電脳筆写『 心超臨界 』

知識の泉の水を飲む者もいれば
ただうがいする者もいる
( ロバート・アンソニー )

自分のための人生 《 自分のやり方をどこまで貫けるか――ウエイン・W・ダイアー 》

2024-06-21 | 03-自己・信念・努力
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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精神的に依存している状態というのは、自分に選択の余地が与えられず、いやが応でも何かをやらざるを得ない人間関係を持っていることである。やりたくないことを無理やりやらされることに腹を立てながらも、どうしてもやらざるを得ない人間関係に置かれている状態のことである。これがこの章でとりあげる錯信帯の中身である。


◆自分のやり方をどこまで貫けるか

『自分のための人生』
〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p249 )

  どんな関係であれ、二人の人間が一つになるような関係になると、
  半人前の人間が二人寄り集まったことにしかならない。

9章 自主性と責任感を育てる
1 自分のやり方をどこまで貫けるか

人生を生きていくうえで、むずかしいけれどもやらなければならないことがいくつかある。精神的に自立するというのもその一つである。

依存という毒ヘビは、あらゆるところから人生に忍び込んでくる。しかも、他人の依存心につけ込んで得をしている人間が大勢いるので、自分の人生から依存心と言う毒ヘビを追い出すのはますますむずかしくなるのである。

精神的に自立している状態というのは、義理に縛られたり他人に指示されて行動するということがまったくない状態のことである。義理があるからどうしてもやらなければならないという思い込みから解放された精神状態のことである。

親、子供、権力者、恋人といった特殊な人間関係においては、それぞれの人間関係で期待されていることを実行するのが社会通念となっているので、とりわけ精神的に自立するのはむずかしくなる。

精神的に自立するというのは、自分自身になるということ、つまり、自分の望む生き方、行動をするということである。決して人間関係を断ち切るということではない。誰とでも自分なりのつきあい方ができ、それが自分のめざすゴールに到着する妨げにならないなら、その生き方を続ければよく、変える必要はない。

これとは逆に精神的に依存している状態というのは、自分に選択の余地が与えられず、いやが応でも何かをやらざるを得ない人間関係を持っていることである。やりたくないことを無理やりやらされることに腹を立てながらも、どうしてもやらざるを得ない人間関係に置かれている状態のことである。これがこの章でとりあげる錯信帯の中身である。3章でとりあげた他人の賛同を求める態度と似ていると言える。

なんらかの人間関係を求めたとしても、それは少しも不健康なことではないが、その人間関係がなければ生きていけないとか、あるいは強制的なもので腹立たしいものであるならば、それは自分を駄目にしてしまう人間関係である。

つまり、強制的に行なわれていることが問題なのであって、人間関係そのものが問題なのではない。強制されるところから罪悪感や依存心が生じるのであり、逆に、自由な選択の意志があるところには愛と自立が育つ。相手に精神的に依存している人間関係では、選択の意志などはたらく余地がない。結果として腹立たしい不愉快な人間関係となる。

精神的に自立していれば他人を必要としない。必要としないというのは、求めないということではない。他人が必要となった瞬間からその人は弱みを持つことになり、他人の奴隷となる。もし自分の必要とする人と別れるようなことになったり、あるいはその人が心変わりしたり死ぬようなことがあると、茫然自失、意気消沈して、自分も死ぬようなことにもなりかねない。

しかしながら、社会はわれわれに、親を始めとして周囲の大勢の人間に依存しろと教える。したがって、あなたはいまだに、多くの濃密な人間関係の中でひな鳥のように口をあけて餌を待っているかもしれない。

特定の人間関係の中で、自分は相手から期待されているからこれこれのことをやらなければいけないのだと感じていたり、これをやったら相手は怒るだろうかとか、やらないと罪になるだろうかと考えているかぎり、あなたはこの錯信帯の中で仕事をしているのだと思ってよい。
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