電脳筆写『 心超臨界 』

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代わりにできる人など誰もいない
( キャロル・バーネット )

酒は飲むなと書いてない――興膳宏

2024-05-23 | 03-自己・信念・努力
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「孔子・孟子を読んではみたが、酒は飲むなと書いてない」

これは、昔の旧制高校生が愛唱した「デカンショ節(ぶし)」の一節です。興膳宏さんは、はじめは勝手ないいぐさだと思います。ところが、『論語』や『孟子』を読んでみると、確かに飲酒を禁じた言葉は見られないそうです。「乱に及ばなければ」よいとは、酒飲みにはうれしい味方です。


◆酒は飲むなと書いてない――興膳宏

「酒乱・宿酔――論語や孟子、飲酒は禁じず」興膳宏 中国古典学者
( 2005.12.11 日経新聞(朝刊)「漢字コトバ散策」)

はや忘年会の時期になった。酒を飲んで日ごろのストレスを発散するのはいいが、自分を失って取り乱す酔い方は迷惑だ。ことに嫌われるのが酒乱。そんな人が座にいると、早々に退散したくなる。

「酒乱」は和製漢語だが、中国の古典と無関係ではない。『論語』郷党篇に、孔子が自分の食生活について述べた章があり、「ただ酒は量無きも、乱に及ばず」という。自分の酒量は一定していないが、心身のバランスを失うほどには飲まない。つまり適度に飲む。子(し)かん篇に「酒の困(みだ)れを為さず」とあるのも、同じことをいっている。とにかく孔子は節度ある飲酒を心がけていた。

昔の旧制高校生が愛唱した「デカンショ節(ぶし)」に、「孔子・孟子を読んではみたが、酒は飲むなと書いてない」という文句がある。はじめは勝手ないいぐさだと思ったが、のちに『論語』や『孟子』を読むと、確かに飲酒を禁じた言葉は見られない。「乱に及ばなければ」よいとは、酒飲みにはうれしい味方である。

ところが、「なあに乱に及ばなきゃいいさ」、とついメートルを上げ、翌朝枕から頭の上がらない不快感で、昨夜の飲みすぎを思い知らされる。覚えのある人は多かろう。酒飲みにつきものの二日酔いで、漢語では「宿酔(しゅくすい)」といい、「ふつかよい」と訓ずる。「宿酲(しゅくてい)」は同義語。この場合の「宿」は、「もとからの」、具体的には「前夜からの」の意である。

唐の詩人白居易は、李白のような酒豪でこそなかったが、愛酒家で、よく飲酒の詩を作っている。61歳のときの「洛橋寒食(らくきょうかんしょく)の日の作十韻」には、こんな句がある。

  宿酔 頭なお重きも
  晨遊(しんゆう) 眼たちまち明らかなり

宿酔で頭はずっと重かったが、朝早く橋の辺まで散歩すると目もすっきりした。この程度ならまだいいが。ときには昼近くなってまだ悩まされることもある。そんなとき、「酒はもうやめた」と思うが、すぐに忘れてしまう。孔子は酒に乱れないぐらい何でもないというが、ここらが聖人と凡愚の違いだろう。
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