オリオン村(跡地)

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山内一弘氏が逝く

2009-02-05 22:37:13 | 千葉ロッテ

 

選手としてはミスターオリオンズとして背番号8を球団の顔に昇華させ、監督としても2度のリーグ制覇(前期)を果たした山内一弘氏が、2日に亡くなっていたとの報道がありました。
ミサイル打線の核としてオリオンズの伝説となっている山内氏の逝去は、プレーを見たことがない私としても衝撃であり、非常に悲しく思います。

昭和の大打者、山内一弘氏が死去 (2/5 日刊スポーツ)

プロ野球往年の強打の外野手で、中日とロッテで監督を務めた山内一弘氏が2日午後7時26分、肝不全のため、東京都内の病院で死去していたことが5日、分かった。
76歳だった。
愛知県出身。
自宅は非公表。
近親者で密葬を済ませた。
愛知・起工高から社会人を経て、1952年に毎日(現ロッテ)に入団。
54年から2年連続打点王を獲得するなど巧みなバットコントロールで「シュート打ちの名人」「打撃の職人」と呼ばれ「ミサイル打線」の中心打者として活躍した。
60年には本塁打王、打点王の2冠に輝き、最高殊勲選手(現最優秀選手=MVP)にも選ばれた。
64年には、ともにチームの中核だった小山正明氏との「世紀のトレード」で阪神に移籍し、70年に広島で現役を終えた。
プロ19年間の通算成績は打率2割9分5厘、396本塁打、1286打点。
首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度の実績を残したほか、通算300本塁打を最初に達成。
16度出場したオールスターでも大活躍して「オールスター男」と言われた。
ベストナインにも10度選ばれた。
指導者としても評価が高く、引退後は巨人、阪神の打撃コーチを務め、ロッテと中日で各3シーズンずつ指揮を執った。
監督通算成績は336勝313敗。
2002年に野球殿堂入りを果たした。

一昨年の千葉マリンでの開幕戦に始球式で登場した山内氏でしたが、体が三回りほども小さくなっており、歩くのも覚束ないぐらいの衰えが見られ、かなり心配をしていました。
始球式のボールも数メートルしか投げられず、マウンドから降りる際もバレンタイン監督に支えられるようにしていたことを覚えています。
記事にあるWBCでの始球式の写真はその前年ですから、一気に病気が進行したのかもしれません。

私が本格的にロッテの試合を球場に見に行くようになったのが、山内氏が監督を務めていた頃でした。
落合、リー兄弟、有藤など、かつてのミサイル打線に匹敵するような強力打線を引っさげて2年連続の前期制覇を果たし、残念ながらプレーオフで敗れたために日本シリーズへの出場は成りませんでしたが、久しぶりに強いロッテを見せてくれました。

OBとしてロッテの行く末を心配してくれていたと思いますので、山内氏が安らかに眠れるような戦いをロッテナインがしてくれればと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

 

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