2日目は夜明けとともに山形城に足を踏み入れたのですが、ここで1つの誤算がありました。
今回の史跡巡りの目的に、訪れたことのない白石城と、数年前に再建されたらしい山形城の二の丸東大手門を挙げていたのですが、この二の丸東大手門がどう見ても見覚えがあり、帰ってから確認をしたところ二の丸東大手門の再建は1991年で鳴子温泉に行った際に足を伸ばして訪れており、2006年に再建をされたのは一文字門の大手橋とのことでした。
完全に事前確認ミスで、そもそも一文字門なるものも知りませんし、何のために5時半に起きたのか分からないような山形城となりました。
もっとも一文字門や高麗門は今年に復元が終わるらしいので、次の機会に大手橋とともに訪れてみたいと思います。
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せっかくですので山形城の二の丸東大手門です。
天気は悪くはなかったのですが、さすがに完全に夜が明ける前ですので薄暗い感じがあるのはご容赦ください。
どうやら前日から夜にかけて雪だったようで、確かに山形入りをする電車の途中では吹雪いたりしていたのですが、時間も早かったこともあって新雪を踏みしめることになりました。
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城外から最初の門をくぐって内側から見たところで、白石城風に言えば、これが一ノ御門にあたるのでしょうか。
白石城に比べれば規模の違いは明らかで、伊達氏の支城であった白石城と、羽州で覇を唱えた最上氏の本城との差をまざまざと見せつけられた感じがします。
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白石城風に言えば二ノ御門になり、ここを通れば城内に至ります。
まだ月が見えている時間帯で、さすがに寒さを感じました。
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城内から二の丸東大手門を撮影したものとなります。
これだけの規模となったのは最上氏改易後に鳥居氏ら譜代大名が入城してからなのかもしれませんが、羽州を統べる城としての風格はさすがなものがあります。
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山形城と言えばお約束の最上義光像です。
学生時代に最初に訪れたときにはこの像しか無く、かなり寂しい思いをしたことを記憶しています。
もっとも今の二の丸東大手門あたりの石垣に足場が組まれていましたので、まさに再建中だったのでしょう。
最上義光歴史館の開館も1989年でしたし、私の学生時代を考えればいい時代になったものです。
次に訪れたのがかみのやま温泉にある上山城で、山形にほど近いこともあって積雪量も似たようなものでした。
開門前でしたので通路の雪かきも済んでおらず、むこうづねまで沈みながら城の周りをぐるっと回った後に足湯のお世話になったのは旅情篇に書いたとおりです。
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と言うことで、開門までの待ち時間に城の周りをぐるっと一周してみた写真になります。
時間が許す限りは城の周りを回って歩くのが私の史跡巡りの基本であり、それは冬場に雪をかき分ける必要があっても変わりはありません。
上段右の写真の背後に足湯があり、また下段の左と中の写真を撮るために30センチはあろうかという新雪に足跡を残しました。
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天守閣から見た上山市街です。
これも私の史跡巡りのお約束の1つで、天守などに登った場合にはそこから市街の風景をカメラに収めることにしています。
ファインダー越しにはなるのですが、撮影のために集中することで記憶が強く残り、後日に再び訪れた際には脊髄で行動できるのは富山城で実践済みです。
ちなみに天守閣とは書きましたが、上山城は残念ながら鉄筋コンクリートの模擬天守で、エレベーターが完備されているという代物です。
雪の多い内陸部での史跡巡りはこれで終わり、米沢を経由して日本海側に抜けることになります。
予定よりも早く山形を出たことで欲張って新発田で下車したことが、人生初体験の自衛官との遭遇に繋がりました。
【2009年1月 東北・北陸の旅】
いざ北国へ
いざ北国へ 旅情篇
いざ北国へ 旅程篇
いざ北国へ 史跡巡り篇 白石の巻
いざ北国へ 史跡巡り篇 新発田、長岡の巻
いざ北国へ グルメ篇