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情報とは何か?

2006年01月10日 22時23分17秒 | 俺のそれ
非常に大袈裟なタイトルですけれども、前の記事の「空気嫁問題」と「タネは生きてるか?」からの繋がりで、書いてみたいと思います。「繋がりって、どこが繋がってるの?」と疑問に思われるかもしれませんが、そういう発想だと思って御容赦下さいね。


また生物の形から考えてみよう。人間のような動物の普通の細胞は、大抵幾つかの同じような細胞が集合してある機能を司っている。「組織」(tissue)とはそういうものです。簡単な例で言うと、皮膚とかも同じような仲間の細胞がずらっと並んでいるのですね。で、こういうグループを形成することで、うまく機能することが出来ます。個々の細胞を見ると、隣り合う仲間同士は多くがピッタリとくっついて並んでいますね。隣り合う細胞同士では通常非常に小さなトンネルというか通路みたいな部分があって、物質の移動とかが行われていると考えられています。非常に大雑把に言うと、隣の細胞の様子を知る事が出来るのです。何となく人間社会に似ていて面白いでしょ?細胞は同じ仲間では隣同士互いの様子を知ることが出来る、ということですね。勿論細胞の運営は独立して行われているし、いずれは細胞が死んじゃうが、隣同士の細胞がいつも同じ寿命とも限らないかもしれませんね(似たような寿命が多いと思いますが、いつも同じということではないでしょうね。人間と同じで「同期の桜」のような同じ世代の細胞が沢山いるでしょう)。死ぬと細胞同士が隣合う列から離れて、処理されてしまうでしょう。取り除かれるということかもしれませんが。通常は大型の貪食細胞に食べられてしまうのかな?まあ、そういう風に「組織」として細胞が周りの仲間達と緊密な関係にあって、互いの情報を交換したりしながら存在している、ということです。隣り合う細胞間の伝達情報というのは、簡単に言うと何かのイオンが移動したり、一部のタンパク質が移動したり、水が移動したりするかもしれませんが、「何かの物質」が移動していきます。恐らくそうした物質の移動に伴って、何らかのエネルギー状態の変化もきっと起こるはずですね。情報はある意味、エネルギー移動(変化)かもしれませんね。


多分、生物に神経組織が誕生する以前の、非常に原始的な形態であった時代であれば、多細胞生物の情報伝達は全て隣り合う細胞同士の連絡によっていたと思う。伝わり方が遅いし、次々と隣に伝えていくので、少しいい加減だったかもしれない。宴会で行われる「伝言ゲーム」みたいに、次々と伝えなければならないからですね。


生物は進化の過程で遠く離れた組織や、種類の異なる細胞から構成される組織にも伝達されるシステムを獲得しました。人間には神経組織がありますから、かなり効率的な情報伝達システムを持っていると言えるでしょう。そういう電気的な信号以外にも、伝達物質による伝達があります。例えばホルモンのような物質ですね。基本的な仕組みを簡単に説明すると次のようなものです。


まず、神経線維での伝達ですが、受容器となるセンサー部分があって、そこに色々な刺激物質がくっつくと神経細胞にそのメッセージが伝えられます。この時に刺激強度があまり強くなければ、神経線維には電流は流れません。大雑把に言うと、刺激強度はセンサーに付く「物質の多さ」(局所濃度とも言えるかな?)によるので、情報を伝える物質の量がある一定以上の量にならないと信号は発生せず、閾値を超えると電気信号が発生して中枢に伝えます(ある意味、ノイズのカットというかエラー防止というか、ごく少数の情報は排除されるということですね)。センサーはいくつもの種類があって、ある程度特化されており、例えば熱さを伝える線維はそれだけで、冷たさも圧力(触覚)もそれだけ、という具合に分かれているようです。痛みを伝える線維は幾つか種類があります。痛みを発生させる原因となる物質は沢山種類があるので、センサーは多様なものに反応出来るようになっています。電気信号が発生すると神経線維の端っこから伝達物質が放出され、次の線維へと信号が伝えられます。電気信号の途中で敢えて化学的な信号へと切り替わるのですね。これは多分神経可塑性の為に必要な装置なのではないか、と思っています。興奮歴が活かされるということに繋がると推測しています。だって普通に考えると、全て電気信号になっていた方が早く正確に伝わるので有利なはずなのに、途中で切り替えられるということはそのことに特別の意味があると思います。切り替え場所は大抵神経核のような中継所に集まっています。


