電脳筆写『 心超臨界 』

変化することは
真の学習がみな到達する最終結果である
( レオ・ブスカーリア )

悪魔の思想 《 加藤周一――歴史的教訓=「国家の抗戦なくして独立なし」/谷沢永一 》

2024-08-31 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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激闘も空しく結局はフィンランドは涙をのんでソ連の軍門に下らねばならなかった。英国もフランスもスウェーデンも、それぞれの国情からいずれもフィンランドを救う決意を実行に移せなかったのである。しかし、このときのフィンランド軍の驚嘆すべき善戦は、ソ連軍の軍政改革を促すこととなり、また逆に、赤軍恐るるに足らずとの誤断をヒトラーに抱かせ、のちの対ソ戦の決意に大きな影響を与えることとなった。(『戦う北欧』)


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p198 )
進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一(かとうしゅういち)への告発状
第8章 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯”

  加藤周一(かとうしゅういち)
  大正8年生れ。東京帝大卒。医学博士。イェール大教授、上智大教
  授を歴任。反日的言辞を振り回す「朝日文化人」の筆頭格。

  七つ下がりの雨はやまぬ、という譬(たと)えがあります。午後4時
  頃からしとしと降り出した雨が一晩中やまぬ場合が多いのと同じく、
  それまで堅物だった男が熟年に及んで始めた放蕩は止まらない、と
  いう意味です。加藤周一は根っからの左翼ではないのですが、中年
  に達して、俺様ほどの者を最高の世論指導者(オピニオン・リーダ
  ー)として崇拝しないとは、世の中、なんだか間違っとる、と怨み
  の情がこみあげてきたせいでしょうか、みるみるうちに反日的日本
  人への道を突っ走りました。


8-4 歴史的教訓――「国家の抗戦なくして独立なし」

1932年に結ばれた芬ソ不可侵条約は、こうして無警告のうちに破られました。日ソ不可侵条約が踏みにじられたのともちろん同じ手口です。ところが「間もなくソ連は、これがとんでもなく高くつく戦争であることに気がつく」に至ります。フィンランドは「世界最大の陸軍国主力による大規模な攻撃を、2ヵ月間も国境でくい止めるという奇蹟的な抗戦を続け」たのです。

  小国フィンランド軍の英雄的な死闘は大赤軍の侵攻を国境でピタリ
  と食い止めた。しかし、長期間にわたる抵抗は到底不可能だった。
  だがフィンランド軍の勇敢な防衛戦争は世界中の尊敬と同情を呼び、
  義勇軍が数多くの国から派遣されてきた。しかし激闘も空しく結局
  はフィンランドは涙をのんでソ連の軍門に下らねばならなかった。
  英国もフランスもスウェーデンも、それぞれの国情からいずれもフ
  ィンランドを救う決意を実行に移せなかったのである。しかし、こ
  のときのフィンランド軍の驚嘆すべき善戦は、ソ連軍の軍政改革を
  促すこととなり、また逆に、赤軍恐るるに足らずとの誤断をヒトラ
  ーに抱かせ、のちの対ソ戦の決意に大きな影響を与えることとなっ
  た。
                        (『戦う北欧』)

加藤周一が読者に知らせまいと企んで、わざと隠蔽した歴史的事実は以上のとおりなのです。当初からフィンランドは平和の維持を願いとして、厳正中立を保っていました。フィンランドがソ連に牙を剥いたことは、一度もありません。しかし、この隣接する小国フィンランドの平和志向と中立方針を、ソ連は尊重して友好を旨としたでしょうか。

そもそも、かつての帝政時代から共産主義体制の時期を通じて、ロシアが他国の平和主義に敬意を表して襲いかからなかった例は見出せないのです。のみならず、不可侵条約を一方的に破る常習犯でありました。フィンランドは圧倒的な軍事力によって奇襲攻撃を受けたのです。その無法な侵略に抗して、フィンランドが驚嘆すべき英雄的な抗戦を続けたからこそ、結局は敗北の憂目を見たとしても、ソ連は第二次大戦後、フィンランドを衛星国にするのは得策ではないと諦めたのでした。

フィンランドの独立は、フィンランドがソ連に対して友好を持ちかけたせいではありません。徹底的に抗戦して、ソ連にさんざん手を焼かせ、この国を丸取りすることはできないと肝に銘じさせたからです。

抗戦なくして独立なし、これが中立国にとって唯一の道であることは疑いないところです。そして現在のフィンランドが置かれているのは、「平和という名の戦争状態」である、と武田龍夫はあえて念押しに強調しています。

  しかしフィンランドの危機はまだ去ったのではなかった。それは戦
  後においても依然として続くのである。1947年のパリ平和条約
  によって、ソ連の思うがままの衛星国の状態を脱することが出来た
  と思ったのも束の間、早くも次の危機が始まるのである。すなわち
  これよりも先に始まっていた東西の冷戦下において、ソ連は東欧諸
  国とつぎつぎに相互友好条約を締結していた。
                            (同前)

「友好条約」という名の「鋼鉄の蜘蛛(くも)の糸」 へつづく
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