いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

続・情報とは何か?(追記後)

2006年01月11日 12時41分38秒 | 俺のそれ
前の続きです。人間の「情報を知っている」というのは、どういうことか考えてみました。これは神経ネットワークの条件付けとか学習とか、そういう興奮履歴を書き込む作業に何となく似てるのではないかな、と思います。


また変な例で考えてみたいと思います。

ある2人の女性A、Bがいて、どちらに人気があるか投票します(折角ですから、男性が好みの方に投票するとしましょう)。で、判断とか投票行動に初期条件が全くなければ、確率的には偏りがなく均等な分布であるとしましょう。なので、無知な男性100人が投票するとしたら、50対50の得票であるということです。しかし、何かの情報が与えられるとしましょう。情報の条件は「メガネをかけている女性は、かけていない女性に比べ得票が20%ダウンする」とします(現実にはそんなことはなくて、むしろメガネ支持派も存在するようです)。

AもBもメガネか、どちらもかけていない場合には、この情報(条件付け)によって得票に偏りは生じませんね。しかし、AがメガネでBがかけてない場合には、得票に違いを生ずるでしょう。得票は20%ダウンなので本来50票獲得していたのであれば、40票に減少するということになります。2択の場合には、減少したAの票はBに流れてしまうのでBは60票となります。


次に、自分が投票するが同時に得票の多い方を予測して、その予測が当たった場合にはご褒美がもらえるとします(ご褒美の内容にもよるかもしれませんが)。一般的な判断では、予測を的中させた方が得なのでそのような決定を行うと思いますね。情報を知っている人々は、「Aが不利」であることを知っているので、予測としては「Aが少なく、Bが多い」という判断に基づいて全員Bに投票する方が自分に有利となります。なので、仮に情報を知っている人達が100人中50人いるとすれば、50人ともBに投票することになります。残りの知らない50人の投票行動は、メガネが無い時に25人ずつですがAの20%減少なのでAの5票がBに流れBの得票は30票となります。合計すると、Aに20票、Bに50+30=80票となり、更に偏りが拡大しますね。このように「情報を知っている」という時には、合理的な行動を考えると一気に偏りを生じるかもしれませんね。


株式取引が美人投票にたとえられるように、「他の人達に人気があるもの」を選出するのであり、「上がるだろう」という期待は「得票の多い美人を予測する」ということです。その予測が的中すれば「株価上昇」という利得を受けることが出来るのですね。上記のA、Bに対する投票と似ているのです。しかも、「他人の投票行動」を部分的に見て決めることが出来るのです。

また例を考えてみます。

A、Bに投票するのは同じですが、先に20人だけ投票し、残りは別室で待機して、先に投票した20人の結果を見て投票を決定することができるとします。で、メガネの情報を知っている確率が50%であるとしたら、初めに投票する20人は10人が情報を知っており10人は知らないということになります。これらの人々は他人の投票行動に影響を与えないものとします。すると、知らない人10人はAに4票、Bに6票投票します。知ってる人達10人は全部Bに投票しますから、ここまででAに4票、Bに16票となりますね。続いて、別室で待機していた人達は、この結果を参考にして投票することが出来ます。待機していた80人中40人はメガネの情報を知らないのですが、「20人の投票結果を参照出来る」という情報を得ることが出来る為に、メガネ情報を知らないのに全員Bに投票した方が有利となります。なので、このような投票を行えば、Aには初めの4票だけとなり、Bは待機していた80人全員分の得票と初めの16票を得られる為合計96票となって、非常に大きな偏りを生じます。つまり、何かの偏りを生じる情報が適当に分散していても、人々の行動決定には大きく影響することがあり、実態よりもオーバーに出力される可能性が有り得ます。「他人の決定結果を参照できる」ということが、かなりの影響力を持つと思います。ある種の「刺激情報の加重」というような感じですね。なので、「閾下刺激」であっても何らかの意味がある場合もあるかもしれないと思っています。株式が理論値と大きく乖離して「何故これほど暴騰するのか」というのは、こうした人間の「期待予測」というような不思議な出力結果であるかもしれません。


現実の株式市場では色々な情報が多く存在するし、選ぶ相手も非常に多く分かれているために、一概には言えないでしょうけれども、他人の行動結果(売りが多いとか、買いが多いとか、値段が上がっているとか)を参照して決めることが多い為に、行動決定には情報の差以上の大きな偏りをもたらす可能性があるでしょう。なので、人気化するとべらぼうに上がっていってしまうこともある、ということですね。


