電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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1977年に批評家江藤淳(1033~)は、1945年8月15日に起ったことは日本国家にとっての無条件降伏ではないという主張を繰り広げました。これに対して、はなはだご機嫌ななめな鶴見俊輔は沢山(たくさん)の注をつけて江藤淳は間違っていると食いさがります。さらに勢いあまって、次のようにやけっぱちの放言をするにいたりました。「さらに連合国側の意図と日本政府の意図は、ともに1945年8月15日に起ったことは、日本の無条件降伏であったととらえていました」。これは真赤な嘘です。どこにそんな証拠があるのでしょうか。
『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p80 )
日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)への告発状
第3章 「ソ連はすべて善・日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)
大正11年生まれ。ハーバード大卒。京大、東工大助教授を経て同
志社大教授。日本の経済発展を呪い、日本軍のシベリア抑留を当然
とした。
百日の説法、屁ひとつ、という諺(ことわざ)があります。共産主義
ソ連がいかに美辞麗句を弄しようとも、10年を越す50万余の日
本人シベリア抑留という理不尽な行為を、わが国びとはけっして忘
れることができません。それは世界史上に未だかつてない没義道(
もぎどう)な不埒な暴挙でした。しかし鶴見俊輔は断乎としてソ連
を弁護します。当時のソ連は労働力の不足に悩んでいたのだから、
日本人捕虜に強制労働を課すのは、ソ連人の知恵であったと言うの
です。
3-3 無条件降伏という真赤な嘘の扇動者
鶴見俊輔の見るところ、日本はいまだかつて戦争に勝ったことはありません。
1905年の日露戦争の終り(9頁)
対露戦争を推し進めていき、そして敗北なしにそれを終わらせたや
り方(9頁)
日露戦争で日本がロシアに勝ったなど、そんな失礼なことは口が避けても言うものか、と鶴見俊輔は共産主義ソ連に恭しく秋波をおくります。この紳士的な鶴見俊輔の自制力に較べると、スターリンのほうがはるかに率直で言葉を飾りませんでした。第二次大戦の終わり近く、いよいよ日本へ攻めこむとき、これから日露戦争の仕返しをするのだと、将士をはげましたことはよく知られています。スターリンのほうが鶴見俊輔に較べてよほど現実的で正直ですな。
さて、その鶴見俊輔がうって変わって、日本の場合は単なる降伏ではなく無条件降伏であったとしつこく、しつこく言い張ります。
1977年に批評家江藤淳(1033~)は、1945年8月15
日に起ったことは日本国家にとっての無条件降伏ではないという主
張を繰り広げました。
(219頁)
これに対して、はなはだご機嫌ななめな鶴見俊輔は沢山(たくさん)の注をつけて江藤淳は間違っていると食いさがります。さらに勢いあまって、次のようにやけっぱちの放言をするにいたりました。
さらに連合国側の意図と日本政府の意図は、ともに1945年8月
15日に起ったことは、日本の無条件降伏であったととらえていま
した。
(220頁)
これは真赤な嘘です。どこにそんな証拠があるのでしょうか。そこで鶴見俊輔がおごそかに持ちだす証拠はなんと次のようにいたって頼りないものなのです。
後者、つまり日本政府の側がそのように8月15日をとらえていた
という事実は、1945年8月から1946年にかけて発行された
日本の新聞ならびに雑誌にのった意見にはっきりと現れています。
(220頁)
これはもう錯乱のあまりの言いがかりとしか申しようがありません。新聞なら新聞、雑誌なら雑誌、そこに載った実にさまざまな人の「意見」はいつの世にも必ず絶対に真実を射ているという保証がどこにあるのでしょうか。記事にせよ論説にせよ寄稿にせよ、いったん掲載された「意見」なるものは常に無謬(むびゅう)であると断言できますか。
新聞や雑誌をちらちら読んで、今ならテレビもそれに加わるでしょうが、その「意見」に接して、はあそうですか、よくわかりました。と叩頭(こうとう)するような根性では、時代の真実をきっちり把握することなど不可能でしょう。あるいは無条件降伏論が大勢を占めていたから、という逃げ口上を用意しているのかもしれません。しかし人の世では千人のうち999人が不覚にも誤った考えにおちいり、ひとりだけが的を射た見解を持していたという事態もありうることは常識じゃありませんか。一犬虚に吠え万犬実を伝う、という言葉があることぐらいご存知でしょう。
鶴見俊輔がやけっぱちみたいに証拠として持ちだした当時の新聞雑誌に、どんな迷説愚論がどれだけたくさん載っていようと、それらはすべて非常識な錯誤の間違いでしかありません。正しいのは、第2章で詳しく述べたとおり、石橋湛山であり江藤淳なのです。
⇒日本の経済発展を呪う支離滅裂へつづく
