いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

テロリストと悪

2008年09月23日 15時20分25秒 | 俺のそれ
幾度も取り上げて恐縮だが、『ダークナイト』がどうしてあれほど素晴らしい作品であったのか、というのは、観る者に「深く考えさせる」ように作られているからだ。ちょっとネタバレになってしまうから、注意してね。


「二つの顔」は、象徴でもあり暗喩でもあるだろう。
キカイダーの顔と同じようなものだ。
1人の人間の心の中にこそ、「善と悪」が生じるのだ。
自分の中には、確実に悪が潜んでいる、ということを示しているのだ。
バットマンは、自分の心にある悪との葛藤に苦しみながらも、乗り越えることはしなかった。
それはどうしてだったのか?
個人の憎悪を何とか抑制する高い目標・志と、信頼、だ。
目標や志は一般的に判りやすいだろうと思うが、信頼というのは何かといえば、「彼を信じる仲間、人々」と「彼が信じた一般大衆」ということだったと思う。

バットマンを支え、信じてくれる仲間、その気持ちに応えたからだ。仲間がいなければ、「正義を裏切る」ことだってできていたかもしれない。だが、彼はそうしなかった。また、愚かしく見える一般大衆の為に、バットマンが「何故正義を貫かねばならないのか」と思うことは不思議ではないだろう。現実社会では、そういうことはよくある。そうではあっても、バットマンは大衆の持つ良識や正義の心を信じたのだ。その期待を、大衆は裏切らなかった。善き人間でありたい、とする人々の心は、どんなに悪事を見せつけられても「壊れなかった」のだ。だから、バットマンは大衆を裏切らなかった。こうした信頼があったことが、一線を超えることを阻んだのだ。

一方、検事は復讐の業火に焼かれてしまった。憎悪が、彼の心にあった「信じていたもの」を壊したからだ。仲間であるはずの警官たちは裏切り、大衆もまた彼を裏切った。検事の心には信頼が残されてはいなかった。だから、彼は正義を捨てたのだ。

復讐、憎悪、報復というような感情は、心の奥底にある「悪」を目覚めさせ増幅し巨大化させる力を持つのだ。人間を確実に誤った方向へと導き、地獄の底なし沼に引き込むのである。この心理こそが、繰り返されるテロや民族間の殺戮を招く基本原理なのだ。悪に染まってしまえば、人の命を奪うことなど造作も無く実行できてしまうようになるのである。

好対照となった2人の男は、人間の本質というものを示す象徴であった。




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