電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

外国人の日本研究に日本人と異なる視点を教わる――白幡洋三郎さん

2007-04-13 | 04-歴史・文化・社会
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「外国人の見た日本」国際文化研究サンター教授・白幡洋三郎
【あすへの話題】 2007.04.10日経新聞(夕刊)
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外国人の日本研究には、なるほどと納得できる当然のテーマもあればエッと驚く問題意識によるものもあり、日本人の研究と異なる視点を教わることが少なくない。

意図はオーソドックスだが、かつて驚かされたのは『古事記』のポーランド語訳。ワルシャワ大学の故コタンスキ教授の20数年前の仕事だが、当時1万を越す部数が売れたとの話を聞いて仰天した。古事記を読む日本人がどれほどいるか(ちなみにポーランドの人口は日本の3分の1以下である)を考えただけでもこの数字は驚異だ。翻訳の巧(うま)さもあったからだろうが、娯楽の乏しい社会主義政権下では、遠い異国の古代のロマン溢(あふ)れる読み物としても楽しめたのでは、との意見にはなるほどと思った。

これまで驚かされたなかでとくに思い出すのは、温泉の研究と居眠りの研究だ。どちらもドイツ語圏の女性研究者によるものである。ボン大学のレーゲラントさんの研究は旅行目的でも上位にランクされる日本人の温泉好きはどこから来るのか、ウィーン大学のシテーガさんのは日本人は電車の中や会議中になぜ平気で居眠りできるのかを問う研究だ。

答えはこの欄の数行で書けるほど簡単ではないが、前者では、老人の医療行為と見られがちなヨーロッパの温泉に比べ、若い女性のファッションにまでなる日本の温泉は幅広い層にわたる文化になっているとの指摘、後者では日本人が居眠りに寛容なのは社会的義務から逃れられる「公的睡眠」であるとの了解があるからでは、との示唆がなされていてじつに興味深かった。

外国人の日本研究は、われわれが思いつかないような外部の目で日本を見てもらえる点で学ぶことは多い。

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