電脳筆写『 心超臨界 』

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( C・S・ルイス )

不都合な真実 《 神話や建国記述「間違っていない」――愛知・一宮市立中学校長のブログ 》

2024-05-26 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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記事では冒頭、日本の建国について「初代神武天皇が即位した日が始まり」と記し、16代仁徳天皇が家々から炊事の煙が上がらないのを見て民の窮乏を知り、税を免除して自らもつつましく暮らしたという「民のかまど」の話を紹介。「この話は神話」と断わった上で「こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」と書いた。


◆[ 中学校長ブログに激励の声 ] 神話や建国記述「間違っていない」
( 河合龍一記者、産経新聞 H27(2015).02.22 )

愛知県一宮市の市立中学の男性校長(56)が、学校のホームページ上のブログに、神話に基づく日本建国の由来などに触れながら、自国に誇りを持つよう訴える記事を掲載したところ、市教育委員会から「神話を史実のように断定的に書いている」との注意を受け、記事を削除していたことが21日分かった。学校側には教職員組合から抗議文も出されたが、「校長は間違っていない」「感動した」などと記事内容を評価する声も多数寄せられているという。ブログ記事は削除しなければならない内容だったのか。
( 河合龍一 )

  市教委の注意受け削除

市教委や校長によると、校長は建国記念日の日を前にした9日、朝礼で「日本の起源」について話し、同日午後に、その基になった原稿をブログに掲載した。

記事では冒頭、日本の建国について「初代神武天皇が即位した日が始まり」と記し、16代仁徳天皇が家々から炊事の煙が上がらないのを見て民の窮乏を知り、税を免除して自らもつつましく暮らしたという「民のかまど」の話を紹介。「この話は神話」と断わった上で「こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」と書いた。

その上で「皆さんは世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んでほしいと思います」と締めくくっていた。

記事を批判する電話が12日に一件寄せられたことを受け、市教委が校長を注意。校長は「生徒や職員に迷惑をかけたくない」として自ら記事を削除した。

中学社会科の学習指導要領では「神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよう留意すること」と明記されている。

校長は「神話を通じ、子供たちに「自分より人のため」という古代からの日本人の精神性を伝え、自国に誇りを持ってもらいたかった」と話した。市教委学校教育課は「部分的に読むと史実と受け止められかねず誤解を招く」としている。

市教委にはこれまで「偏向教育だ」という匿名の手紙が1通寄せられたほか、一部報道を受け、賛否の電話が十数件あった。学校側にも海外在住の日本人を含め、電話やファックスが多数寄せられ、大半が記事を評価したり、「削除する必要はない」などと校長を激励したりするものだという。

元公立小学校長で狭山ヶ丘高校(埼玉県)校長の小川義男氏は「神話と断わっている上、学習指導要領にも即しており、何の問題もないと指摘している。

【 愛知・一宮市立中学校長のブログ全文 】

2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。

世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙りが少しも上っていないことに気付いたのです。

仁徳天皇は「民のかまどより煙りがたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか、都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

税を免除したために朝廷に収入はなくなり、宮殿はおおいに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葺屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ。と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるあるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いにきたのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、わが国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。

古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。
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