電脳筆写『 心超臨界 』

リーダーシップとは
ビジョンを現実に転換する能力である
( ウォレン・ベニス )

フリーダム――江崎道朗さん

2019-02-18 | 04-歴史・文化・社会
 「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
    そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
   ( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f
     ( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p
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《 いま注目の論点 》
★ナイチンゲールと統計不正――井伊重之・論説委員
【「日曜に書く」産経新聞 H31(2019).02.17 】http://tinyurl.com/y6a53vgq
★民主政権 悪夢でないのか――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 H31(2019).02.15 】http://tinyurl.com/y5zzwnzf
★デジタル・シルクロードのわな――湯浅博・東京特派員
【「湯浅博の世界読解」産経新聞 H31.02.13 】http://tinyurl.com/y2kaqhyl
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●フリーダム

『フリーダム』http://tinyurl.com/yyxt4uxy
【 江崎道朗、展転社 (2019/1/29)、p2 】

平成20年にアメリカを代表する民間シンクタンク、ヘリテージ財団の研究員リー・エドワーズ博士による『現代アメリカ保守主義運動小史』(邦訳は明成社刊)を邦訳・刊行しました。この邦訳に際して最も問題になったのが「liberty」や「freedom」の訳語でした。英語の「liberty」も「freedom」も日本語に直すと共に「自由」ということになりますが、邦訳を担当してくださった渡邉稔さんと話し合っているうちに、後者の「フリーダム」は「自由」というよりも「自主独立」と訳す方が適切ではないのか、という話になったのです。

といいますのも、アメリカの保守主義者たちは、政府による福祉などに依存せずに、また、政府の規制に過度に干渉されることなく、独立した個人として(神への信仰と道徳・慣習に基づいて)自分のことを自分で決定できる自由を「フリーダム」と呼んでいるのです。

政府による社会保障を拡充することは増税につながり、個人の財産権、ひいては国民の自由を侵害することになる。一方、逆に政府による規制が少なくなり、税金が安くなれば、それだけ、国民の「フリーダム」は強まり、国民の経済は活発になり、豊かな国民が増え、結果的に国家の基盤を強くすることになると考えているわけです。このようにアメリカの保守主義者たちは、個人の「フリーダム」を守っていくことが国家の「フリーダム(自由、自主独理の精神)を守ることになるという捉え方をしているのです。

この「フリーダム」という言葉の語感は、竹本忠雄・筑波大学名誉教授が、靖国神社の参道で開催された「第11回戦没者追悼中央国民集会」(平成9年8月15日)において述べた、次の一節を読むとさらによく理解できるのではないでしょうか。

 「およそ一国が独立国といえるためには、三つの自由がなければなりま
 せん。
 第一は、自国の防人をもって自国を守ること。
 第二は、自ら教育したいように自らの子弟を教育するということ。
 そして第三は、自ら祀りたいように自分たちの神々を祀るということ、
 この三つであります。日本に、このなかのどの自由もありません」

では、日本から「フリーダム(自由、自主独立の精神)」を奪っているのは誰か。

外国に日本の命運を委ね、国民の「フリーダム」を抑圧しようとする一部の政治家・官僚、そして学者、マスコミです。

例えば、現行憲法の代理人として自衛権の手足を縛ろうとする内閣法制局、緊縮財政や課税という形で国民経済の発展を妨害する財務省、国民の自由な経済活動を規制する経産省や国交省、占領遺制の代弁者として東京裁判史観に基づく歴史教科書しか認めようとしない文科省と、そられ官僚たちの代理人である学者とマスコミです。

こうした存在から「自分の国を自分で守る自由(国防の自由)」、「自ら教育したいように自らの子弟を教育する自由(教育、歴史観の自由)」、「自ら祀りたいように自らの神々を祀る自由(靖国神社参拝を含む信教の自由)」を取り戻すことが日本を再建することではないのか。そうした願いを込めて本書の表題を「フリーダム」と付けました。

そして、この「フリーダム」をキーワードに「自国の安全と平和、自国の命運を、外国と占領遺制を墨守する政治家や官僚・学者たちに委ねていいのか」という観点から、外交、安全保障、歴史認識、そして家族、地域共同体、教育問題について論じたのが本書です。

外国やマスコミ、そして野党をいくら非難したところで、それだけで日本が立ち直るわけではありません。間違った政策や占領遺制を墨守する政治家や官僚・学者たちとの戦いに勝って自らの「フリーダム」を獲得しようとすることこそが日本を再興する道なのです。
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