熱いヤカンに触れると自然に手が引っ込められますが、これは所謂脊髄反射ですね(ネットの世界では「脊髄反射で書く」という決まり文句をよく目にします)。「熱い」ということを伝達する神経線維には電気的信号の種類で言うと「あり(1)」か「なし(0)」しかありませんが、ヤケドしそうなくらい熱い場合には脊髄反射が起こり、それほど熱くない場合には例えば「風呂のお湯が熱い」という程度でしか感じることがなく脊髄反射も起こりません。末端のセンサーは「温度」を伝達することができない(「今のは70℃」とか「これは45℃」とか)のに、1と0の信号の組み合わせでこうした場合分けができる、ということです。非常にうまく出来ていますね。中枢側から末端側への伝達経路(遠心路)での信号(要するに中枢からの命令)の仕組みは、神経終末からの何かの物質の放出です。筋肉であれば動かすべき筋肉組織にアセチルコリンが放出されます。受け取り側である筋肉の細胞表面のレセプターにくっつくと、「信号を受け取った」ということになります。結局伝達形式としては、化学物質→電気信号→化学物質という風に変換されていますね。機械的刺激(圧力とか力とか)はちょっと異なるかもしれませんね。何かの「変形」か「引き伸ばし」とかそういった力学的エネルギーを感知する特別なセンサーかもしれないので、この場合には力学的エネルギー→電気信号→化学物質という流れでしょうか。


ホルモンのような伝達物質は、組織特異的に、或いは細胞特異的に、その特定のレセプターを有する細胞に対してだけ効果があり、血流に乗って遠く離れた細胞であっても効果が期待出来る。隣同士ではなくてもよいのです。神経線維での伝達よりも効果が発現するまでの時間がかかるかもしれません。


神経組織の場合の情報としては、始めはセンサーのレセプターに「くっつく何か」がどれくらいあるか、それが一定以上の多さになれば電気的信号としてデジタル信号になるので、アナログ的な情報がデジタル信号へと変換される性質があるのでしょう。ホルモンのような伝達物質は、レセプターにくっつけば何かの反応を起こすが、どれ位の数の標的細胞にくっつくかが重要ですね。例えばインシュリンですが、血糖値を下げるには一定以上の放出がなければ効果が十分ではなく、正常よりもはるかに少ない放出しか出来ないと血糖値が下がらない、ということになるのです(糖尿病ですな)。


少しまとめると、得られる情報とはアナログ信号であり、それは「それを伝える何か」の量的な表現である。神経の場合には、量的に一定以下であるとそれは無視される(ノイズ排除に似ている。神経細胞自体に記録されないということではないかも。閾下刺激(=無視された刺激)であっても何処かにその記録が残る可能性はある)。情報には「強弱」があるということだ。で、量的にある一定以上になれば、同じ出力(つまり電気信号発生、電位は一定)結果が得られる。デジタル変換された結果(0か1しかない)とも言える。神経細胞の入力部分、出力部分は、いうなれば「ばら撒き」である。辺り一帯にぶちまけられた「それを伝える何か」がセンサーにくっつくかどうかは全く判らないのですが、ぶちまけられているのです。それをセンサーが感知して信号発生となり、次のニューロンに伝える為に中継所まで電流が流れると、そこでも何かの物質がばら撒かれる。どの神経線維に伝達されるかというのは、一対一のような厳密な対応となっていないのです。「ばら撒き」なので、あんまり関係の深くないニューロンとか逆の働きをするニューロンとか、そういう色んなニューロンにも伝達されているようです。なので、ニューロン同士の厳密な対応関係がないことが、実は有効なのだろうと思います。ネットワーク形成の不思議さなのだろうな、と。


