていない。日本の電化製品は欧州では高額な関税を取られ、価格競争で不利になるように仕向けられているのである。


要するに、日本にだけは市場が閉鎖的だと攻撃し、関税ゼロを求めるという狡さがあるだけ。
そして、中国人には決して同じようには言わないのだ。むしろ、「おお、共産主義者よ、我らにお恵みを」と物乞いしているようなものだ。だからこそ、中国が国内向け公共事業を決めただけで、各国が大喜びするのだそうだ。ここまで共産主義礼賛を見せられると、反吐が出そうだ。


日本が90年代に大規模な財政支出を決めた時、米国が日本にお説教をしに来るだけで、世界の誰も歓迎などしなかった。日本人は常に騙され続けたのだ。そして、今も同じである。

日本が米国債保有高の世界一であった期間はそれなりに長かったが、日本はどうであったかと言えば、「ぶあか野郎!」ということで米国から怒られ、「お前ら、売らずに持ってろ、このボケが!」とぶちのめされたのだった。だが、僅か数ヶ月前に中国が日本の保有高を越えたという時からは、日本はタダの客の1人に過ぎなくなり、「中国さま」が上客のお得意さまに変身したのだそうだ。日本はその他大勢の1人に過ぎない、ということが、いよいよもって判明したのだということ。


日本が今よりもずっと成長していた時、先進国のどこであろうと、これを歓迎などしなかった。むしろ憎まれ続け、恨まれ、バッシング対象とされた。
日本は、もっと国連分担金やODAに金を使え、と怒鳴り込まれることはあっても、金を払ったからといって感謝などされなかったし、湾岸戦争の時にだって米国に戦費として金を召し上げられただけだった。今は、中国が途上国に自分たちの権益を拡大する為だけに資金をつぎ込んでいても、他の先進国から文句一つでることもなく、安保理の常任理事国であるにも関わらず、権限だけは大きくて金はケチって出さないし、日本みたいに途上国向けに資金提供するどころか日本からは「もっとODAを継続しろ」と金を奪っていく始末なのだ。金だけ奪っていって、存在感もヘチマもなかろうに。常任理事国のくせに、日本以下の金しか拠出していない国々は、発言権を大幅に縮小した方がいいな。

欧米の得意の言い分は何だったか?
株主が偉い、株主が大事、だったんじゃないか?
金を出している株主は出資比率(持株数)に応じて議決権を与えられているが、国連分担金は違うのだそうだ。日本が1千億ドルの新規出資を決めたIMFだって、出資比率に応じて議決権があるらしいじゃないか。笑えるぜ。

無駄に金を多く取られたって、発言力が増すわけでもないのだ。むしろ、圧倒的に少ない中国やロシアなんかの方が、存在感が高まるのだと。ならば、そっちに金を出してもらえばいいだけだ。新興国が影響力を持つだのと言う割りには、金を出さない連中が多すぎる。

こうやって、お人よしの日本は一方的に金を奪われていくだけ。
何かをやっても、金を出しても、文句を言われるか、舐められるだけ。



以上を踏まえて、今後の日本の取り得る選択肢を考えてみたらよい。


日本は、再び鎖国でも考えた方がいいかもしれない。どうせグローバル化や反保護主義とか言っても、日本に不利なルールや仕組みが作られるだけ。残るのは、一方的に不利な立場のみ。北方領土だって、その一つでしかない。あるのは、彼らにとって都合のよい論理だけだ。
だから、鎖国によって隔絶された世界で生きる方がマシ。世界経済なんか無視して、米国債だろうとドルだろうと全部売ればいい。これまでの海外投資や工場なんかも全て引き払って、全額日本に戻せばいい。彼らが望んでいる世界とは、そういう世界だ。中国が60兆円使ってくれればいいだけなんだから。


実際、日本に商売しに来ている外資の連中は、「資金を引き上げるぜ」「スポンサーを降りるぜ」それでもいいのか、というあからさまな脅しを使ってきたんだから、彼らと同じように行動したらいい。これが向こうの論理・やり方なのだから、それに準じればいいだけなんだよ(笑)。彼らが選んだ方法と同じことを、全く同じように返してやればいい。簡単でしょ?

そうでもしなけりゃ、彼らは永遠に思い知ることなどないだろう。日本人が何か言っても、聞く耳を持つ人間など海外にはいないが、本当の行動で示せばどんなに鈍感な連中とて、知る時がやってくるだろう。そこまでやらないと、判りはしない。骨身に染みて判る、ということにはならないだろう。

というわけで、今だからこそ、本当に判らせてやるのさ。