IT技術などの流行の説明に使われる、hype曲線というのがあります。これを初めて見たときに、「何かに似てるな」と思ったのですけれども、それは「心電図波形」でした。あまり普段目にすることがないのですが、稀にテレビの手術シーンなどで映されますね。心臓というのは、刺激電位が「ない」状態から、刺激電流が流れる(神経の電気信号と同じようなものです)とスパイク電流が心臓全体に流れます。山が一気に高くなるのですね。で、続いて電位は戻り過分極となって次の刺激電流に備えます。これがずーっと繰り返されるのですが、この波形はhype曲線にとても近い形をしています。心臓の細胞は殆どが心筋という組織ですが、みんな一緒に収縮しないとダメなので同期性があり、同じように行動しなければならないのです。病気などで不整脈が発生すると、刺激電流が一定のリズムではなくなり、心筋が同期性を失ったりして、バラバラに収縮しようとしたりするとうまく血液が送り出されなくなったりするのです。また心室細動という状態になれば、心筋が滅茶苦茶に収縮しようとして震えるだけのようなことになります。心筋細胞みんなが一致して同じように活動しないと、人間は死んでしまうのです。


こうした心電図波形とかhype曲線というのは、「同期性」を表わしているかもしれないと感じます。何かのブームも、初めは取るに足らない程度の情報(=電位)で、量的には非常に少なく信号強度が弱いのですが、投票行動の例で見たような人間の行動決定の偏りによって、ある一定以上の刺激となった時には爆発的な広がりを見せます(=スパイク電流発生)。しかし、それも直ぐに去ってしまい、ブームは終わります。


また後ほど。


遅くなりました。12日1時頃

追加です。
「空気嫁」についてですけれども、これは上に述べた投票行動の決定の際に、周囲の人達がどのような反応を示すのかということかもしれませんね。何かの限定された集団というのは、情報伝達形式が「隣接伝達」というタイプになり、生物の同一組織(tissue)を構成する細胞群に近いかもしれません。現実世界の中では、学校の友人達とか会社の会議室に集合している人達とか、そういうような集団ですね(多くは個人がそれぞれ認識できていると思います)。限定された集団というのも誤解を招き易いと思いますが、ネット上ではどこかの「ブログ・掲示板・SNS等に集まっている」というような集団です。それは単なる偶然かもしれないし、互いに個人を知っているかどうかもあまり関係がないかもしれませんが、それでもその時点には「限定された集団」を構成している、ということです。


「限定された集団」によって議論など(情報伝達)が行われている何かの「場」があるとして、そこでは全員が同時に意思表示をする訳ではないので、先に表明された意見を「参照」して自分の判断・決定をしていくことになります。例示した20人が投票する結果を見てから判断する場合に似ているのです。初めは何か特定情報を有する(若しくは有さない)人達によって何かの意見表明が行われますけれども、そうした結果を見ながら他の参加者達が判断するという時に、Aに凄く少ない支持しかなくてBにかなり多い支持であるとするならば、普通はBを支持するのが妥当な判断なのであり、それが「合理的な判断(戦略)」となると思います。しかし、何故かそうした合理的な行動を全員がする訳ではないこともあるのです。


トランプの「ババ抜き」を2人でしていて、自分の残り札が1枚で相手に2枚あれば、相手の1枚はババに決まっていますね。相手がうっかりババを落として判ってしまい、向かって右側の札であることが間違いない時、自分が札を引くとすればその札を引くのは明らかに誤りであるはずです。なのに、むざむざとババを引くとしたら、周囲の評価としては「どうしてそんな選択をしたのか?」と思うに決まっています。違う方の札を引けばいいに決まっているじゃないか、と。これはルールをよく知らない人であるとか、相当頭が悪い(笑、ごめんなさいね、酷い表現で)ということ位しか思いつかないですね。周囲から見れば、そのような行動決定が理解しにくいのです。現実のコミュニケーションはこんなに明白な場合というのは少ないと思いますが、それでも、幾つかの「参照」情報が明らかとなっていて、一般的に見れば合理的決定の結果が「判りきっている」と周囲の多くが判断出来る時に、その逆を選択すると・・・まさにこのババを引く行動であるかのように感じるのかもしれません。