ホルモンのような伝達の場合は、受け手側に「レセプター」があるかないかで決まり、レセプターを持つ細胞は反応する。ない細胞は反応出来ない。ある意味、特異的な情報ということだと思います。効果発現はこれも量的な表現となっていて(アナログ的)、どれくらい標的細胞にくっついたかということに意味があり、これも単純に「ばら撒き」に過ぎないのです。どの細胞にくっつくかとかどの組織に多くくっついたかとかはあんまり考慮されていません。アドレナリンとかステロイドのように標的となる組織・細胞がものすごく多いものもあるので、最終的な効果はどういう形で出てくるかというのは、結構難しかったりします。常にピッタリ同じでないことは確かです。


人間の情報伝達も基本的形態としては、人の口から伝えられていきますね。時には、雰囲気ということでも伝わっていくかもしれませんが。「空気嫁」の「空気」ということですね。今はとりあえずこれを考えずに、「人から人へと直接伝えられるもの」だけを考えることにします。簡単なのは、隣り合う細胞と同じで、身近な人達同士でのみ情報が伝わる、という仕組みです(特定の人同士のメールでのやり取りもこれに該当します。距離的な問題は関係ないと思って下さいね。手紙もそうか)。これを仮に、「隣接伝達」と呼ぶことにします。細胞で言うと、同じ組織の中で似たような配置に置かれている細胞同士のような関係ですね。近所の集会のような伝達もありますが、隣接伝達にほぼ近いと思います。生物でも局所の非常に狭い範囲だけにばら撒かれる伝達物質というのもあり、割と似てると思います。


次はホルモンのような、全体的に適当にばら撒かれる情報ですけれども、これはテレビとか出版とかダイレクトメールとかそういうのが似ていますね。受け手側に感度というか感受性というのか、細胞で言うと「レセプター」に該当するものがなければ、全く意味をなさないタイプの情報伝達ですね。「萌え」関連で、アニメやゲームに何の関心もない女性にとってはそれが意味のない情報、ということになると思います。でも、そのレセプターを持つ特異的な人々にとっては何かの反応があるし、細胞の種類によって反応が異なることも人間の場合と同じように思います(ある人はのめり込み、別な人は商売で儲けるというような)。このタイプの伝達は、仮に「拡散伝達」と呼ぶことにします。


最後に神経組織ということになりますが、これは複雑なネットワークということだろうなと思います。特にインターネットの登場で、こうした神経組織と近い印象を受けます。各個人レベル(各細胞レベル)であっても何かの「伝達するべきもの」を放出し、それが何らかのセンサーに到達して、一定以上の量的水準(個人の数かな)に達すると閾値を超えたためにスパイク電流発生(ブーム、流行など)となるのかな、と。伝達スピードも他と比べて最も速く、入力と出力では「ばら撒き」という形も似てるかな、と思います。このタイプの伝達を「ネットワーク伝達」と呼ぶことにします。今こうして書いているこの文章も不特定多数に向けて開かれたものでありますが、何らかのセンサーに到達しないのでスパイク発生が起こらないのですね(笑)。量的に問題があると言えるでしょう。


人間社会の中での情報伝達について考えてみると、言いたいことは次の通り。

①人間同士の情報伝達は、生物の伝達形式と似ている
②情報は何かの移動であり、移動して初めて意味がある
③情報は量的であり、基本はアナログ的なもの
④情報はデジタル変換が可能(「良い」・「悪い」のように)
⑤量的水準は信号や反応の強さを表す
⑥情報には信号強度(強弱)がある
⑦受け手依存的(感受性の有無)な面が多い
⑧隣接伝達、拡散伝達、ネットワーク伝達のような伝達形式

などがあるのではなかろうか、と。


長くなったので、とりあえず。



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