電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

真理のひびき 《 時は金よりも貴重な尊とさがある――中村天風 》

2024-07-20 | 03-自己・信念・努力
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[箴言十六]

時は 金なりという諺があるが
真実に於て 時は 金よりも 貴重な尊とさがある
The proverb says, “Time is money.”
But in truth, time has far more precious value than money.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p148 )

物質礼賛のMaterialist(実利主義者)は、あるいは、「時は金なり」というこの言葉に心からの共鳴をおしまないであろう。しかし、金は失っても取り返すことはあえて不可能ではないが、時はいったん失ったら永久に現在の意識に決して戻ってこない。

のみならず、いっさいの事物の完成を看察(かんさつ)すると、それは金の力で成しえたように見えても、真実は、要約すれば時の力である。

ところが、人々の多くは、この侵すべくもない事実を没却(もっきゃく)して、事物の完成をただ金力、または人力に一辺倒視する。

しかも、こうした考察を是正しないで「時」なるものを批判すると、往々にして、「時」というものの真の価値の認識が誤ったものとなり、第二義的に堕する怖れが生じてくる。

そして第二義的に堕すると、そうでなくてさえ「時」というものが、厳格にいえば「尊厳なる実在」であるにもかかわらず、物象的存在でないだけにどうしても観念想定に傾向していく。

するとどうしても、「時」というものに対する尊重観念が相対的になって、真実に「時」を人生至上のものという、いいかえれば本当に「時間」を重んじ守るという絶対感が希薄になり、その結果絶対に再現しないであろう時、すなわち何としても取り返しのできない「現在」という時を、徒費(とひ)または空費してしまうことになる。否、この種の人が、現代の世の中にいかに多いかである。そのため、もっと成功もでき、もっと幸福になれる人生を、あたら棒に振らないまでも、案外下らなく経過させてしまっている人が事実において少なくない。

もちろん、時間は厳守すべきもの、重んずべきものということは、子供の時から教えられていることだけに、何人の常識にもある。

それが、何事ぞといってよいほど現実化されていないのである。

現に、今なお各種の会合で正確に時間が厳守される場合が少ないという事例が、明らかにこの遺憾さを実証している。

そのくせ、歳月人を待たずとか、光陰矢のごとしなどという言葉は、誰でも皆知っている。

知っていながら、それはただ単に知っているだけのもので、少しもそれを重大だと考えない。

その種の人というのは言葉だけで満足して、その言葉の中に実在している真の意義というものをはっきりと心に感得していないからだと断言してよいと思う。パスカルのいった言葉にも、これと同じようなものがある。

The world is satisfied with words. Few appreciate the things beneath.(世間の人は、言葉だけで満足してしまう。その奥にあるものを認識できる人は少ない)

が、とにかくこうした人が多いため、時間を巧みにとらえることができずにチャンスを逸したり幸福を逃がして、貴重な人生を残念に思うほど理想化していない。

西洋の諺にも、「時間を重んじない人は、礼儀を知らない人間よりも以下の人である」というのさえある。

ましてや、よく考えてみるとすぐわかることだが、たとえ百歳まで生きたとしても、実際の人生生活の時間というものは、人によって多少の相違はあろうが、その半分以下のものであるといえる。

現に英国の小説家で、有名なアーノルド・ベネットの言葉に、

A man of sixty has spent twenty years in bed and over three years in eating.

という、諷刺でない人生の実際相を如実に表現したものがある。

上の言葉はすなわち、「60歳の人は20年は寝床の中で、3年は食事に費やす」というのであるが、この言葉だけ考えても、実際に営まれる人生生活の時間は、差し引き37年という僅かなものになるが、それは運命も健康も順調の人のことなので、万一不運や逆境に陥ったり、不健康になって入院したり、または仕事ができない闘病生活をしたり、または怒ったり泣いたりして生活の安定を破壊する時間を差し引くと、どうであろうか! 残る時間=実際生活の=というものは実に実に短いものになり終わるだろう!

こうした事実を慎重に考察すると、極言すればあくびする時間も、くしゃみする時間も、とりかえせないのである以上、瞬間といえども軽々(けいけい)に徒費すべきでなく、心して有意義に使って活きるべきだと厳かに自戒していただきたい。

そしてここに、時は金よりも貴重なりという真の意義も、はっきりとわかってくると思う。
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