電脳筆写『 心超臨界 』

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( ジグ・ジグラー )

米海兵隊が建てた日本の軍人の記念碑――江崎道朗

2024-05-23 | 04-歴史・文化・社会
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1941年12月7日(現地時間)、ハワイの真珠湾攻撃の際、カネオヘ海軍航空基地(現在、海兵隊基地)を攻撃した零戦部隊の指揮官であった飯田房太海軍大尉(戦死により中佐)は、自らの零戦が米軍の反撃で被弾したため、生還するのは困難と判断し、米軍格納庫に向って突入を図った。いわば、特攻攻撃の第一号と呼ぶべきものだ。アメリカ海兵隊は戦時中、飯田大尉の勇猛果敢な戦闘精神に感激し、同所で戦死した海兵隊員たちとともに飯田大尉を丁重に葬った。


◆米海兵隊が建てた日本の軍人の記念碑

『知りたくないではすまされない』
( 江崎道朗、KADOKAWA (2018/12/19)、p112 )

2014年の秋、ハワイの太平洋軍(当時の名称)司令部を訪問した際、併せてカネオヘ海兵隊基地を視察したことがある。

美しい海が眼前に広がる基地には、話題のオスプレイの飛行場やら水陸両用の修理工場などがあり、丘の上には将校たちの邸宅が並んでいた。ゴルフ場や海水浴場もあり、芝生の手入れは行き届いていて、日本の自衛隊基地とはまったく異なり、いかにもゆったりと豪華だ。

海兵隊の将校クラブの、青い海を眺めるテラスでランチをとりながら話をしていたら、ある将校が突然、こういった。

「君は日本人だろう。ならば、あそこにもお参りに行くべきではないか」

連れていかれたのが、将校クラブのすぐ近くに建てられている、飯田大尉記念碑だ。

1941年12月7日(現地時間)、ハワイの真珠湾攻撃の際、カネオヘ海軍航空基地(現在、海兵隊基地)を攻撃した零戦部隊の指揮官であった飯田房太海軍大尉(戦死により中佐)は、自らの零戦が米軍の反撃で被弾したため、生還するのは困難と判断し、米軍格納庫に向って突入を図った。いわば、特攻攻撃の第一号と呼ぶべきものだ。

アメリカ海兵隊は戦時中、飯田大尉の勇猛果敢な戦闘精神に感激し、同所で戦死した海兵隊員たちとともに飯田大尉を丁重に葬った。

しかも戦後、アメリカの海兵隊は、敵国兵である飯田大将が戦死した場所に記念碑を建てて、現在に至るまで敬意を表している。敵ながら、天晴(あっぱ)れ、ということだ。

現在、そこには、零戦の突撃場所を示す記念碑と、飯田大尉の勇敢さを讃える立派な碑文が英語で記されている。

建てられてからかなりの年月がたっているのに、いまなおきれいに整備されていて、アメリカ海兵隊が飯田大尉に心より敬意を表していることがわかる。

この飯田大尉の記念碑は海兵隊基地のなかにあるので、一般観光客は行くことができない。このため、観光コースにもならず、観光ガイドブックにも掲載されず、日本人にはほとんど知られていない。だが、ハワイにも特攻隊記念碑があることは知っておいてほしい。

そもそもアメリカの海兵隊というと、暴行事件とか問題を起こす荒くれ野郎だというイメージが広まっているが、いざ戦闘になれば、真っ先に戦地に飛び込んでいくためか、つねに死を意識していて、武士のような人が多い。何よりも勇敢さを重んじているため、日本の特攻隊を含め、日本軍人の勇敢さには心より敬意を表しているのだ。

案内してくれた海兵隊の方は、私がその記念碑に手を合わせると、「このカネオヘ海兵隊基地には、観光客は入れないので、めったに日本人が来ない。こうやって日本人が来てくれてほんとうに嬉しい」と、我がことのように喜んでくれた。

じつはハワイのインド太平洋軍司令部には、日本政府や沖縄県関係者なども訪れているが、その大半が、飯田大尉の記念碑のことを話してもほとんど関心を示さないと聞いた。

「国のために命を捧げた自国の軍人に対し、敬意を払うつもりがない日本人を、はたして信用できうるのか」

内心、こう思っているアメリカ軍関係者が多いことを知っておくべきだろう。

こうした米軍側の対日感情を知ってか、安倍首相は2016年12月26日(現地時間)、ハワイを訪問した際にこの飯田房太大尉記念碑を、日本の総理大臣として初めて訪問した。そしてその翌日、真珠湾でこう訴えた。

  昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の
  碑(いしぶみ)を訪れました。

  その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き
  返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

  彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受
  けていた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気を称え、石碑を
  建ててくれた。

  碑には、祖国のため命を捧げた軍人への敬意を込め、日本帝国海軍
  大尉(だいい)と、当時の階級を刻んであります。

  The brave respect the brave.
  勇者は勇者を敬う。

  アンブローズ・ピアスの、詩(うた)は言います。

  戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であって
  も、理解しようとする。

  そこにあるのは、アメリカ国民の、寛容の心です。
  (首相官邸ホームページ、2016年12月27日)

戦没者追悼、そして軍人の勇気への敬意を重視する米軍の関係者、とくに海兵隊は、安倍首相の言動に深く感銘を受けたと聞いている。
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