電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。いわく「友人から講演をたのまれた時、私は〈今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ〉と思いついた。何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔をみているうちに何か思いついたことを喋る、思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる。そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに50分、楽にしゃべれた。しかも、あと味もよかった。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p92 )
第3章 応待辞令の人間学
◆原稿なしの随筆的講演
余暇開発センター理事長の佐橋滋は、いかなる講演にも草稿を用意したことがない。
「日ごろ、考えていることを話すのだから原稿はいらない」のだそうだ。
それでいて、かなりきかせるスピーチで特に最近は年齢とともに一種の風格が加わってきた。
ただ、この佐橋が講演の前に一つだけやることがある。それは控えの一人だけになり、5分間だけ、深呼吸をし、瞑想をし、ひたすら己(おのれ)を無にする作業に没頭する。
そういえば、歌舞伎の中村吉衛門も、楽屋で支度が始まると無口になり、支度ができて出を待っている時には全くものをいわなくなる。
それは楽屋にいる時から、奈落を通って揚幕(あげまく)へ行って待っている時には、もう、その役の気持ちになりきっていなければならないからだ。また、そうしなければ、よい芝居などやれるものではないのだ。
しかし、原稿なしの講演などは、よほどの甲羅を経ないと恐ろしくてやれるものではない。それがやれるのは佐橋だけくらいのものだろうと思ったら、作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。
いわく「友人から講演をたのまれた時、私は〈今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ〉と思いついた。何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔をみているうちに何か思いついたことを喋る、思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる。そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに50分、楽にしゃべれた。しかも、あと味もよかった。偶然、ききにきてくれた若い二人の友達までが『とても感動しました』といってほめてくれた。講演には、なかなか自信のもてない私だったが、聴衆の反応からいっても、感動を与えたことは疑うべくもなかった。以来、わたしは講演に自信をもった」
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。いわく「友人から講演をたのまれた時、私は〈今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ〉と思いついた。何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔をみているうちに何か思いついたことを喋る、思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる。そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに50分、楽にしゃべれた。しかも、あと味もよかった。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p92 )
第3章 応待辞令の人間学
◆原稿なしの随筆的講演
余暇開発センター理事長の佐橋滋は、いかなる講演にも草稿を用意したことがない。
「日ごろ、考えていることを話すのだから原稿はいらない」のだそうだ。
それでいて、かなりきかせるスピーチで特に最近は年齢とともに一種の風格が加わってきた。
ただ、この佐橋が講演の前に一つだけやることがある。それは控えの一人だけになり、5分間だけ、深呼吸をし、瞑想をし、ひたすら己(おのれ)を無にする作業に没頭する。
そういえば、歌舞伎の中村吉衛門も、楽屋で支度が始まると無口になり、支度ができて出を待っている時には全くものをいわなくなる。
それは楽屋にいる時から、奈落を通って揚幕(あげまく)へ行って待っている時には、もう、その役の気持ちになりきっていなければならないからだ。また、そうしなければ、よい芝居などやれるものではないのだ。
しかし、原稿なしの講演などは、よほどの甲羅を経ないと恐ろしくてやれるものではない。それがやれるのは佐橋だけくらいのものだろうと思ったら、作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。
いわく「友人から講演をたのまれた時、私は〈今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ〉と思いついた。何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔をみているうちに何か思いついたことを喋る、思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる。そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに50分、楽にしゃべれた。しかも、あと味もよかった。偶然、ききにきてくれた若い二人の友達までが『とても感動しました』といってほめてくれた。講演には、なかなか自信のもてない私だったが、聴衆の反応からいっても、感動を与えたことは疑うべくもなかった。以来、わたしは講演に自信をもった」