限定された集団の中では、多くの人達が他人の決定結果を重視することに重きが置かれることが多いと思われ、これは他人に対する配慮でもあると思います。「様子を見る」ということも、そういうようなことかもしれません。自分が敢えて先に決定を行わずに、多数派に属することを好むような傾向があるのかもしれません。初めのうちAとBに支持が分かれていても、どちらか一方に偏りが出来てくると、そこから先は多数派を支持する戦略が有利となるために、残った大半の人達によって更なる偏りが形成されます。そうなるとまるで心筋細胞の如く、同調した行動を求められていくようになるかもしれません。特に「隣接伝達」のような狭い範囲での情報伝達であると、こうした同調をすることが必要となる場面が多くなるように思います。結局、「空気嫁」というのは、他人に対してこのような同調を求めるものであり、多数派支持が多くの人達にとって判っている時に、「合理的決定」を行ってくれよ、ということなんだろな、と。


例えば友人同士10人で「メシを食べに行こう」という場面で、ラーメン屋が3人、中華が1人、カレー屋が1人となった時、「じゃあラーメンでいいか」という雰囲気が出てきたにも関わらず、「オレはオムライス屋がいいな」と発言したりすると、「お前、空気嫁よ」みたいな感じになるのかな?。本当は残り4人のうち3人がオムライスを支持すれば成立する可能性があるのですけれど、多数派形成が進む(偏りを生じる)と「その支持が最も多いはずだろう」という予測に基づく決定が行われる、と経験的に知っているからでしょうね。或いは、リーダー格の有力な人物がいて、その人の意見表明はその他の人達の決定に大きな影響力を有しており、その人が「何か、カレー食いてーな」と表明すると、ラーメン3人、中華1人、カレー2人になりますが、一気に形勢が傾くと多くの人は知っているので「残りの人達(4人)もカレーを選択するだろう」という予測をするのです。しかし、そこでわざわざ「ラーメンがいいな」と言ったりすると、やはり「空気嫁」という鋭い視線が突き刺さる訳ですね。本当はこの場合でも、自分以外にあと1人ラーメン支持があれば成立する(ラーメンが5人となり、残り2人がカレー支持であっても4人にしかならない)のですけれども。このような大抵は「経験的に知っている」という予測が出来ないと、周囲からは「空気嫁」と評価されてしまうことが多いのではないだろうか。


ただ、私は実際に「空気嫁」という発言がなされる現場に遭遇したことはありませんので、どういった文脈でそれが用いられているのか知らないのですけれども。「空気嫁」ということは、比較的多くの人が有している「予測のルール」があって、それに従って決定してくれということ(ある種の同調)を他人に求めるもので、「自分ルール」は通用しない、ということでもあります。個人がそれまでの人生で獲得した行動決定の際の予測に関する「アルゴリズム」が沢山あって、一般的に多数派(=要するに”普通”)が持っている予測「アルゴリズム」から外れている時に、「合理的ではない」と周囲は感じることが多くなるのだろうな、と。


「空気嫁」がいつも正しい判断を導き出すとは言えないことは大体知られていると思うが、中には「多数派の方が正しい」という過った認識の人々も存在すると思いますね。「空気嫁」はあくまで行動決定に関して、個人の「多数派に属する」という戦略にとって有効なだけであるということだと思います。ですので、情報の格差が著しいような場合では、多くの人が過った方向へと驀進してしまいますね。例えば、「ある上場企業Xがいずれ倒産する」という情報を知っている人が1人、知らない人が99人である時、この企業の株式売買は「売る」のが正しい行動決定なのですが、「売り支持=1人」に対して、「買い支持=9人」であるという情報を参照した残り90人は圧倒的に多くの人達(きっとほぼ90人でしょう)が「買い支持」となってしまうようなものです。予測「アルゴリズム」は正しさを評価する基準を持つとも言えない、ということです。重要な「参照情報」が不足したり、情報に正誤が混ざったりすると、出力結果は当然間違ってしまうこともあるということです。

株のインサイダー情報も知っている人が余りに少数であると、その情報があったか無かったかは関係がなくなります。非常に狭い範囲での情報伝達では、「ない」のとほぼ同じような結果になってしまいますね。情報が広く伝達されて初めてその意味があるということになります。

「空気嫁」は中々複雑な問題なのですね。面白いと思います。




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