いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

便利なフレーズを批判するのはいかがなものか(笑)

2007年05月22日 17時47分41秒 | 俺のそれ
kanose氏の記事を見て。

ARTIFACTハテナ系 - 具体的なことを書けないが違和感は表明したい時の便利フレーズ「どうかと思う・気が知れない・いかがなものか」


参考までに、自分のブログで調べたら、次の結果であった。

・どうかと思う:15件
・気が知れない:1件
・如何なものか:23件

割と用いていることが判った。


私の”トウガイナイ”について心配されなくとも結構でござる(笑)。
(判る人には判ると思う)

別にいいじゃん、とオモタ。それは自分がオメガだからなのかもしれん。



プロと素人をつなぐもの~2

2007年05月22日 14時28分48秒 | 社会全般
この前もうちょっと書いておこうと思ったのですけれども、書きそびれてしまったので、追加しておきたいと思います。


現代社会というのはとても複雑になっており、それぞれが高度に専門化・分化した状況になっている分野は少なくありません。こういう場合に、特定の専門分野についてしか判ら(知ら)ないということが起こってしまったり、専門外の人々には大変理解し難い、ということがあるのではないかと思えます。それ故、仲介者と言いますか、代理人的な人の存在が必要となったりします。

金融・保険―FP
財務・会計―会計士や税理士
医療・薬剤―医師や薬剤師
建築・住宅―建築士や不動産鑑定士

例に挙げたのは、適当に思いついたもの(これまで記事で触れてきたものでもあるか)ですけれども、他にもたくさんあるでしょう。こういう人々は、ある分野について十分知らない人々に成り代わって業務を行ってくれる人でしょう。大抵の職業はそうした役割を担っているでありましょう。分業体制になっている方が、社会全体としては効率がいいからですね。基本的には、「プロは(同じように上手くできない)素人の代わりに業務を行う人」ということがあるかと思います(中には「玄人はだし」というような人はいますけど)。

で、問題となってくるのは、特定分野の専門的知識を有する人々がそれぞれに存在していると、異分野に対する理解が困難になっていくことでしょう。ある分野の専門家であっても、他の分野については他の人々と同じく「素人」であるということは普通です。

言語が違えば、理解は困難になると思う(追記後)

このような場合ばかりではなくて、行政に関するものであるとか、企業会計に関するものであるとか、色々な場面があるのです。似たようなことは学問的な分野でも見られるでしょう。非常に狭い範囲の「専門家」であっても、隣接分野・関連分野については「素人」同然というような場合、ということです。

isologue - by 磯崎哲也事務所の中で述べられている「ポリバレント」ということにも関連しているかな、と思いました。

ある分野の専門家であることは必要なのですが、場合によってはもう少し広い範囲の役割を理解しこなせる人というのが求められる、ということかと思います。野球で言うと、例えば「内野もできるし、外野もできる」「キャッチャーもできるし、サードもできる」みたいなものでありましょう。いくつかの分野について、総合的な知識や能力を求められる場面がある、ということでしょう。


単品性能ばかりが重要ではない

この記事にも書いたのですが、「チーム」全体を考える時、「組み合わせ」というのは重要な意味があるのです。ボードゲームとかシミュレーションゲームの駒のような例で考えてみましょう。駒の合計戦力が15である時、次の2つの場合を考えてみます。

ア)「戦力3」の駒が5個
イ)「戦力1」~「戦力5」の駒が1個ずつ

ア)においては平均戦力が3で、均質な駒ばかりです。イ)は戦力の弱い駒(1とか2とか)もあるけれども強い駒もあって、平均ではア)と同じですね。チーム全体で考えてみると、状況に応じた運用が行いやすいのはイ)の方で、弾力的な運用が可能です。人間を駒に置き換えることなど許されない、という意見は出るでしょうけれども、敢えてそれを想定してみます。仕事の場面というのは、色々な状況が考えられるし、規模がある程度大きくなって行けば行くほど仕事の中身(質)も異なったものがあると思います。そうなると、均質な戦力を集めるよりも、バラバラである方がいい場合も多いと思いますし(戦力に応じて割り当てればよい)、「組み合わせの妙」みたいなものがあるので、戦力5の人が1人混じるだけで周囲の人間の戦力がアップする場合もあります(ひょっとして逆もあるのかもしれませんが、それは少ないのではないかと思っています―my 経験則、笑)。

「戦力1と2の組み合わせで2人」と「戦力3の人が1人」というのが同じコストである時、前者の方がいい場合もある、ということです。
参考>公務員制度改革1

先のポリバレントに戻りますけれども、戦力5のキャッチャーがいるとして、この人のサードとしての能力は戦力ゼロであると、総合戦力は5ということになります。別な人はキャッチャーとして戦力4、サードとして戦力3であると、総合戦力は7となって上回ることがある、ということです。ただ、キャッチャーとして戦力5にはなれないのは確かです。なので、「チームとしての編成」ということを考えると、前者もいれば後者もいる、というようなそれこそ「多様性」というものが必要かも、ということです。全員がポリバレントなプレイヤーである必要は勿論ないのです。逆に、全部がそうであったりすると、弱いチームになってしまうと思います。何の為に分業体制が取られているかといえば、その方が強いからであり、ピッチャーはピッチャーに特化して他の能力はどうでもいいので、最強ピッチャーが存在すれば強いチームであることに変わりはありません。みんな機能・役割が違うということの方が、チームとしては強くなれると思います。『シュート!』という漫画の説明と同じですね(笑、尾道の進学高と対戦する時の話だったと思うが忘れた)。アメフトのプレイヤー編成のイメージも似ているかもしれません。


今後、サービス分野において発展が必要になっていくので、「仲介者・媒介者」のような役割の人たちが増加していくことが求められていると思います。これにも書いたのですが、高度に専門化・分化して行く程、そこから距離のある人々には理解し難いものが増えていきます。人間の能力には限りがあるので、そこに介在して「理解できる形で提供する」という人たちがいなければ、自分一人でありとあらゆる情報を集め分析・判断を行うということになり、これは極めて効率が悪いのです。分野と分野を結ぶ「つなぎ手」の役割は、さまざまな分野で求められていくでしょうし、活躍の場も広がっているはずです。

ある特定分野の「最先端を歩いている人たち」は、かなり特化した能力というか専門性の高い能力が必要なので、他の能力の有無については「おまけ」みたいなものであってもいいと思います(勿論、個々の個性を見れば多様性を有しているかもしれないですが)。そういう「これしかできない」という人もいて、その特化された能力には届かないが異分野の知識・理解能力を有することでこれを媒介できる人たちがいて、判りやすい形で情報提供できる人たちもいて、ということが必要なのだろうな、と思います(医療崩壊問題にも通じると思います―「つなぎ手」の不在:医療過誤と責任・賠償問題についての私案~その5)。