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安易なブログ…

2009年07月21日 17時19分05秒 | 法と医療
えー、有名になった「加古川事件」判決についてですが、事実誤認があるということが指摘されているみたい。

はてなブックマーク - 「加古川事件」判決への安易なブログでの批判は不当:日経メディカル オンライン


記事を読む為に、個人情報を日経グループさんに晒すという危険を冒して(笑、冗談です)まで登録してみました。


どうやら「転送先を探していたというのは誤り」、を言いたいらしい。そういう誤った事実に基づいて批判をするのは止めろ、と。なるほど、指摘はご尤もである。

タイトルにもあるように、「安易なブログでの批判」は不当、ということらしいので、ブログが安易なのか、批判が安易なのか、という問題はあるものの(恐らく後者であろうなとは思います、いや、ブログが安易でもかまいやしませんがね)、間違った批判はするべきでない、というのはそうだろうなと思います。

拙ブログにおいても、この「加古川事件」についての痛烈批判記事は書きましたので、安易なブログの仲間入り認定間違いなし、かと存じます。

Terror of jurisdiction ~加古川事件について

私のつけたタイトルがヘンだ、というのはおいといて(笑)、兵庫の研究会での指摘する論点とは若干違っているかな、とは思いますね。別に、市民病院の担当医が「転送先をいつから探していたか」ということにはあまり関係がありませんからね。

あと、補足記事はこちら>医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その4

時間経過の詳細を知っているわけではありませんが、受診から診察・検査して診断をつけて、とりあえずの応急的でも処置を行って、今後の対応を考えるとして、転送要請をいつの時点で可能であったか、というのがまず一つありますね。裁判所判断では、多分診断をつけた0時40分頃には転送をしろ、ということでしょう。確かにその時点で要請したとして、受け入れ先が見つけられたか、断られることはなかったのか、そういう問題はあるでしょう。

また、仮に0時40分に要請できて、転送先が見つかるまで10分、救急車に載せたりする移動に10分(ルート、シリンジポンプやモニター類などを付けた状態でストレッチャー移動しなくてはならない)、救急車の乗車移動時間が10分、という風にいくらでも時間は経過してゆきますよ。移動による病態悪化の危険性だって当然にあります。転送先病院到着後に処置開始までのタイムラグはどのくらいなのか、そういうのを計算できているのでしょうか?移動先到着までに30分経過していれば、既に1時10分なのですよ。
転送先が見つかることは、急に処置開始可能になる、ということを意味しないことは明らかです。加古川地域の医療水準では、電話で転送先が見つけられれば、直ぐにでも循環器の専門医が対応でき、PCIが実施できる環境下にあったのでしょうか?本当に、患者引受に何の障害もなく、受け入れられたでしょうか?転送後、処置開始までの最低所要時間はどのくらいなのか、という問題は誰か判っているのでしょうか。

救急隊が専門病院への移動先を見つけられずに、30分以上とか1時間以上もの間、救急車が動かずにいることだって珍しいわけではないということは、報道から多くの人々の知るところとなったでありましょう。本当にそんなに短時間で転送できて、処置開始が可能だったのでしょうか?裁判所がそういうことを理解した上で、時間の遅れを計算できるとは到底思われませんね。

だったら、救急隊が最短時間で病院へ搬送できなければ、ほぼ全例において「義務違反」を構成するということを認めるのでしょうか?


判決が萎縮をもたらすのは、当初に望んだ結果ではない、といくら主張しようとも、原告及び法曹が招いた現象である可能性は高いのです。加古川の救急医療体制の縮小を招いたのは、こうした「不当な」判決というものの結果なのではないか、ということを、真剣に考えるべきでしょう。
ヘタに受け入れて、自分の専門外の領域の疾病で、診断に時間を要したり、診断をつけられなかったり、自分の手に負えない状態だったりして、他へ転送させようにも受け入れ先を見つけ出すのが極めて困難であり(マスコミ報道などで言う『たらい回し』ですな)、そうして時間を浪費すれば「助けられたのに助けなかった、何もしてくれなかった」とか非難された挙句に訴えられ、裁判では論理構成のおかしい法曹の責め苦に遭い、最終的には賠償金を払うべく過失認定された判決を裁判長から食らう、ということになるわけですから。そんな目に遭うくらいだったら、確実にできるものだけ受け入れて他は断るべきだ(自分のできる医療のみ行う)、という防衛体制が強化されるので、「うちでは、できません」という返事が多くなるに決まっているのですよ。

受け入れを減らせば当然に稼げなくなるわけで、そうすると救急部門なんてのは赤字の筆頭格ですから、三位一体改革以降の自治体財政の苦しい折、市民感情に配慮したり市民の税金を”無駄”(笑)に投入するわけにはいかないという大義名分があるのだから、部門縮小なり廃止なりという方向になってゆくのは当然でしょう。つまりは、社会は回りまわって、自分のところに返って来る、ということなんですよ。

「不当なブログ批判」を批判する以前に、他に大事なことがあるのではないかと思うわけです。「不当なブログ批判」を撲滅したところで、何のメリットがあるのかよくわからないけれども、医療が良くなるとか救急体制が元に戻るということもないのではないかな、とは思いますね。個人がそういう「不当なブログ批判」の撲滅活動をやることがあっても判るような気もしますが、法曹や患者の団体等なのであれば、もっと他の重要な活動をやった方がいいのではないかと思いますね。


結果的に見れば、判決によって、被告側病院に「認めさせること」を、賠償金で得た数千万円かで得ることができたわけですよ。その数千万円は同時に「病院の救急部門の縮小」をも購入できたのです。自治体財政に貢献でき、いずれは他の誰かが健康や生命でその対価を払うということになるのではないかな、とは思います。




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