日本史が好きな私の旅の目的には、当然ながら史跡巡りが含まれます。
と言いますか、学生時代から史跡巡りを目的として旅をしてきたという表現の方が正しいです。
残念ながら景色を愛でるような感覚よりは、城跡や博物館、墓所などを訪れたいという気持ちの方が非常に強いのが私という生き物です。
沖縄以外の都道府県は全て足を踏み入れていますし、数多くの史跡を巡ってきました。
それでも交通の便や時間の都合などの理由で未踏の地はまだまだ多く、今回はそんな地を訪れることを楽しみに旅立ちました。
最初に訪れた白石城も、そんな場所の1つです。
東北地方は学生時代に何度か訪れているのですが、再建されたのが1995年で社会人になってからですから、ポッカリとエアポケットに入った存在でした。
白石市街はほとんど雪が残っていなかったのですが、この北側にあたる石垣などが北国らしい美しい白い衣装をまとって私を出迎えてくれました。
白石城は伊達政宗の片腕であった片倉景綱が関ヶ原合戦後に城主となって以降、幕末まで片倉氏の居城とされてきました。
他の多くの城郭と同様に明治維新後に破却されましたが、地元のシンボルとして再建されたそうです。
再建城郭の多くが鉄筋コンクリートであるのに対して、白石城は木造で再建されていることが好感できます。
コンクリートの床にエレベーターがあるというのでは趣きもへったくれもなく、費用面や維持管理の問題はあるのでしょうが、他の自治体にも見習ってもらいたいものです。
ちなみに右の写真は三階櫓、実質的には天守閣として機能していたものを幕府にはばかって櫓と呼んでいたらしいのですが、そこからの白石市街です。
中央にある大きな建物が城に併設されている歴史探訪ミュージアムで、片倉氏の甲冑などが展示されており、また片倉景綱らを題材とした3Dシアターの上映がされているらしいのですが、残念ながら開演時間までの待ち時間がかなりあったために今回は見送ることにしました。
こちらは同時に再建された、大手一ノ御門と大手二ノ御門です。
上の大きな造りが二ノ御門、下の小さな造りが一ノ御門になります。
城外から一ノ御門を通ると二ノ御門が控えており、そこをくぐると城内に至るといった道筋となります。
これらは本丸のみの遺構で、城郭としては二の丸などを含めてもう少し規模は大きかったのだと思いますが、非常に綺麗にまとまった再建がされていると感じました。
白石では白石城以外を回る予定は無かったのですが、城跡に二の丸大手門が市街の当信寺に移築されているとの看板があったため、足を伸ばしてみました。
これも白石駅で無料レンタサイクルのサービスがあったからこそで、こういった配慮は旅人には非常に助かります。
ちなみに当信寺には東口門との案内が立っており、これが二の丸大手門と同じことを指しているようです。
当信寺の境内には、真田信繁の次男である真田大八と、娘の阿梅の墓がありました。
手のような形のものが阿梅の、石碑のような形のものが大八の墓です。
真田信繁の嫡男である大助は父とともに大坂の陣で果てましたが、大八と阿梅ら4人の子供は片倉景綱の子である重長に保護されています。
大八はその後は片倉守信と名乗り、また阿梅は重長の後室に入ります。
守信の子である辰信が真田姓に復し、仙台真田氏として今に続いていますが、途中で養子が入っているようですので信繁の血が続いているかどうかは分かりません。
初日は東北入りをするまでの移動時間がかかったために、史跡巡りは白石のみとなりました。
そのまま仙台を経由して山形に入り、次の日を迎えることになります。
【2009年1月 東北・北陸の旅】
いざ北国へ
いざ北国へ 旅情篇
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いざ北国へ 史跡巡り篇 山形、上山の巻
いざ北国へ 史跡巡り篇 新発田、長岡の巻
いざ北国へ グルメ篇