電脳筆写『 心超臨界 』

自然は前進と発展において留まるところを知らず
怠惰なものたちすべてにののしりを発する
( ゲーテ )

日本史 古代編 《 考古学偏重の「非科学性」――渡部昇一 》

2024-07-08 | 04-歴史・文化・社会
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西洋でも19世紀には、史学を「科学的」に考えて、古代伝承の否定をすることが流行したことがあった。それでトロヤ戦争が出てくるギリシャ神話、旧約聖書、アーサー王伝説など、全部一度は否定されたことがある。ところが、シュリーマンという古代伝説に憑(つ)かれた素人(しろうと)が、ミケーネやトロヤの発掘をやってみて世界中を唖然とさせた。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p71 )
1章 神話に見る「日本らしさ」の原点
――古代から現代まで、わが国に脈々と受け継がれたもの
(5) 日本的アイデンティティの出発点

◆考古学偏重の「非科学性」

日本人はどこから来たか。

これについては、最近、山ほどいろいろな説がだされているが、われわれはどうしても『古事記』や『日本書紀』の記述をていねいに考えたうえで、いろいろのことを考えなければならない。

戦後は妙な啓蒙思想が流行して、記紀などは問題にしないのが科学的と考えられたこともあったが、これは先に述べた解禁現象に伴う勇み足とでも言うべきもので、少なくとも世界の歴史学の大勢からも、ずれている。

西洋でも19世紀には、史学を「科学的」に考えて、古代伝承の否定をすることが流行したことがあった。それでトロヤ戦争が出てくるギリシャ神話、旧約聖書、アーサー王伝説など、全部一度は否定されたことがある。ところが、シュリーマンという古代伝説に憑(つ)かれた素人(しろうと)が、ミケーネやトロヤの発掘をやってみて世界中を唖然とさせた。細かい点についてはシュリーマンの説には訂正が加えられているが、大学の歴史の教授たちがその存在を否定した古代文明を掘り出してみせたのだから、やはり偉大である。少なくとも、シュリーマン以前の19世紀のアカデミックな古代史のあるものよりは、ホメロスの叙事詩のほうが歴史的に、はるかに正確だったことになる。

同じことは旧約聖書についても言われている。アダムの創造は別としても、旧約の記述はその後の考古学によって、大幅に裏付けられている。ノアの洪水ですら、実際にあったとする説が強い。その実体は聖書のとおりかどうかは別として、ともかくケタはずれの大洪水があったらしいのである。

イギリスでもアーサー王は長い間、伝説として歴史には入れられなかった。ところが、その存在を示す古銭などが発見されていて、少なくともそういうケルト人の王がいて、ゲルマン人の侵入に抵抗したことが知られる。そしてその王は多くの伝説を生むような、英雄的な、ロマンティックな稟質(ひんしつ)を多分に備えておったことは確かであった。

もっと重視させられるのはタキトスの『ゲルマニア』である。これは1世紀後ごろにタキトスというローマ人が、ゲルマン人の信仰や風俗を書いたものである。これも一時、科学的な史学によって重要度を減じたように見えた時代があった。しかし現在の古代ゲルマン学者は、タキトスの記述を、聖書の一語一語を注意深く読むように読んでいる。これは当然の話で、今ごろ発見される考古学の石ころなんかからは絶対知りえぬゲルマン人の生活や感情や信仰が、そこに書いてあるからである。

しかもゲルマン人の文化は主として木造であったから、考古学が今ごろ見つけるものに、大した重要なものがある可能性は極端に少ない。それどころか、1つの残った事実と100万の消えた事実があるとき、その残った1つから、ほかの99万9999の事実を構成するほうが、はるかに危険であり、非科学的であろう。少なくともタキトスは、全体的記述を残しているのだから、もし、何かの考古学的発見がなされたら、タキトスの記述のコンテクスト(文脈)の中においてのみ解釈しなければ危険ということになるのである。
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