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個人金融資産の08年度状況を振り返ってみる

2009年04月10日 20時26分02秒 | 俺のそれ
08年度の投資損失を大体整理してみた。
結果は惨憺たるもの。
酷い状況だった。

が、いずれどうにかなるのではないか(当たり前か、笑)と思う。


my金融資産を大別すると、安全性の高い資産(主に積立系統の共済や保険商品、預貯金など)が約85.19%、株や投信などのリスク資産が残りで株式10.98%、投信+外貨建商品(外貨MMFや外債)が3.83%でした。


もう少し前だと、リスク資産は約20%程度の残高があったのだが、大幅に目減りして評価損を出した。特に株式は約40%近くの損失。17%近くの割合を占めていたものが、今の水準にまで低下。投信はまあそんなもんかな、ってことで、大した傷みでもないので、まあいい。

救いは、外貨の大半を退避していたことかな。しかし、投入先が外貨→株だった為、結局損失は免れず。08年10月以前に株式に投入した資金は、ほぼ全てが損失を出す結果となってしまった。あそこでちょっと熱くなったことが敗因だろうと思う。当初の損失はそんなに大きいものではなかったのに、外貨を退避した後で株式に資金投入を行い損失を拡大してしまう結果となった。まさか8千円割れまで下落するなんて思っていなかったので。大幅に下落したので、やはり買いだろう、と思って資金投入を行ったら、そこから更なるどん底が待っていた、ということですな。残念。一応、純粋に売買価格だけで計算すると若干のプラスだったけど。つまりは、手数料がかなり痛いのだ、ということ。証券会社に吸い取られてばかりだな(笑)。


これまでの投資期間中の大半は下落局面ばかりで(笑)、バブル崩壊後の「失われた20年」(約20年、ということですが)では投資で利益を出すというのはかなり難しいと思う。何たって、名だたる有名大学なんかでさえ、ご立派な経済学教授陣なんかが大勢揃っておいでなのに、それでも大穴を開けてしまうわけですから、こちとらのようなド素人がマイナスを食らったとて不思議でも何でもないわけでして。


これまでのところ、大幅な含み損を抱え、リスク資産はかなりのダメージを受けたよ。これは、ホラ、例のなんとかみたいなタレントが「にわか投資家」に転向しようとして、半値に落ちたのと似たようなもんです。
だが、安全運用資産は大事だ、ということも再確認できて良かったですわ。

しかし、多額の借金は残っており、これをこの先も返し続けねばならんのか、と思うと、ちょっと寂しい。
住宅ローンとか、ふざけてんの?、と思った。世界的利下げ局面なのに、何故か下がらない。金利の動向とかではなくて、銀行の能力とか調達具合とか、そういうクソみたいな部分で勝手にふっかけてくるからね。まさしく一方的。変動リスクを負ってるこっちの身にもなってくだせえよ。といっても、旧住宅金融公庫の固定金利時代よりは低く抑えられてはいますがね。


あ~あ、借金はイヤだねえ…、とか言いつつも、借金があることによって、持たざる人間が資産形成を可能にする、ということもある。使い方次第、ということなんでしょう、きっと。


ご結婚50年に思うこと~天皇・皇后両陛下のお言葉

2009年04月10日 11時55分06秒 | いいことないかな
金婚式を健やかにお迎えになられ、誠におめでとうございます。
国民の1人として、大変喜ばしく思います。

今朝の読売朝刊に掲載された会見のご様子を拝見し、天皇陛下の暖かい眼差しや皇后陛下のおいたわりの心など、私の心に染み入るお言葉が多数ございました。大変畏れ多いことですが、妻と二人で「このような夫婦になりたいものですね」と話しておりました。我が家はまだまだ3分の1に過ぎず、17年でございます。妻への感謝の気持ちを忘れず、夫婦ともに歩んで参りたいと思いました。


会見のお言葉の中から、特に心に響いたお言葉をご紹介したいと思います。
はじめに、天皇陛下のお言葉から。

『象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っております。なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。』

『新嘗祭のように古い伝統あるものは、そのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。したがって現在、私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種もみをまくことから始めています。』

『先ほど天皇のあり方としてその望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。』

『皇后はまじめなのですが、面白く、楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思い出します。また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木が好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。
 語らひを 重ねゆきつつ 気がつきぬ われのこころに 開きたる窓
婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から、私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に、感謝の気持ちで迎えます。』

天皇陛下が、戦後日本の天皇制や皇室のあり方というものについて、常に深くお考えになられ、また歴史的観点からも考察されておられるということを、改めて知ることができました。宿命とはいえ、1人の人間が歴史と伝統の重責を担わされ、それに抗うことすら許されないという人生は、大変な責任を負うものだろうと思います。そして、「(天皇として)どうすべきか」ということは、次世代が同じように悩み、考え、自分で自分の答えを探し出しなさい、ということかと思います。
大変なご決心で皇后さまを迎え、「開かれた窓」を皇室にも陛下の人生にも得ることができたことは、替え難い喜びであったろうと存じます。国民にとっても、そうであったと思います。


続いて、皇后さまのお言葉。

『伝統と共に生きるということは時に大変なことでもありますが、伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることを好ましくは思いません。
また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。』

『伝統の問題は、引き継ぐと共に次世代に委ねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たいがそれぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるように願っています。』


皇后陛下ならでは、と思える、重いお言葉が記されておりました。
私自身、安易に「伝統」と用いていることが多いのですが、伝統を重んじることも大切であり、また新たな挑戦や変えてゆこうとする意志も同じく大事なことなのだと感じました。これは、過去の皇室の伝統との狭間でご苦労をなされたご経験があってのことかと思います。

伝統を伝統として育み、継承してゆくのは、時代であり次代の役割なのだ、ということではないかと思いました。伝統とは、旧世代からの押し付けであってはならないのだ、ということなのかもしれません。押し付けの伝統は、「伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめることがある」ということにつながりかねないのだ、ということなのだろうと思いました。

選んでゆくのは未来の人々なのであり、伝統はそうして作られてゆくのだろう、と思いました。
私の人生程度の短い時間では、答えが見つけられないものだと思いますが、残りの人生の中でもう少しよく考えてみたいと思います。



大変よき日をお迎えになられ、お慶び申し上げます。