電脳筆写『 心超臨界 』

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それ以外の道はない
( アルベール・カミュー )

不都合な真実 歴史編 《 北軍側に奴隷州が五つもあった――高山正之 》

2024-07-24 | 05-真相・背景・経緯
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リンカーンは62年9月、奴隷解放宣言を出すが、このとき対象となったのは戦う相手の南部連合の各州だけだった。つまり北軍側のミズーリなど五州は変わらず黒人奴隷を使い、奴隷売買をやっていた。


◆北軍側に奴隷州が五つもあった

映画「リンカーン」はウソだらけ
偉人リンカーンはやはり奴隷好き――高山正之・ジャーナリスト
『歴史通』2013年5月号、ワック出版、p127 )

実を言うと奴隷制問題を争点に1861年南北戦争が始まったとき、リンカーンの北軍についた州のなかに奴隷州が五つもあった。デラウエア、ケンタッキー、ウエストバージニア、メリーランド、そしてミズーリだ。

リンカーンは62年9月、奴隷解放宣言を出すが、このとき対象となったのは戦う相手の南部連合の各州だけだった。つまり北軍側のミズーリなど五州は変わらず黒人奴隷を使い、奴隷売買をやっていた。

ではなぜ彼は「米国は奴隷制廃止を宣言しました」と世界に向けて言ったのか。言いたいことは一つ「私たち北軍は奴隷を廃止しない南部連合と人道的立場から戦っています」と宣伝するためだ。

そうすれば英仏が「人道に対する奴隷制を堅持する南部連合」を支持するような融資や商売がしにくくなる。南部連合は黒人を働かせて生産した綿花を売れなくなる。戦費も兵器の調達も思うに任せなくなる。事実、南部有利の戦況もやがて揺らいでいった。

その北軍側に奴隷州が五つもあったら国際社会を欺いたに等しい。リンカーンが憲法修正13条を一刻も早く成立させ、まやかし大統領の汚名を雪(すす)ぎたいと思うのは当たり前だ。

一方、奴隷州五州選出の民主党議員は大統領のメンツのために奴隷制をやめられるかと頑なに抵抗する。映画が描くリンカーンと民主党の対立構造がこれでやっと理解できる。

しかし作品ではこうした「方便のための奴隷解放」を正直に語ろうとしない。国際社会から見た南北戦争も語らない。五十六映画と同じにごく限られた小さな世界だけで話を進行させていく。

映画では頻繁に黒人が登場する。登場しては「ヒトは白も黒も平等」という。リンカーンがユークリッド幾何学でそれに頷く。とてもいい話だが、ただヒトには白と黒ともう一つ、黄色がある。米国でいえばインディアンだ。彼らはどうだったか。

奴隷解放宣言は62年9月22日に「63年1月1日」をもって奴隷制を廃止する」という予告の形で発表された。

同じ日、リンカーンはもう一つ、重要な命令を出している。ミネソタで起きたダコタ族に対する宣戦布告だ。

ダコタとはスー族のことをいう。事の起こりはその十年前、米政府が広大なミネソタの原野で狩猟をしてきたスー族からその猟場を取り上げ、小さな居留地に押し込んだ。

見返りは小麦や牛肉など食糧品の無償供給だった。が、役人と結託した交易商人らの不正でそれが滞り、さらにスー族はその小さな居留地からさえも追い出されそうになる。

飢えと不正を訴えるスー族に白人代表の一人アンドリュー・ミリックが「飢えているなら草でも食え」と放言。立腹した若者がかつて自分たちの狩場だった土地に入植した開拓民一家を襲って殺してしまった。

さあ、どうしよう。部族長が集まり、白人たちの報復にどう応えるかを語り合う。戦っても負けるからここは忍耐をという幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)みたいな和平派と、屈辱の下で生きるより潔く戦うべきだという主戦論派が対立し、スー族は戦いを選んだ。

決起した戦士千人はまずミリックの官舎を襲い、彼を殺して口に草を詰めた。

リンカーンの「ダコタ戦争」布告はこの事件を受けて発せられた。指揮官ジョン・ポール少将は大統領の意を体して「我々の目的はスー族を皆殺しにすることだ。彼らは狂人、あるいは野獣として扱われるだろう」と語った。

そしてその言葉通り、スー族の十倍もの兵士を動員、大口径砲まで持ち出して戦士たちもその家族も残忍に殺しまくった。

( 中略 → 133 )

映画は戦争が終わり、笑顔で自由を受け入れる黒人兵の表情を映し出して終わる。

ハッピーエンドに見えるが、その後の黒人を待ち受けているのがその十年後に成立したジム・クロウ法だ。

黒人は白人と同じホテルには泊まれない。乗り物も別。公園の水飲み場も別。黒人は白人と同席できない。この差別法は実に東京五輪の年まで生きていた。

それに背き、白人女にでもちょっかいを出せば「Strange Fruit(奇妙な果実)」になるとビリー・ホリデーが歌った。

  南部の木々は奇妙な実をつける
  血が葉を濡らし、根にたまる
  ポプラの木になる黒い果実が
  南部のそよ風に揺れる

黒人たちは耳と鼻を削がれ、指を切り落とされ、木の枝に吊されて火をかけられる。焼け焦げた遺体を黒い果実に譬(たと)えた歌だ。
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