電脳筆写『 心超臨界 』

感謝を表わすのに忘れてはならないこと
最高の感謝は言葉ではなく
感謝をもとに生きることである
J・F・ケネディ

人間学 《 原稿なしの随筆的講演――伊藤肇 》

2024-07-05 | 03-自己・信念・努力
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作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。いわく「友人から講演をたのまれた時、私は〈今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ〉と思いついた。何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔をみているうちに何か思いついたことを喋る、思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる。そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに50分、楽にしゃべれた。しかも、あと味もよかった。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p92 )
第3章 応待辞令の人間学

◆原稿なしの随筆的講演

余暇開発センター理事長の佐橋滋は、いかなる講演にも草稿を用意したことがない。

「日ごろ、考えていることを話すのだから原稿はいらない」のだそうだ。

それでいて、かなりきかせるスピーチで特に最近は年齢とともに一種の風格が加わってきた。

ただ、この佐橋が講演の前に一つだけやることがある。それは控えの一人だけになり、5分間だけ、深呼吸をし、瞑想をし、ひたすら己(おのれ)を無にする作業に没頭する。

そういえば、歌舞伎の中村吉衛門も、楽屋で支度が始まると無口になり、支度ができて出を待っている時には全くものをいわなくなる。

それは楽屋にいる時から、奈落を通って揚幕(あげまく)へ行って待っている時には、もう、その役の気持ちになりきっていなければならないからだ。また、そうしなければ、よい芝居などやれるものではないのだ。

しかし、原稿なしの講演などは、よほどの甲羅を経ないと恐ろしくてやれるものではない。それがやれるのは佐橋だけくらいのものだろうと思ったら、作家の小島政二郎もそれをやり、「随筆的講演」と名づけている。

いわく「友人から講演をたのまれた時、私は〈今夜はひとつ、随筆風の講演をしてやれ〉と思いついた。何を喋ってやろうということを考えず、何の準備もせず、ただ、私の体を会場へもって行く。聴衆の顔をみているうちに何か思いついたことを喋る、思いつくことが何もなかったら、その訳を話してひきさがる。そう度胸をきめて会場へいったら、何の苦労もせずに50分、楽にしゃべれた。しかも、あと味もよかった。偶然、ききにきてくれた若い二人の友達までが『とても感動しました』といってほめてくれた。講演には、なかなか自信のもてない私だったが、聴衆の反応からいっても、感動を与えたことは疑うべくもなかった。以来、わたしは講演に自信をもった」
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