電脳筆写『 心超臨界 』

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( エドマンド・バーク )

◆パール判事の日本無罪論 《 東京裁判は占領政策の一環 》

2024-07-10 | 05-真相・背景・経緯
§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆パール判事の日本無罪論 《 東京裁判は占領政策の一環 》


パール博士の言葉を借りていえば、「この裁判所は、法律執行機関としての裁判ではなくして、権力の表示としての政治機関」であった。すなわち「この裁判は、法律的外貌はまとっているが、実は、ある政治目的を達成するために設置されたもので、それは占領政策の宣伝効果をねらった“興行”以外の何ものでもなかった」のである。


『パール判事の日本無罪論』
( 田中正明、小学館 (2001/10/5)、p211 )

われわれは冷静な理性をもって、東京裁判をもう一度見直す必要がある。

戦後、日本の経済復興は世界の驚異とまでいわれ、すでに戦前をしのいで、目覚ましい発展をとげつつある。だが、他の分野、たとえば政治・社会・倫理・教育の領域はどうだろうか。とても正気とは思われないような混沌(こんとん)と退廃(たいはい)が渦を巻いている。いったい、その病気はどこに根ざしているのだろうか。私は、その病気のすべてとはいわないまでも、その重要な、一つとして、アメリカの占領政策の影響を数えねばならぬと思う。

東京裁判は、明らかに一つの狙いをもったデモンストレーションであり、ショウであったといわれている。その狙いというのは、占領政策の宣伝効果ということである。そしてその宣伝効果は見事に成功を収め、その影響は今日に及んでいるのである。

パール博士の言葉を借りていえば、「この裁判所は、法律執行機関としての裁判ではなくして、権力の表示としての政治機関」であった。すなわち「この裁判は、法律的外貌はまとっているが、実は、ある政治目的を達成するために設置されたもので、それは占領政策の宣伝効果をねらった“興行”以外の何ものでもなかった」のである。

旧日本軍の参謀本部のあった東京・市ヶ谷台を舞台に、2年8カ月の日子と、約27憶円の経費(日本政府の負担した駐屯軍費用中の裁判経費)を費やして、7人の絞首刑と、16人の終身刑と、2人の有期刑の判決、および2人の病死と1人の精神障害者を出したこの大がかりな“興行”は、当時の自信喪失、虚脱状態にあった日本国民の心をとらえるには好適なものであった。

「この裁判の最中に、毎日流されていった法廷記事なるものは、半分は嘘であった。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりをしておったのだと、日本国内はむろんのこと、世界のすみずみにまで宣伝した。しかもわが方としては、これに対抗する手段は封ぜられていた。判決は下されても、判決批判はいっさい禁ぜられていた」

清瀬一郎弁護士はそう慷慨(こうがい)し、さらにつぎのように述べている。

「それゆえ、世間では、日本の旧軍人は、戦時中敵国俘虜の虐待や、婦女の凌辱ばかりしておったのかしら、日本政府は強盗やギャングのような侵略戦争の共同謀議ばかりしておったらしい。マッカーサーは偉い。マッカーサーのおかげで、天皇陛下は戦犯ともせられず、お助かりになったのだ、というような感想を深く国民に植えつけてしまった。ほんとうは、かかる感想は大いにあやまっておるのだが、しかしこれが誤解だといっても、今では世間は信用しない」(菅原裕著『東京裁判の正体』序文)

悪いことに、権力追随の事大主義的ジャーナリズムが、これを日夜煽(あお)りたてた。戦時中軍閥の意のままに操縦されたと同じように、占領軍の意のまま操られたのである。“真相はこうだ”という放送は毎夜続いた。昨日まで軍部に迎合していたいわゆる文化人も官僚も、たちまち豹変して、占領政策を謳歌(おうか)し、軍部の悪口を並べたてた。“挙世滔々(きょせいとうとう)”ということばがあるが、まさしく世をあげて、流れる大河のごとく、日本の伝統や権威までも抹殺して、占領政策の片棒を担いだのである。ことに日本の教育は根底からくつがえされ、歴史や道徳は教えることさえ禁じられた。国語や理科の教科書までが、墨で塗りつぶされたばかりか、教育制度そのものまでが改編させられてしまった。その影響が、今日、なお尾を引いているのは、むしろ当然といわねばならぬ

安保闘争も基地反対闘争も結構である。だが、このアメリカ占領軍が、傍若無人に撒(ま)きちらし、生み落とした占領政策の病原を除去することなくしては、健康な日本を回復することは困難である。基地は沖縄や砂川にばかりあるのではなく、むしろお互いの心の中に巣くう占領政策の残りかす――ことに青少年に及ぼしつつある恐るべき影響の中にこそ、最大のものがあることを自覚すべきであろう。

東京裁判を中心とするアメリカ占領政策の根こそぎの掃除なくして、いかに“人づくり”“国づくり”を口にしたところで、所詮(しょせん)は無駄であることを知るべきであろう。
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