電脳筆写『 心超臨界 』

どんな財産も誠実にまさる富はない
( シェークスピア )

戦略的思考の本質 《 石原の東亜連盟構想――山内昌之 》

2024-05-27 | 04-歴史・文化・社会
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 歴史に学ぶ「戦略的思考の本質」
 東京大学教授・山内昌之

  [1] 平和のリーダーシップ
  [2] 古代ギリシャの予言
  [3] ローマ人の勇気と臆病
  [4] 政略に敗れた義経
  [5] 裏切られたサラディン
  [6] リンカーンの決断
  [7] 『戦争論』とビスマルク
  [8] 石原の東亜連盟構想
  [9] 毛沢東の凄み
  [10] 過去は知の宝庫


石原は日露戦争の勝利を「僥倖(ぎょうこう)の上に立っていた」と疑問を呈し、ロシアがもう少し忍耐して抗戦を続けたなら日本の勝利はなかったと説いた。プロイセンから学んだ陸軍大学校では、日露戦争を石原のような観点から教えたことはない。石原は、決戦戦争から持久戦争への過渡期に起きた日露戦争でプロイセン流の決戦戦争理論で挑んだ日本軍に対して、退嬰的(たいえいてき)なロシア軍の退却が来るべき持久戦(第1次大戦)の戦法を、それと知らず結果として実行したのではと考えたのだ。


歴史に学ぶ「戦略的思考の本質」――[8] 石原の東亜連盟構想
([やさしい経済学 10.01.13日経新聞(朝刊))

満州事変の首謀者・石原莞爾は、京都の第16師団長を辞める前年、1940年に「人類の前史終わらんとす」という講演をおこなった。これはやがて『世界最終戦論』として出版され、後に『最終戦総論』と改題される。石原は、戦略をせいぜい軍や方面軍といった戦闘単位の大作戦と考える軍人が多いなかで、高度の「国家戦略」を構想できる人物だった。

最終戦争論とは、戦争の形態や武器の発展で戦争が「進化」し、やがて戦争も死滅して絶対平和が到来するという考えである。歴史は、決戦戦争と持久戦争を互いに繰り返してきたが、次回の決戦戦争が地球最後の戦いになるというのだ。石原の言う最終戦争の前提は、フランス革命以来「最大の革新時代」に入った世界史において、日本も「昭和維新」を完成させ東亜(東アジア)の民族を連盟させる義務を帯びているという点にある。

東亜連盟とは日本、満州、中国の独立と朝鮮の自治をはかりながら、東亜の経済や防衛の一体化をめざす構想であり、現在の東アジア共同体の青写真にも一脈通じる面もある。そこでは、各民族の協和をはかる「新しい道徳の創造」と、米欧に劣らぬ生産力の拡充が必要となる。自由に成層圏を飛べる航空機、「一発で都市を壊滅させられる」大量破壊武器、地球を無着陸で何回も回れるロケットの出現を予測した想像力は科学者の思考に通じる。

石原は日露戦争の勝利を「僥倖(ぎょうこう)の上に立っていた」と疑問を呈し、ロシアがもう少し忍耐して抗戦を続けたなら日本の勝利はなかったと説いた。プロイセンから学んだ陸軍大学校では、日露戦争を石原のような観点から教えたことはない。

石原は、決戦戦争から持久戦争への過渡期に起きた日露戦争でプロイセン流の決戦戦争理論で挑んだ日本軍に対して、退嬰的(たいえいてき)なロシア軍の退却が来るべき持久戦(第1次大戦)の戦法を、それと知らず結果として実行したのではと考えたのだ。石原は日露戦争では作戦計画だけでなく、戦争全般にも明確な見通しを立てるべきだったと『戦争史大観』で強調した。陸大の幕僚教育は日露戦争をめぐる政略や外交工作を教えなかったのに、石原は自前で日露戦争の隠れた本質を見抜いたことになる。この資質は軍人よりも政治家にこそふさわしい。

石原は侵略的軍人を早く辞めて東亜連盟をめざす政治家に転じ、国際平和秩序の形成にリーダーシップを発揮した方が年来の戦略的思考に適(かな)っていたのかもしれない。
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