4月13日(土)
チェックアウトを済ませ、原爆ドームへ向かう。
一生に一度はちゃんと行くべき場所、とずっと思っていたけど、この年齢になるまで来られずにいた。今回どこかにマイルで広島があたったのは、本当にいいきっかけとなった。
と、その前に(^0^)、朝ご飯♪
広島のローカル喫茶店を検索し、狙いをつけたのは
朝日珈琲サロン
1950年創業、昭和の喫茶店です。
階段を下っていくと、なんだか洞窟のような天井と照明
店員さん(それなりにおばちゃん)、きちっとした制服を着ていて、白いフリフリのエプロンをしている。なんだか、いいわ。
ネルドリップのコーヒー
モーニングはサンドイッチもあるけど、こちらにしてみた。
納豆がのってます。 ポテトサラダは、細切りのポテトをフレンチドレッシングで和えたもの。さっぱりしていい。
地元の常連さんも、新聞広げながら、まったりモーニングタイムを楽しんでいる。
いいね。
お会計にレジへ行くと、ダイアルを回す黒電話がありました。 これって、使えるんでえすか? はい、現役です。
これからも長く頑張って欲しい、いいお店でした。
外に出て、ドーム方向へ進むと
おお、地方都市に必ずあるアーケードみっけ。
目を引く建物は、アンデルセン(パン屋)
広島発祥なんですね。
いろいろお店があるので、お土産もこのアーケイド商店街で買えそうだな。帰りにまた来よう♪
そうこうしていると、見えてきました。
名残の桜越しに広島原爆ドーム
人類史上初めて使用された核兵器により被爆した建物。
チェコ人建築家ヤン・レツルの設計により1915年に完成した広島県物産陳列館だった建物。
ノーモア・ヒロシマ
人類が、二度とこの過ちを起こさないよう強く強く祈り、そこの立っている。
原爆が落とされた場所、平和公園を歩く。
広島サミットで首相達が献花をし並んでいた場所
14万人もの命を一瞬にして奪った原子爆弾、ここは、亡くなった方々の遺骨が埋葬されているそう。 胸が苦しくなる。
でも、目を背けず、ちゃんと観なくちゃ。
平和資料館へ
時間が早かったおかげで、スムーズに入場できたけど、帰るころには行列が出来てた。
しかも外国の方のほうが日本人より多い。 中の展示も、ちゃんと観ていました。
今も世界のどこかで戦争が起きていて絶えることがない、何故、人類は学ばないんだろうか、この悲劇を。
展示物を見終え、資料館の地下に降りていくと、被爆の語りべがお話中だったので、座って聞かせていただいた。
私がお聞きしたお話は、語りべさんのお父様の被爆体験。
そのお父様は、軍の方だったそうで、広島に原爆が投下された日、爆弾が落とされることを知っていた。なので軍の建物から離れ疎開?、そこそこに市街から離れた寺で作業をしていたそうだ。 十分離れた場所と思っていたが、想像以上の威力に、爆風が襲ってきた。 寺の中で飛ばされた衝撃に意識を失うも、運良く被爆を逃れた。外で作業をしていた部下達は、爆風に飛ばされ木の上に死体となってぶら下がっていたそうだ。
投下された場所近くで被爆された方々の痛ましい話、亡くなられた方々の遺体の処理の話・・・等々、お父様から聞いた話を淡々と語りべの女性が話すのだけれど、想像を絶する痛ましい現実がそこにあったのだと知らされる。 展示を観るだけでなく、この語りべさん達の話を聞くことこそ、ここへ来る意味があるのではないか。
そして、お話の中で最も意外だったこと。
軍の人が原爆投下を事前に知っていたこと、そして原爆が投下されることを知らせるチラシが、アメリカ軍により事前に配布されたこと、しかも、ちゃんとした日本語で。
家に帰ってから検索してみたけど、本当にそのチラシを持っている人の話が出てた、その写真も。
事前に通知をすること、これは国際法で決められたいたことのようだ。 そうであれば、多くの市民は、事前に逃げることが出来たのではないのか、、、悔しい。 そして、たとえそのチラシを拾っても、非国民として扱われ、無視することしかできなかった・・・人々、それも悔しい。
戦争という狂った状況、狂った政治と狂った思考、二度と起こしてはならない。時が流れても、ノーモア・ヒロシマと訴え続けるしかない。
原爆の投下されたこの平和公園、今は、市民の憩いの場。今日は、花見を楽しんでいる人々もいる。
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