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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1977年に批評家江藤淳(1033~)は、1945年8月15日に起ったことは日本国家にとっての無条件降伏ではないという主張を繰り広げました。これに対して、はなはだご機嫌ななめな鶴見俊輔は沢山(たくさん)の注をつけて江藤淳は間違っていると食いさがります。さらに勢いあまって、次のようにやけっぱちの放言をするにいたりました。「さらに連合国側の意図と日本政府の意図は、ともに1945年8月15日に起ったことは、日本の無条件降伏であったととらえていました」。これは真赤な嘘です。どこにそんな証拠があるのでしょうか。
『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p80 )
日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)への告発状
第3章 「ソ連はすべて善・日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)
大正11年生まれ。ハーバード大卒。京大、東工大助教授を経て同
志社大教授。日本の経済発展を呪い、日本軍のシベリア抑留を当然
とした。
百日の説法、屁ひとつ、という諺(ことわざ)があります。共産主義
ソ連がいかに美辞麗句を弄しようとも、10年を越す50万余の日
本人シベリア抑留という理不尽な行為を、わが国びとはけっして忘
れることができません。それは世界史上に未だかつてない没義道(
もぎどう)な不埒な暴挙でした。しかし鶴見俊輔は断乎としてソ連
を弁護します。当時のソ連は労働力の不足に悩んでいたのだから、
日本人捕虜に強制労働を課すのは、ソ連人の知恵であったと言うの
です。
3-3 無条件降伏という真赤な嘘の扇動者
鶴見俊輔の見るところ、日本はいまだかつて戦争に勝ったことはありません。
1905年の日露戦争の終り(9頁)
対露戦争を推し進めていき、そして敗北なしにそれを終わらせたや
り方(9頁)
日露戦争で日本がロシアに勝ったなど、そんな失礼なことは口が避けても言うものか、と鶴見俊輔は共産主義ソ連に恭しく秋波をおくります。この紳士的な鶴見俊輔の自制力に較べると、スターリンのほうがはるかに率直で言葉を飾りませんでした。第二次大戦の終わり近く、いよいよ日本へ攻めこむとき、これから日露戦争の仕返しをするのだと、将士をはげましたことはよく知られています。スターリンのほうが鶴見俊輔に較べてよほど現実的で正直ですな。
さて、その鶴見俊輔がうって変わって、日本の場合は単なる降伏ではなく無条件降伏であったとしつこく、しつこく言い張ります。
1977年に批評家江藤淳(1033~)は、1945年8月15
日に起ったことは日本国家にとっての無条件降伏ではないという主
張を繰り広げました。
(219頁)
これに対して、はなはだご機嫌ななめな鶴見俊輔は沢山(たくさん)の注をつけて江藤淳は間違っていると食いさがります。さらに勢いあまって、次のようにやけっぱちの放言をするにいたりました。
さらに連合国側の意図と日本政府の意図は、ともに1945年8月
15日に起ったことは、日本の無条件降伏であったととらえていま
した。
(220頁)
これは真赤な嘘です。どこにそんな証拠があるのでしょうか。そこで鶴見俊輔がおごそかに持ちだす証拠はなんと次のようにいたって頼りないものなのです。
後者、つまり日本政府の側がそのように8月15日をとらえていた
という事実は、1945年8月から1946年にかけて発行された
日本の新聞ならびに雑誌にのった意見にはっきりと現れています。
(220頁)
これはもう錯乱のあまりの言いがかりとしか申しようがありません。新聞なら新聞、雑誌なら雑誌、そこに載った実にさまざまな人の「意見」はいつの世にも必ず絶対に真実を射ているという保証がどこにあるのでしょうか。記事にせよ論説にせよ寄稿にせよ、いったん掲載された「意見」なるものは常に無謬(むびゅう)であると断言できますか。
新聞や雑誌をちらちら読んで、今ならテレビもそれに加わるでしょうが、その「意見」に接して、はあそうですか、よくわかりました。と叩頭(こうとう)するような根性では、時代の真実をきっちり把握することなど不可能でしょう。あるいは無条件降伏論が大勢を占めていたから、という逃げ口上を用意しているのかもしれません。しかし人の世では千人のうち999人が不覚にも誤った考えにおちいり、ひとりだけが的を射た見解を持していたという事態もありうることは常識じゃありませんか。一犬虚に吠え万犬実を伝う、という言葉があることぐらいご存知でしょう。
鶴見俊輔がやけっぱちみたいに証拠として持ちだした当時の新聞雑誌に、どんな迷説愚論がどれだけたくさん載っていようと、それらはすべて非常識な錯誤の間違いでしかありません。正しいのは、第2章で詳しく述べたとおり、石橋湛山であり江藤淳なのです。
⇒日本の経済発展を呪う支離滅裂へつづく